母のタイムスリップ日記
DiaryINDEX|past|will
施設には「元日の夕方5時ごろ夕食を済ませて戻ります」と伝えてあった。 けれど 元日の家庭はゆったりとしていて5時に夕食を済ませるには無理があった。 母一人、先に夕食と言うのも気が引けた。 そんな訳で、施設に「8時過ぎに戻ります」と電話した。 もう一泊させたい所だが、宿泊する人が居てそうも行かなかった。
母には後日 また 泊まりに来てもらう予定だった。
午後の母は、塗り絵も縫い物も直ぐに飽きてしまい溜息ばかりだった。 外に連れて出ようと思ったが、着物を着るために立っていたら「足が痛い」と言う訴えが強く出ていたので無理はさせられなかった。 そこで、元日の新聞を見せた。 これに、母は はまった。 それは、朝日新聞のあの顔この顔 テレビ50年と言うそっくり人形がたくさん写っているものである。「面白い」と見ていた。 「知ってる顔がある」と言っていたがどれだったのか確かめられなかった。 後で私も見てみたが よくわからないのもあったので、母はどれを指して言ったのかが気になった。 夕食は、客人と共にした。 あれやこれや、楽しそうに食べていた。 ダイニングではなく、居間の畳に座って食べた。 なんだか、半年以上も母の居ない生活があったなんて思えないほどに溶け込んでいた。
8時少し前 娘の運転で母を送って行った。 母のフロアの人は皆、眠りにつきとても静かだった。 お神酒等を飲み、適度に酔って眠られたらしい。
布団を敷き、パジャマに着替えさせて見たが 私と一緒に寝るのではないのか一人は怖いと不安がった。昨日は、一人で寝る時何でもなかったのになぁ。 「私は、上で寝るのよ」咄嗟に言い訳した。(実にいやらしいな) 職員の方も「そうそう、上に泊まるのよ」と口裏あわせしてくれた。 職員の方が母の枕元で話している隙にそっと部屋を出た。 職員の方に「お願いします」と目線で挨拶をした。
そうして、母の宿泊は終了した。 特に大きく困る事もなく過ぎていった。 やはり、母がいると母に付きっ切りとなってしまう。 今の自分がどんなに楽であるかを改めて感じた。
そして今日、夫が外出して帰路を徒歩で帰宅。 少しお酒が入ったせいもあるだろうが「上り坂はきついな」と言った。 その坂を86歳まで毎日歩かせていたのだ。 夫もあらためてその事の偉大さに気が付いたようだった。 私も母を連れて歩かせたのだから、この年で弱音は吐けないしこれから先母の年齢に追いつくまでは歩き続けようと思った。
|