母のタイムスリップ日記
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2002年11月27日(水) ようやく実現できました。(3)


 今日は、雲ひとつ無い青空だった。
夫は、珍しく「帰宅遅いよ」と断って出た。
帰宅は、いつも遅いのだ。でも、ひょっこり早い時もある。
だから、なかなか難しい。
施設に電話した。
インフルエンザの予防接種の確認をした。
まだ、未摂取でこれから順にということだった。
「チャンス到来。今日は外せない」
急いで支度してソレッと施設に向かった。

海辺の町に行くのだ。
夏の終わり頃より考えていた。

ちょっと贅沢だけど、今回はタクシーも使う事にした。
帰郷しても、旅に出てもこれ以上かかる。
日にちだってかかる。今は、これしか出来ない。

母には「海に行くよ」とだけ言った。

行く道は、存分に景色を楽しんでいた母だった。
何処に行くという楽しみではなく「外に出た楽しみ」だった。

2時間足らずで目的地に着いた。
駅に降りてタクシーに乗り込み「海の臨めるおすし屋さんへ」と頼んだ。
運転手さんは、暫く考えて、動き出した。
着いた先は、申し分の無い場所だった。
すしのおいしさは、求めなかったのだ。
ただただ、海に近い所で寿司を食べさせたかった。
其の店は、海まで数メートル。ガラス張りの2階はもう見渡す限りの大海原。
母は、とてもとても喜んだ。「あー。ぐるり海だあ。」
おまけに富士山も望めた。
寿司より何より1番に望んでいたのはこういう場所だった。
寿司も母は喜んで「おいしいよ」と食べた。
そして、何よりも安心だったのは、お客が私達以外いなかった事。
貸しきり状態。何と贅沢なのだろう。
初冬を思わせる高い波でサーファーが波乗りをしていた。
平日だから、人も多くない。
ちょっとだけ外を歩いた。波しぶきが少し飛んできた。もっととも思った。

欲を言えばきりが無い。
海辺を歩いたり、街を見たりと・・・。
でも、今日はしない。そう決めていた。
ただ、幸いな事に「駅」が徒歩3分の所にあった。
だから、電車に乗って景色を楽しんだ。

そして、帰路に着いた。
夕暮れ時の帰り道は、疲れと夕暮れ症候群とで母は不穏になった。
勿論、計算済み。
電車で向かいの席の人にも不穏の視線を浴びせ始めた。言葉も。
仕方なく、タクシーに予定変更。
タクシーの運転手さんにも同じような視線と言葉。
私は、小さな声で「すみません」と謝り説明を加えた。
運転手さんは心よく理解してくれた。
母の不安は闇に包まれ始めると更に加速した。
「後ろから車がつけて来る。」「下りる時は心配ないのか」「皆、寝とてしまっているのではないか」と。
其の度に、母の手をぎゅっと握り締めていろいろのお話をした。

見慣れた景色になるとようやく母は落ち着き始めた。
本当に不思議なのだが、痴呆になってから来たこの地なのに認識があるのだ。
一人で歩けないだろうが、見た景色なのだろう。

ようやく、ホームに到着。けして、就寝する時間ではない。
皆が夕食をとるくらいの時間なのだ。

あの不穏さだったので「ここは家じゃない」と怒り出すことも想定していた。
でも、すんなりと「ただいま」とはいった。
家ではないけれど、「住んで居る所」という認識がやはりできているのだなと
感じて、ほっとした。

そそうしても 大丈夫なようにオムツ2枚とポケットティッシュ5組。濡れティ
ッシュと準備していたが使わずに済んだ。

母は、皆と共に夕食を食べ始めた。
私は施設を後にした。
家に戻り残り物で夕食を済ませ、急いで家族の為の夕食を作った。
全てセーフ。

これで、ようやく肩の荷が少しだけ下りたような気がした。

今朝、訪問者3000を超えました。
読んで下さった皆様 有難うございます。
3000はどなただったのでしょうか?
 


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