母のタイムスリップ日記
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2002年11月15日(金) 母との合作

 この時期になると、母と共に芋茎作りをした。
母は、いつも、「なにかする事ない?」と
聞いた。
私は、母の為の作業をいつも考えなければならなかった。
其の時、道具も要らず、実用的なこの作業を思い立った。
地場の農家の人が出すお店では芋の茎がこの季節になると出た。
芋茎は、食べた事があっても作り方は良く知らなかった。
いや、食べたのだって、故郷に住んでいた頃冬に1度くらい食べる程度だったのだ。母は、ひょっとしたら、作り方も知っていたのだろうけれど、私が育つ過程で作ったのは見たことも無いのだった。作ったという話も聞いた事も無いのだった。
そんな訳で、農家の人に作り方の確認をした。
きっと、私の何処かで、誰かから聞いているのだろう。
「これは、皮を剥き、干すだけで良いのですか」と。
農家の人は、皮は剥く人と剥かない人が居ると言った。
私は、作業が長く続いて欲しいので、皮をむくことにした。
手が灰汁で黒くなってしまうが、仕方が無い。
テーブルに新聞紙を広げて作業は始った。
割と感単皮が剥けるので、丁度良い作業だった。
剥き終えた芋の茎を紐で吊るせる様にして数日干して出来上がり。
これを、また料理した。
食べる時には、自分で作った事など忘れている母だが、「ほら、前に作ったでしょ」と食事時に話題にした。そうする事で唯食べるのでなく楽しみながら
食事が出来た。
今年は、未だ作ってない。
やはり、この作業は私が母から開発された能力なのだろう。
きっと、母が痴呆にならなかったら、作る事もなかっただろう。
だから、母に感謝しなければならないのだ。

今日、面会に出かけると、母の居るフロアは、お掃除の業者さんが入っており
誰も居なかった。別のフロアにみんないて、いろはカルタをしていた。
読み手がはっきり発音できないのと、耳の遠い人が居てなかなか進まず飽きている人も居た。ちょっとお節介癖が出て、補足読みをした。
みな、上手に探し出すようになった。
一度終って、再度挑戦。皆やる気を起こしていた。
2度目が終った時、Hさんが、カルタの読みを口にしたので、それではと、今度は、頭の言葉だけ読んで、次の言葉を言うようにしてみた。百人一首みたいなものかな?
みんあ、すらすらと言葉が出てきた。
聞けば、まだ、文字も知らないうちから、お兄さんお姉さん達がしているのを
見ていて覚えたと話してくれた。
それにしても、良く記憶に残っているものだと感心してしてしまった。
掃除も終ったので、自分たちのフロアに戻った。
みんな、いつもと違うフロアにいると気がついていた。
やはり、こういう事はわかるのだなあ。
その後、母と散歩した。かぜが、冷たく感じた。


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