母のタイムスリップ日記
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2003年02月28日(金) 心の中が見えない

 今日の母も相変わらずだった。
朝のうちは、それでも状態が良かったらしい。私が訪ねたときはもう元に戻って目を瞑っていた。
変わったのは、居室に閉じ篭っているのでなくソファーに座っていた事だ。
「普通の生活を」とお願いした事を理解していただけたようだ。
職員の方は 大変な事だろうと思うが暫く此の儘にして欲しい。

今朝は、一番に精神病院(痴呆対応)に電話をして受診したい旨を告げた。
予約となると3月も後半にならないと無理だった。幸い 以前通院しているので診察して戴ける事になった。
医師が予定を調整して下さった。
この診察の結果次第で、次の病院に行く事になる。
その病院も決めてあるので紹介状も書いていただくと言う所まで道筋はたった。

その後
施設の責任者が出勤してくる時間を見計らって電話した。
電話を取ったのは、昨日の夜勤の方だった。その方は丁寧に昨夜の母の様子を
報告してくれた。そこに責任者の方が見え電話を変わってくれた。
そこで、精神病院への診察を受ける事を告げた。
母の様子を伺い、これからの母の対応について改めてお願いをして了解を戴いた。

その後
母の生活を支える事を考えてた。
私一人で、毎日施設に面会に行きカバーに廻る事には 無理が出そうな気配だ。
そこで、一日か二日私の代理を送り込む事を考えた。
施設入所なので保険利用のヘルパーさんは頼めない。
私が活動しているボランティアに頼めないかと電話した。
今までは、其れはしてはいけなかった。でも、以前からそういう依頼はあり窮状を知った時私は内緒で施設に出向いた事は有った。
電話をすると先日そういう活動も導入しようという方向に動き始めたと言った。
これで、OKである。後は施設側の姿勢だ。

私は面会を辞めるわけではない。今まで通りでかける。
でも、身体的に無理が出た場合、代わりの確保は必要である。
じゃ、必要な時だけというわけにも行かない。
母に慣れて貰っておかないと困る時もあるだろう。

施設の介護では、カバーしきれない生活の局面が時折生じる 。
これは、今まで日記を読んでくださっておられる方には理解していただけると思う。
生活の質を高める為には 家族のフォローが必要なのだ。
本来、施設で満たしてくれるのがベストなのだがそうそう個々に対応してもらえないのが現実である。職員数が足りない。
これから先、いろいろ改善される事を祈るのみだが、おそらくこれから高齢者が増えていく現実では、こういうシステムは必要になってくるだろう。
私がボランティアに関わった初期の頃よりこういう要望はずっとあったのだから。
今、受け容れようと動き出したのは足りない部分に理解が深まったのだろうし、動けない介護者が増えて来ているのだろうと思う。

理想論はさて置いて。
施設についてから責任者に話すと了解して頂けた。ほっとした。
後は、母の様子を見て、診察の結果から徐々に動けばよいのだ。

それにしてもどうなのだろう?
室内では目を瞑り俯いたままで歩行すら困難なのだ。
(足の機能が悪いのでなく、目を瞑っているから怖くて足を出せないのだ)
其れなのに、外に出るとだんだん目を開けて 一人で歩行できるようになるのだ。室内では、肩掛けをして倒れないように必死で支えていたのが嘘の様に成るのだ。公園の低い山だって登れる。鳥や子犬が騒いでいるのも見てしっかり後を追ってみて、数を数えたりも出来る。
普段は施設だともなかなかわからないのに、6階建ての4階に自分の部屋があると言ったりもする。施設を見上げる顔に嫌な物を見る表情も全く無い。
施設に戻った時「ただいま」と母は言った。
其れなのに3歩足を踏み入れた途端また目を瞑り元の木阿弥と化す。
我が家に連れてきても同様だ。室内に入ると目を瞑ってしまう。
職員も今日は散歩帰りの母を見て笑顔に気が付いてくれた。
みんな、信じがたい様子である。無理も無いがこれが痴呆者の現実なのである。
夕食はお任せしようと思っていたが元の状態に戻ってしまい離れがたく全介助の食事にあたった。
夕食の40分前に桜餅とお萩を一つづつ食べたのにいつも通り食事できた。

桜餅の食べ始めに少し口に運んであげた。その時「赤ちゃん見たいだね」と言うと「うん」と言った。「元に戻れる?」と聞くと首を横に振った。
「何時から?」と聞くと「少し前から」と言った。
一体母は何処まで判っているのだろう。何がそうさせるのだろう。
心の中が見えなくなっている。





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