あきれるほど遠くに
心なんか言葉にならなくていい。

2007年06月25日(月) あまおとの解釈





雨また雨。
激しい頭痛や体調不良なときに限って燦々と降り注ぐ陽射し、という気分。

雨で気が滅入るということはないけれど。

穏やかに、しとしとと、という雨がなかなか降らないからかもしれない。
穏やかに物狂おしく、巡り続ける何かのように忍びやかに降り続く雨がくればいいと思っている。
願っている。


梅雨のあめはユーモレスク。

弾きようによっては穏やかにたどたどしく、そして物悲しい。
雨の中をこけつまろびつ踊りながら走っていく幼い児のような。
自分でピアノに向かうことはもうなくても、指先から穏やかにこぼれた和音を、その響きを、その不調和を、時折水に渇くように思い出している。


ショパンの雨だれは甘すぎて嫌いだ。
独りよがりな雨の解釈。
そこに佇むひとはあくまでも自分ひとりで、どうしようもなく淋しいのにそれに気付こうとしない。

そして不意に我に返ったように軽くなる音がどうにも気に食わない。









↑たとえ彼がどんな大家でも、さ。

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アラベスク。ドビュッシーの1番。
校舎の奥の教室。
小さな、調律も不備なアップライトピアノ。
朝、心がどうにも、落ち着かないころ。





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周防 真 [MAIL] [HOMEPAGE]

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