あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2007年06月17日(日)






    ここに傷がある。

    あのひとが夢見に描いた傷だ。



    薄く白い痣になっては再び抉られて血を流し、

    やがて膿んで黄色く濁る。


    ここに傷がある、




 *

きつく辛いジンジャーエールが舌を焼いていくのをマゾヒスティックに味わっていた。
個人的にビールが嫌いなのはたぶんあのヌルい炭酸のせいだ。
だけど何故かコーラの炭酸は苦手で、もらった缶の中身を回すように揺らしながらどこか排気ガスに似たモノが早く抜けないかとイライラしたりする。



優しくされるのに慣れていない。

こういうのを精神的なMというのかとようやく納得していたりする。
優しく真綿で首を絞めるように他人に親切にするのは得意でも(そういうのを親切と呼ぶのかは知らないが)、優しくされるとどうにもうろたえて逃げ出してしまう。
下心が薄く透けているといい。
あるいは、親切という意図なくされているのならいい。
僕自身は計算ごとが苦手でも、まだ相手に何らかの期待や欲望があっての行動は対処しやすい。
期待された程度の何かを返すか返さないかの話に終わるから。



炭酸に痺れたような舌が気持ちいい。こうした時に食べる物は何もかもがぼんやりと不味い。
結局僕はたぶん、世界は僕から少しだけ遠くにあるのがいいと思っている。
長めの前髪しかり、鈍くなる感覚しかり。
少し遠くにおいて眺めれば、自分が身を置かず、手に届くと思わなければ世界はとても平和だと思う。



ただ優しくされるのはよくわからない。
 僕に優しくしたところで何のメリットも無い人が、
と考えるのがそもそもダメなのか。
素直にアリガトウと言えないくらいには、ヒトの裏側を見透かすのが習性になってしまっているらしい。
なんだかイヤな話だ。


物理的でなく精神的になら、少々痛いくらいに傷んでいるのがいい。
ひとを忘れないくらいに。
何とも不健全な話。
不毛という言葉はとても嫌いだけれど、こういう自分を表すにはちょうどいいとしか言えない。







↑必死に、ギザギザの傷口に

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