母のタイムスリップ日記
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| 2002年12月22日(日) |
さんしち にじゅういち。 |
今日は冬至。 これから、少しずつ日が長くなると思うと嬉しい。
日本全国 冬至で 小豆かぼちゃを食べゆず湯につかるんかなあ?
我が家もご多分に漏れず小豆かぼちゃとゆず湯。 早朝から仕込み、母の所にも運んだ。 でも、施設で準備があるなら食べさせなくともよいかな?と思った。
けれど、施設では少なくとも昼食までに小豆かぼちゃは無かった。 それで、母に食べてもらった。 昼食が済んだばかりで食べないかもしれないと思ったが「おいしい」だった。
さらに、入浴はどうかな?と見ていても一向に其の気配なし。 寒いのでどうしようと思ったが「恒例行事だし・・・。」と家に向かった。
今日も、私は昼食前に家を出たので家で昼食。 やっぱり、母も食べた。少しだけと思ったが私と同じ量を食べた。 母は、昼食を食べ、かぼちゃを食べ、更に2度目の昼食。 満腹神経がどうかなってしまったのか?それとも、施設の量が少ないのか? やはり、食事の時間に訪ねるべきだと思った。
それから、入浴。 湯船に浮かぶゆずを「おみかん いっぱい」と喜んだ。 「幾つあると思う?」と尋ねると暫く眺めて「三七 二十一」と言った。 どうも、7つ数えて、目標をたて3倍にしたようだった。 数えたら、22だったがそれでも、見立てが出来る事に驚いた。 「あったま いい。流石だね」と言うと「そんなこと有りません。私はわからなくなりました」との事。 実は、施設で小豆かぼちゃを食べている時「今日は、12月。日が一番長いのだけど何の日?」と聞いたが判らなかったのだ。 昨年は 判っていたのに。 痴呆がすすんだのか?それとも、刺激のなさからか?
おそらく、在宅の時は 家でも、2箇所のデイでも「冬至」とか「冬」とかの キーワードは頻繁に出ていたと思う。 帰りのバスの中の会話だって馬鹿にならない。 今は、きっとないと思う。そういう、刺激って磨かないとどんどん磨り減ってしまうような気がする。 其の証拠に、何回も「冬至」の話題を会話に取り入れたら、「冬至」と言っただけで「小豆かぼちゃ」といえるようになったのだ。
やはり、足りない所は、自衛で保護する事は必要だなと思った。
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