あいたい、と思うことはこんなにも不道徳な概念だったろうか。
足跡が揺れて、遠く伸びていくのを 窓からずっと見下ろしていた。
雨は白く霞むように降り続ける。
心がなぜ、こんなふうに停滞したままなのか理解したくなくてぼんやりする。
ここには、 口にしてはいけない想いが多すぎて 言葉にすることも躊躇われて たとえ心の中でも具体化したくないので (心の中で思うだけでもそれは、誰かに伝わってしまいそうで)
たとえば、 あいすることが やさしくするということでなく やさしくするということが あいするということでないとき
もうやさしくしたくないのであいたくない と思うことは
たぶん間違っていないと思う
もうやさしくできないのであいしたくない と思うことも
もしかしたら間違っていないのだと思う
どちらも僕だけの正論、僕だけの言い分。
あのひとは、たぶん とてもさみしがりなひとだったのだ、と 今さらのように思ったりしている
ひとのこころがほかのひとのこころと どうしてもどうやっても全く同じには重ならないことが
あのひとにはどうにも哀しかったのだ。
たったそれだけのことを 僕は白黒の映画を眺めながら呆然と思ったりしている。
あのひとはずっと僕の頭上にホバリングしていて、 どこかのヘリポートが海に呑まれてしまうのをずっと見ている。 それを僕はたぶん、 哀しむこともできない。
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