母のタイムスリップ日記
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2003年02月26日(水) 其れは突然に…。


 日中は、銀行の振込み等に追われていた。
日も暮れかかり、夕食の支度を支度をしようと台所に立った時電話が鳴った。
母の入所している施設からだった。
「大した事ではないのですけれど。お母様の様子がおかしいのです。朝はようやく食事。昼は召し上がっていません。部屋で、大きな声で泣かれていらして足り、鉢植えの土を巻かれていらっしゃったり・・・。話しても小さな声でしか反応しなくて。塗り絵もまったくしなくて。一日目をつぶっていらっしゃり横になられた…。お母様らしくなくて、鬱の症状のように見えます。」
「わかりました。これからそちらへ参ります」
来所してくれと言われた訳でない。でも、大変だろうと言う状況は理解できたし、母の事も気になったから出かけた。

みな、夕食は済んでいた。母はソファーに座って虚ろだった。
私を見て「来てくれたの?」と言う顔をした。コートを羽織って「取り敢えず家で食事をさせ9時くらいに戻ります。」と伝えた。
母は、目をつぶったまま靴を履いたり歩いたり殻に閉じこもっているように見えた。何に対しても興味を示さなかった。
我が家に着き車を降りる時も門をくぐる時も目は閉じたまま。
盲目の人を連れているような感覚になった。

今日は、お赤飯なのだが、仕込みは出来ていても 他は何にも手をつけてなかった。
久々に、母の前での夕食の支度となった。
母に歌集を広げてあげても目は閉じたままなので駄目。
「折り紙おる?」と聞けば「忘れてしまった」と言う。
ビーズを出しても容器を振るだけで広げようともしないし興味も示さない。
塗り絵を出してみると鉛筆を持ったので塗り絵の作業に決めた。

私は台所に立ち、夕食の準備。
一品出来る度に、母の所にもって行き「味見」をしてもらう。
でも、反応が鈍い。
普通なら、昼食抜きなら「お腹すいたな」と言うのだけれど其れも無い。
でも、味見は嫌がらず「おいしい?」と聞くと「おいしい」と言う。
耳の聞こえもかなり悪い。聞こえているのに聞き取れないと言う状況なのだ。
心因性の難聴といったところだ。

あれこれ遊びながらの支度だったので時間もかなりかかった。
でも、皆が揃わないので其れまで指相撲やジャンケンをした。
これなら、目を閉じている訳には行かない。
それなりに楽しめたが、いつものようではないし、話がトンチンカンだったりもする。アルバムを広げて写真を見るとしっかり見極めるけれど娘の私だけは判らないままだった。これも、いつもと大きく違っている。

不思議なのは、施設に迎えに行った時 私のことを娘と認識できて名前で呼んだ。我が家に着いた時も娘の家と認識出来ていたのだ。

皆が揃って夕食となった。
でも、母は相変わらず目を閉じたまま。
それでも、箸を持ち食べる意欲はあるのだ。目を閉じているのだから箸は食器に当たっても物まではなかなかつかめない。空の箸を口に運ぶのも度々。
仕方が無いので食べさせてあげた。すると拒否せずにちゃんと食べるのだ。
これまでの母の鬱の時は、口を固く閉じ何も受け容れてくれないのが常だったのだが…。
これは鬱ではないのかもしれない。
ひょっとすると「忘れてしまったか?」
痴呆の加速か?
昨日の母の様子からは想像もつかない。
何か嫌な事が有ったのではないか?
頭の中でいろいろ考えて見るが悪い事ばかり考えても何も生まれない。

取り敢えず、いつも通りの量の食事をして、ケーキも食べた。

今日は、こっちに泊めようかなと思った。
でも明日は外せない日だ。私の代わりに入る人は数日前でないと変われない人なのだ。施設からの連絡も5時を回っていたので連絡の取りようも無かった。
仕方なく10時を廻る頃家から施設に戻った。
帰りの車の中で母が妙な事を言った。
「目を開けていい?」「自分で勝手に目を閉じているのでしょ」と喉まで出掛かったがこれはいっても通じないし言ったからとて何も変わらないのだと思い言葉を飲み込んだ。
施設に付く頃には 車の中で母は眠っていた。
ひょっとしたら、ただ、眠いだけじゃなかったのかな?とも思った。

家での様子を職員の方に伝え、パジャマに着替えさせて母を横にならせた。
間もなく母は寝入った。
其れを見届けて帰宅した。

昨日の母と明らかに違う。今までだってこんな事はなかった。
痴呆の進行は、ある時急速にガクッと変化すると聞いている。
これが、大きな変化でない事をただただ祈るのみである。
全く突然の出来事だった。

今日は、他にも書き留めたい事が2点あったのだが其れは後日に回す事にした。


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