母のタイムスリップ日記
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2002年09月22日(日) 判らない事。

 介護の話から外れるが・・。
数日前の夕方5時ごろ、洗濯物を取り込み忘れてベランダに出た。
綺麗な青空に目を奪われていたら、トンボが視覚に入った。
「今年は、トンボの数が少ないなあ。」と思っていた所だったので
暫く、空を眺めていた。
 はじめは数匹だったのに、どんどん数が増えてきた。
気が付くと、皆、同じ方向に飛んでいくのだ。「そんな馬鹿な事」と
更に見ていたが、やっぱり 皆同じ方にに向かっている。
 「かぜのせいかな」とも考えたが、風もそれほど無い。
「近くに大きな、公園があるから、そこで夜を過ごすのかな?」とも
考えた。
でも、家の周りだって、木は多い方だ。
 トンボのねぐらって・・・・・。???????。
生まれるのは、川だから・・・。近くには川の合流地点が2箇所ある。
その周辺に、草や木がある。そして、林も。
 そこが、ねぐらとなる筈ではないのか・・・?
こんな年になるまで、何も知らない自分がなんだか 恥ずかしく、
そして、哀しくなってしまった。
 その後、気を付けてみているが、昼のトンボは、それぞれ違う方を
向いて、気ままに飛んでいた。
 夕方は、曇り空なのでトンボに目にあわない。
******   ********

 昨日の午前中、母は「故郷に帰る」とかなり不穏だったと言われた。
そういえば、荷物はあちこちに纏まって置いてあった。
 母は、何故、纏める物と纏めない物があるのだろうか?
おそらく、母の所有物とそうでない物に分けているのだろうと推測する。
 だから、折りあげた作品は母のものだ。
でも、持ち物全てに名前が付けてあるのに、なぜ、分けるのだろうか?
 母は、帰ろうとする時、着ている洋服さえも「自分のではない。」と
脱いでしまう。それが、数年着ていたものでもそうする。
次に着る服だって、数年着ていたものなのに。
 時には、「私の物ではないけど、お借りします」と言い出す。
ずっと、昔にタイムスリップしているのだから、母の記憶の時代の服等
あり得ないし、今の周囲の人の服をみれば、判りそうな気がするのだ。
 母の頭の中は、昔も今も同列になっている部分があるようで、そこに、
違和感は生じない様子だ。
以前は、気になり、「ほら、あの時買ったでしょ。」と思い出探しをした
ものだが、今は、そうした事に拘らない方が良い時期に差し掛かっている。
 だから、その事で母を探らなくなってきているので、余計に纏め分けの
判断基準が判らないのだ。


 家に帰る症候群は、母にとって必要な時間なのかもしれない。と此の頃
感じる。
だとしたら、荷物を纏める事も仕方無いのかもしれない。
 だけど、在宅で無いから、こんな風に思える事なのだよなあ。
目の前で毎日展開され、そうならないようにあれこれ動かなくても良いの
だからなあ。
 施設で、母が「帰る」と訴えれば、それは 大変なのだろう。
どの辺で、納得して行けば良いのだろうか・・?
 


 


 



 


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