刑法奇行
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2002年10月24日(木) 中国奇行その3

 武漢では、何人かの懐かしい中国学者に再会した。馬先生をはじめ、つい最近まで早稲田にいて、博士号を取得した張さん、そして、私の研究室に2年間いた馮さんである。
 馮さんは、かつてO塚仁先生のところにいて、その後、ヤコブスのところへ行き、その後、私のところに来たのである。2年程前になるかもしれない。そして、現在再びヤコブスのところにいるという、うらやましい学者である。
 驚いたことに、何日目かの夜、接待の後、午後10時ごろかもしれないが、外に行きましょうというのである。武漢の李教授と女子院生を連れて、4人で、10分ほどタクシーに乗って、カラオケに行ったのである。それがなんとも怪しいところで、2階にカラオケ室が多数あり、1階には何人か女性が暗いところに点在しているのである。馮さんは、「1階は危険ですよ、先生」といっていた。
 まあ、とにかくカラオケであるが、操作がみな分からず、女子店員が付きっきりで、操作してくれるのである。飲み物とおつまみもあるが、日本の歌は「北国の春」だけである。中国の学者たちは、大声で歌を歌っていたが、まったくメロディーが分からなかった。何とか終了して、おつまみを全部持ち帰るという交渉をしていたようだ。活発な議論の応酬である。店員は、袋にザーとおつまみを入れた。
 それから帰ると思ったら、「ボーリングに行きましょう」というのである。こんなに遅い時間にボーリングをやったのははじめてである。これまた、女子従業員がわれわれのボーリングを見学しているのである。

 もうくたくた状態で、武漢大内の宿泊施設に到着したが、すべてが閉まっているから、冷や汗が出た。なんと、ひざまでの低い壁を乗り越え、玄関に到着すると、馮さんが玄関をドンドンたたき、怖いガードマンさんがドアを開けてくれたのである。そして、李教授は、乗ってきたタクシーで何も言わずにそのまま自宅に帰ってしまった。
 馮さんは、日本にいたときは、カラオケもボーリングもしなかった。どういうわけか聞いたら、ここは中国だから安心なのでというのである。まさに、危険と安心は相対的なもので、視点の置き所の違いによることを実感した。私には、まだ歌舞伎町の方が安心と思えたのだが・・・。

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