母のタイムスリップ日記
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2002年11月21日(木) 全ては心の内に。


 昨日、ある所である人達と会った。
其の中のお一人の事。
其の方の奥様が8年ほど前にアルツ発症。
お子様は学生さん。
難しい年齢の為、奥様の病名を伏せられたらしい。勿論親戚にも。
家事等 無縁だったのに、其れを機に始められたとの事だった。
「徘徊、物忘れ等で気が付く事無かったのですか?」と聞くと、
「他の病名で、逃げた」と言われた。
お子様の受験期も乗り越え、自らもお仕事をして、介護を続けられたとの事
だった。
「今までの事を書いたら、1冊の本が出来ます」とも話された。

私も、母を抱えて、娘の2度の受験と就活を通ってきた。
受験期のピリピリモードと介護は、かなりきつかった。
相当の愚痴が溜まった。友人達が、吸い取ってくれたので何とか乗り越えたが。
私は、自分の親なのにかなり参った。
けれど、其の方は、全てを一人心の内にしまい込み介護と子育てと仕事を
続けられてきたのだ。

今は、お子様も大きくなられ、全ての事をご存知なのだろう。
結婚なされて、一緒にお住まいだと話されていた。

「一通りの大変さは過ぎた」と話された。
今は、寝たきりで過されて居られる様子だった。

お話を伺い、大きな溜息が出た私。
自分の弱さを改めて思い知ったのだ。
呟きの多かった私。

青空の下に、赤、黄、オレンジ様々な葉の織り成す紅葉が見られた。
青空の下に、様々な人々の織り成す介護模様がみえた。

けれど、私は思った。
「大変なら、託せば良い。そして、一息ついてもいいじゃないか」と。
己の足りなさを自覚しながら、そう思った。  駄目な私。

今日の母は、寂しんぼモードだった。
「私が、ちょっと話した事が大きく広がってしまって・・・。」と困っていた。
「誰が?」と聞くとホールを指して「あの中の人」と言う。
見た限りでは、ホールは平和そのものだし、悪いモードではなかった。
私が着く直前に何かがあったのだろうか?
母の記憶はそう長く続か無い筈だから。
母の頭を撫でて「大丈夫?」と聞くと「なんだか 子供みたいだねえ。大丈夫よ。」と言った。

母と共に散歩に出て戻ったら、ホールは入居者のみだった。
どうやら、会議らしい。「判るけど・・・。」でも、保安要員ってという配慮はできないのだろうかなあ。そう思ったら、人の気配を感じたのか、おばさんが
入ってきた。
何処の施設でもそうなのだろうか?
確かに大人数の施設で一人の保安要員が待機したとしても、似たような状態ではあるから、何ともいえないが・・・。

一人にしない在宅の生活。判断力の衰えた人達の小集団。
危険は無いのかなあ。そう、暖房も止まっていて、一人の人が「寒い」といっていた。服を出して、着せてあげたけど・・・。ちょっと、気になった。


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