刑法奇行
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2003年02月20日(木) 不条理ズ

 もう言葉にするのもいやになるくらい忙しい。何から手をつけていいのか分からないまま、ただ学部の仕事だけは、オートマティックに進んでいき、それに運ばれている自分がいる。他方で、締め切り原稿がボブサップのように立ちはだかる。奇行を書いている暇はないのだが・・・ここに不条理がある。
 今日、またまた芳林堂で、大学院同期でいまだに司試を受けている、M本君に会った。元気そうだったが、髪が真っ白になっていた。また会う機会があるか分からないので、拙著『修復的司法の探求』を買って謹呈した。自分の本を定価で買うとは思わなかったが、まあしょうがない。あとで送ればよかったかもしれないが・・・ここに不条理がある。
 思えば、昔からずっと、この世は不条理である、という命題が好きであり、カミュが特段好きだったことは、以前にも書いた(と思う)。さまざまな現象の原因を突き止めることは、必要なことではあり、因果関係は、あらゆる分野で重要なテーマとなっている。あるいは、すべての事象は必然であるということもできる。
 しかし、韓国の地下鉄放火事件になぜ巻き込まれたか、なぜガンになったとか、さまざまな「なぜ」の究極は運命としかいいようがないのではないか・・・ここに不条理がある。
 どうもがいても不条理であるならば、がんばってもしょうがないではないかというのが、若者の多くに見受けられる。しかし、これは違うと思う。楽しい人生を送るためには、がんばる必要があるのである。注意すべきは、がんばる対象は何でもいいということである。一元的な価値だけを押し付けるところに問題がある。がんばって、がんばって、休みたいとか、遊びたいとか・・・どっかで聞いたことがあるが、そのときは、死ぬ必要はないが、ケセラセラで行きましょう、というのがいいのである。
 この時期は、青春の光と影が交錯する。希望と絶望の実在的競合である。今日希望に胸膨らんでも、明日には絶望がやってくるかもしれないし、今日絶望に打ちひしがれていても、明日には希望がやってくるかもしれない。それは誰にもわからない・・・ここに不条理がある。
 明日という字は明るい日と書くではないか!

ジャーニー to 「孤独な散歩者の夢想」(ルソー)再読

 


norio

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