母のタイムスリップ日記
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2003年07月23日(水) 母との会話


 母とまともに話しせたのは、何時頃までだっただろう…。
7年前位は、デイでの様子をトータルで話せなくとも一場面を思い出して話してくれた。
電話番号、住所等も忘れないようにと必死で反芻していた。
「忘れるから、書いていてほしい」と言っていた。
それは6年前くらいまでだろう。
お腹が空けば「お腹空いたなあ」と言えた。
食事の支度をする時「手伝うことはないか」と聞いてきていた。
それは、入所前まであったなぁ。
「下手だけど手伝うよ」と言っていたなあ。

でも、今は、そういう会話がない。

今の母に思考力がないのかと言えばそうではない。
見て感じる事はたくさんあるようである。
でも、話し始めて単語が思い出せなくてそれを考えている内に話していた事を忘れてしまっているようである。
話しかけていた事は、覚えていて「忘れてしまった」と哀しそうな顔をする。
そこに居合わせるのは、ちょっと つらい。
ここまで記憶が消え去ってしまうかと思う。
だから、時折 記憶が途切れる前に単語を言ってあげて会話が続くようにする事もある。

それでも「まだ良い方なんだ」と自分を励ましている。

昨日、バスに乗って居たときの事。
空いた座席が離れていた。通路を挟んで座った。
乗客は少なかった。
母が何か話していた。一人言と思っていたが耳を澄ますと
「○○ちゃん(いとこの名)あそこの階段 長くて危ないね」と私に話しかけていたのだった。
見ると、ビルの間に踊り場もなく7階まで続く非常階段だった。
「うん」と頷くと安心したようだった。
また、バスを乗り継いで、今度は前後ろに座った。
車窓からガソリンスタンドが見えた。
「あそこには、男の人と女の人がいるか?」と聞いてきた。
みると、そこに数人の人の姿が在った。
確かに赤い服、髪の毛も少し長目で判断が難しそうだった。
「みんな、男の人みたいだね」と言うと「あーそうか」と返事していた。

今は、こんな風に母の思い、考えた事に反応してあげるのが多い。
「まだ、話せる」と思っている。

不思議なことがある。
「おかちゃん」と繰り返して言うので、「おかちゃんの所に行く?」と聞くと
顔を曇らせる。
「おかちゃんが来てほしい」と言うのだ。
「一人で帰る」と頑固に言い張った母の姿はもう無い。

判らなくなって来ている事もあるだろうけれど、それだけでなく 何かがぼんやりとわかっていて、あれこれ言わないようにしている様にも見える。
これは、子としての欲目だろうか?


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