刑法奇行
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2003年04月27日(日) |
新学期(涙)そうそう |
この奇行もずいぶん間が空いた。新学期は何かと忙しい。講義などが順調にマンネリ化?すれば、楽になるが・・・。もちろん、いうまでもなく、会議は踊っている。新学期は、いわば日常性に帰るまで、あわただしいのである。連休明けを待つしかない。そして、学生も落ち着きを取り戻し、こちらもまた日常性の中に埋没し、何もなかったかのような時の流れに流されていく・・・。
22日に、われらの恩師の佐々木史朗先生がお亡くなりになった。この奇行で何を言っても、空しいだけだ。ただ、ついこの間の研究会夏合宿での、かぎもとやの「大天ざる」を豪快に召し上がっている先生のお顔お姿と、3月にお見舞いに伺ったときの先生のお顔お姿とのあまりの違いに驚いているのである。苦しそうな様子の先生が「人生はいろいろあるね」と言われたとき、ただ沈黙するだけであった。
人間にとって死は避けることができない。それは生物であるからであり、当然のことである。パーソンズの晩年の著作『人間の条件パラダイム』を本の山から探し出した。彼は死の意味から出発して人間の条件を考えるのである。思うに、有機的な個体、そしてPersonも死ぬが、社会システムと文化システムなどはなお持続し、その中で、個体も生き続けると考えられるのではなかろうか。われわれの中でずっと生きているとかよくいうのもこれだろう。
問題は、われわれの中でずっと生きているということを形にして現すにはどうしたらいいかである。少しゆっくり考えてみたい・・・。
昨年、喜寿論文集の刊行と祝賀パーティーの挙行を実現したことが救いであるかもしれない。しかし、奥様のお話によれば、パーティーに出かけるときも、とても苦しかったのであり、欠席を助言されたが、みんなに悪いといって無理に出席されたということである。 ただただ、先生に感謝するしかないのである。
中野次雄先生、鈴木義男先生、そして、佐々木史朗先生・・・と、院生時代から、ずーとお世話になった先生方がとうとう・・・である。 しかし、いまでも、皆で話題にしたり、まねをしたりしているから、空からきっと苦笑いをされているかもしれない。相変わらず、親父ギャグは進歩していないと・・・。
ジャーニー to いずれお会いします
norio

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