刑法奇行
INDEX過去未来


2003年07月11日(金) 論文ローゾと頑張るジャン

 7月になって、まだ奇行を書いていないことを、魔女大のM藤君から指摘されて、それではそろそろというわけである。書かない習慣ができあがると書かないですんでしまうということは恐ろしい。これが論文となれば問題である。論文(解説的なものも含む)の方は、書く習慣をつけなくてはならない。その意味で、習慣という後天的なものではあるが、一種の生来的なものになればしめたものである。だから、ロンブローゾならぬ、論文ローゾなのである。

 G代K事法の連載が終わっても、すぐに共犯の特集で、久しぶりに共犯の処罰根拠論を論じた。純粋惹起説のリューダーセンが、宮澤先生のFestschriftで、改説しているのには驚いた。「正犯なき共犯」を否定している。そして、リューダーセンもトレクセルも、自分のFestschriftがでていることにも驚くのである。ずいぶん年月が経ったと、感慨に耽ってしまう。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」・・・芭蕉の境地にいよいよ達したのだろう。

 昨日の「現代社会と犯罪」では、少年犯罪の原因と少年法について講義した。事件は重い。触法少年である。少年法改正のむなしさが露呈した。少年法で予防などできないのである。少年たちの日々の生活が大事である。鎖が大事である。人と人とのつながりが大事である。そういってもただ空しいだけかもしれない。これも年かもしれないが、最近は、被害者の親と加害少年の親のことを考えてしまう。それぞれ一生懸命育ててきて、この悲劇である。

それはそうと、早いもので、夏休みも近い。28日から1日まで、例によって、学部と研究室の合宿である。追分セミナーハウスと第一法規寮である。そしてもうすぐ、師走である・・・これは早すぎるかもしれないが。
 しかし、ペナントレースは、終わったも同然である。夢ははかなく消えた。無様な試合をし続けるのはやめにしたらどうか。
 もっとも、無様さが大事なのかもしれない。所詮、人間は無様である。まさに、レ・ミゼラブルなのである。しかし、主人公の名は、頑張るジャンである。徹底的に無様な状態で頑張るしかないのである。無様な状態に対して、拍手喝采を送ろうではないか。

ジャーニー to 流れていく(流星by拓郎)


 


norio

My追加