前から思っていたけれど、僕はずいぶんと嫌悪の情が深い。 たぶん簡単に染まらないようにだろう。 たやすく染まる心なので。 障壁が高くなければ簡単に侵されてしまう。
ダメだ、と思うともう好きになれなくなってしまう。 もっとも例外は少しずつ増えた気はする。 食わず嫌いみたいなものを乗り越えつつもあるし。 少しは優しいやわらかい人間になろうと思っている。 先は長いけど。
竹やぶの横を自転車で走って行く。 木洩れ日が美しい。 地面を走る車のわだちが木洩れ日の明るさで埋まるような気がする。 曲がり道を過ぎるたびに、ツツジの花が香る。 陽射しのにおい、と僕は思う。 とおく子どものころ、吸った甘い蜜のにおいだ。 白と紫が緑の中に鮮やかに光る。 竹やぶがざざぁと薙いで、ツツジの上を木洩れ日が踊る。 陽射しはもうずいぶんと暑い。
5月ともなれば思い出す情景は多い。 僕から奪われるものの多くは6月に逝くけれど、その前兆のように5月、美しいものが僕の前で煌く。 愛しいものがきらきらするのは心地好くても、それはどこか哀しい。 どこへでも、そう思ってはいても、逝ってしまうものの軌跡は明らかに輝いて僕を刻む。 追っては行けない。 僕はここで、この場所で、与えられたものだけに満たされなければ、そんなことを言い聞かせながら煌く軌跡を目で追う。 光るわだちのように、そして遠い灯台のように光は遠く伸びていくから、たとえその孤独を知っていても照らされない僕は己の孤独を優先して哀しむ。 哀しんでしまう。 僕はあの光に寄り添う軌跡になりたい。 いつか。 たとえ孤独であっても、その思いを共に感じる軌跡になりたい。
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