母のタイムスリップ日記
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2002年11月20日(水) 記憶。


 昨日の日記でも触れたが、母が2年前に診ていただいた歯科医の事を思い出していた。
嫌な経験は、記憶に残り不穏の原因になる事は、今までの経験から推測できたが、良い経験も記憶に残る事もあるのだ。
 
トイレから用を足して出ても、ドアを開けた途端 記憶が消えている。
食事した事だって、記憶から消える。
風呂上りだって、浴室で身体を拭いている最中に「風呂は行ったかな?」と言うほどなのだ。

それなのに、2年前の事を思い出せる・・・。

その記憶形態は、どうなっているのだろうか?
とても、私の中では整理できそうも無い。

2年前、母の記憶は、引き出してあげれば思い出せていた。
だから、「歯医者さんに行ったね」といえば、「あーいい歯医者さんだった。
偉そうなお医者さんが多いのに、丁寧な方だったね。」と引き出せた。
おまけに、其の前の歯科医から、怒られた事まで思い出せた。

ただし、昨日、一度目の診察が済んで、昼食を摂る時に入れ歯を預けてきた事
そして、入れ歯をつけてない事は、認識できなかった。だから、硬い物も食べようとした。噛み切れないと判るとそれを出した。
反応としては、正常なのだが、其の前に噛み切れない時点で「入れ歯が無い」と騒ぐ筈だが、それが無いのだ。

こういう、ちぐはぐさが、痴呆には付いて回る。

その辺を理解しておかないと、「わかっているのになぜ?」となってしまうのだ。

医師は、こういう記憶の事はあまり問題にしないように思うが、介護者にとっては、喜びでもある。
「あー。覚えてくれていたのだな。」と。
ホームに入って、暫く経ち、それまでお世話になったデイの保健士さんが、ホームを訪ねた折、母は、彼女の事がわかって、とても懐かしそうにしたそうだ。
それが、とても嬉しかったと彼女は言っていた。
母は、誰かは認識できない。でも、心地よい関係だった事と顔は、覚えていたのだろう。

今日、お会いした方も、目が見えにくくなって判別が付かないと言うお義母様が、声で、判別出来ていたようで「あー来てくれたのね」と喜ばれたと言われていた。息子であるご主人の事は、判別できなかったそうだ。

心と記憶は連動しているかのようだ。


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