2003年02月17日(月) |
石井政之『顔面漂流記 アザをもつジャーナリスト』★★★★☆ |
 『顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト』 石井 政之 かもがわ出版 (1999/03)
帯より。 『アザと戦う”自分探しの旅” 「衝撃的な本である。そして、名著として評価されるべき内容の作品でもある。」(共同通信)』
顔に痣のある人の、違和感、自己否定、疑問、やりきれなさ、諦観、怒り、孤独感。障害ではない障害。わかるかといわれると、わからない。 でも、かなりわかる方だと思う。 なぜなら、私自身が「そっち側の人」でもあるから。
私の頬にある傷。 10センチくらいの切り傷。縫合の跡。 「女の子」なのにそんなものがあるなんて。ね。
子どもの頃は、当然、いじめの対象になった。 この本の著者は本の最初で「はじめてのあだ名」が「キカイダー」だった。 そして私は「ヤクザ」と呼ばれた。 「ヤクザ」を意味して頬に傷があることを指でしめす。まさにその位置にある、私の頬の傷。
今でも忘れられないいくつかのシーン。 絶対覚えてなどないだろう、彼女達の、書くのもためらう言葉の数々。 何気ない一言が、何気ない行動が、ひとを深く傷つけることを学んだ。 自分自身も刃になった。そのことの方が今は悲しい。
何よりつらかったのは、傷があったことではなく、傷のある自分をありのまま受け入れてもらえなかった(と感じた)こと。 一度、目立たなくする手術をした。 当時はその「親心」に感謝し涙したけれど、今は複雑な思い。
傷のある私では愛されないの? ありのままの私では受け入れられないの? 化粧をしないとだめなの? 隠せばいいの? 悪いことしたわけではないのに、隠さないといけないの? 私には、隠さなければいけないものがあるの?
化粧をしない私。 女らしくない私。(ま、もともとガサツですが) それは「傷を隠し、従順で女らしく、女性として『欠けた』ところがないようにしていれば、嫁としてもらってくれる男性が現れて、『ひとなみの』幸せをつかめるかもしれない」という親の気持ちに反発してたからだと思う。 とらわれている、という意味では親も自分も同じだった。
親の「世間」は狭かった、と今は言える。 それは100%親の責任ではなく、彼等も不幸だったと言える。
世の中には、いろんな人がいる。いた。 傷のある私をあからさまに「悪意ある関心」で見る人もいれば、「善意の無関心」の人も。そして前者にこびる必要もなく、後者が特別素晴らしい人だと思う必要もない、ということもずいぶん後になってから自分で気付いたよ。
ただ、恵まれていたことは事実。 気付けたことはラッキーだった。
傷のおかげで失ったものも多いけれど、得られた物も多い。 今は幸せだから、傷を負う前からやりなおしして別の人生を始めるか、と言われたら今のままでいい、と言える。(別の時点からやりなおしたいですけど)
この著者の石井さんは、『ユニーク・フェイス』という顔に疾患、損傷などがある当事者のためのセルフヘルプグループを作っている。 URLはこちら。 http://www.uniqueface.org/ もしかして私が役に立てることがあれば、お手伝いしたいな。
この本のラストに、こうある。 『この赤アザも、答えをもとめて長い旅に出るとは想像もしなかったろう。 「お前にとってアザとは何だ?」 赤いアザよ。答えてやろう。 人間である証だ。』
私もまねっこ。
「お前にとって傷とは何だ?」 10センチの傷よ。答えてやろう。 わ た し である証だ。
傷つきの私を、まんまで受け入れてくれた、受け入れてくれている私の大事なひとたち、あらためてありがとう。私もありのままのあなたが好きよ。
『顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト』
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