母のタイムスリップ日記
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2002年07月03日(水) 助け合わなきゃねえ。

 昼過ぎにホームに着く。
ホールには、食事中の人が1人とfさんだけ。
職員の人は事務室に3人。キッチンに1人。
食事中の人は刻み食。手も不自由だった。それでも、時間をかけながら
食事をしていた。fさんが見かねたように、スプーンを持ち、食べ物を掬い
その人に渡して上げた。しばらくその光景に見入ってしまった。
 外出届けの用紙をもらうため事務室に行く。ホールでの様子を何気なく伝えると「助け合わなきゃねえ」とぶっきらぼうな声が後ろ向きに聞こえた。
責めるつもり等全く無かったのに。どうやら、要らぬ事を言ってしまったようだ。
 母は居室に屈み込んでいた。後ろから そっと頭をなでると、「優しいね」
と私に気付いた。どこか具合が悪いかと聞いたが何でもないと言った。
シャンプーの匂いがしたので入浴したと思われる。
直ぐに外へ出た。デパートを歩いていたら、鏡を見て、表情を整えた母。
どうかした?と聞くとおかしな顔つきしてから・・・・。とのことだった。
すこし臭うのでトイレに行く。デパートのトイレは広くて助かる。
 下着がすこし汚れたので応急処置をして、自宅へ。
お風呂の準備をして出たので、直ぐに入浴して貰った。下着から上着まで
全て取り替えた。ちょっとした事なのだが、下着しか汚れてなくとも、外の
服まで臭いが付いてしまうので、全部替えるのだ。
 つめを切り、水虫の薬を塗った。おやつを食べ、お茶を飲み、歌を歌い、
施設へと戻る。ホールにはまた誰もいなくて、私たちの声で、iさんやtさん
がでてきた。あんた誰?というtさんに母は、知り合いでしょ。と訴えた。

パソコンの壊れていた間の事。(その1)
 母 故郷に帰る。
亡き父、また母が世話になった親戚の人が亡くなったので、葬儀に参列の為、
故郷にむかった。
母は、故郷の山並みを見ても、「何処にも同じような山があるのね。」と
言った。帰っているという感覚がなかった。おそらく、母の故郷は、昔々の故郷しかないのだなと思った。
 親戚の人に囲まれるとすごい笑顔となった。皆、懐かしがり、病と知っていても、せっせと話しかけてくれた。私のことを違う名(いとこ)で呼んでも
否定せずに相手してくれた。嬉しかった。・
 母は、数年便りもなく、会っても無い2人の息子とも再会。
これが、私の1番の悩みだった。できれば、会わずに帰りたかった。
私の頭の中に弟2人の存在は消してあったから。
 でも、グループホームに入居した事も知らせなければならない。
弟達は数年前から施設へと言っていたので反対しない事は判っていた。
結局の処、弟とは会い、2男宅(母の家)に泊まり早朝、帰路に着く。
 ホーム入居を知らせ、我が家へ拠らなくとも、母の所には来なさい。
親子なのだから・・・。とだけは伝える。

 今回の収穫。
母のアルバムを2冊持ち帰る。その中から、母の母の写真。家族写真2枚。を、焼き直して、施設へ持っていった。  
ちょっと、肩の荷が下りた。

    




  



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