短いのはお好き?
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2002年04月26日(金) |
バターは古い木の根よりつくられる |
私は、みんなにポーリーヌって呼ばれてる。 エリック・ロメールだったっけ? 彼の『海辺のポーリーヌ』のポーリーヌとは、ちょっとちがう。 私は、妖精。(大リーグボール養成ギブスの養成とは、字もちがう) フランス生まれの。 そのフランス生まれの私が、なぜこんなところに居るのかといえば、これが私への刑罰だから……。 私は母国フランスで、妖精として絶対侵してはならない禁忌を侵してしまった。 妖精には、いくら人を驚かせたり、戸惑わせたり好き勝手に振る舞うことは出来ても、絶対に破ってはならない決まりごとが存在していた……。
私はフランス北西部のフランドルの片田舎で生まれた。 フランドルは中世以降、毛織物業の中心地で、私は羊飼いのセリーヌ家の家つき妖精だった。 私はむろん悪い妖精などではなく、むしろその家を種々の魔物から守り繁栄させてゆくことが私の役目だった。 ところが、ある日私はセリーヌ家に雇われている牧童のフェルディナンに恋をしてしまった。それが、そもそも妖精に許されることではなかったのだ。 むろん妖精といえども恋はする。でも、恋はするけれどもそれは妖精同士のみ許されることで、妖精はヒトを愛してはならないのだ。
フェルディナンは、陽気で気のいい青年だった。 でも、いつしか私はフェルディナンを愛してしまったことに気づき愕然とした。 それは、フェルディナンが私に、自分の恋の悩みを打ち明けたときのことだった。 フェルディナンの恋の相手は、こともあろうにセリーヌ家の主人オーギュストのひとり娘、ソフィーだった。 そのとき、私ははっきりと自分がフェルディナンを愛していると確信した。 はじめは、けなげにもソフィーとの橋渡しを幾度か手伝った。フェルディナンを愛してるが故に、私は彼がソフィーと結ばれ幸福になってほしいと願った。 しかし、私はいつまでも自分の気持ちを欺いてはいられなかった。
ソフィーへのジェラシーは、日を追うごとに増してゆき、私はその嫉妬の業火のなかで身もだえした。 自分でも醜いと思った。醜いと思ったけれど、ソフィーへのジェラシーをどうすることも出来なかった。 苦しかった。 どうにかしてこのフェルディナンへの想いを理性でねじ伏せ、忘れてしまおうと抵抗してもみた。 でも、忘れよう忘れようとするほどに、むしろフェルディナンへの恋心が胸を焦がすばかりで、一向にその恋の炎は消えなどしなかった。
私はただもう、この自分の想いをフェルディナンに告げたくて仕方がなかった。 しかし、それだけは出来ぬ相談だった。 ソフィーへのジェラシーとフェルディナンへの震えるほどの恋心で、善悪の見境もつかぬほどになった私にさえも、妖精としての禁忌を侵すことの愚は、わかり過ぎるほどわかっていた。
恋するとどうしてもその想いを告白したくなる。 しかし、告白してたとえその恋が報われたところで何になるのだろう。 恋の相手は当然、私を優しく愛撫したがるだろう。 そして私も恋人の愛撫を待ち望むだろう。 だが、妖精にはもとより肉体はない。 精霊なのだ。 恋人がいくら私に愛撫を加えたくとも、その手は私の身体を透過してしまう。 私には、その愛撫を精神によって歓びとして感じ取ることが出来るけれども、肉体を有するヒトには、とうてい我慢ならないはずだ。 そのときの恋人のもどかしさ、はがゆさは、たとえようもないだろう。愛する者を前にして、触れることすら出来ないのだから……。 そして、もしかしたら恋人を想うあまり、狂い死んでゆくかもしれない。
ただ妖精といえども生殖行為は行われる。でも、それはプラトニックな愛のみで充分なのだ。 身体を合わせるという型通りの儀式さえ行なえば事足りる。 だから、万にひとつもありはしないだろうけれど、触れようとして透過してしまう妖精の身体でも、ヒトがその強い意志で身体を合わせようと試みたたならば、そのヒトの放った精子(いのち)は、確実に妖精の内で育まれてゆく。 それ故の禁忌なのだ。
ヒトと妖精の愛の結晶は、この世のものでない化け物を顕在化させてしまう。 そう言い伝えられている。 それ故に、わたしは告白してはならなかったのだ。 しかし、私はそれを侵してしまった。 でも、フェルディナンに直接告白したわけではない。 それとわかるように小賢しいまねをしたわけでもない。 彼は、私の愛を直感してしまったのだ。
ああ、フェルディナン許して……。 それからフェルディナンのとった行動を私も予想出来なかった。 優しいフェルディナンは、そうと知ると私たちふたりの前から忽然と姿を消してしまった。 自分の恋の成就を犠牲にしてまで、ソフィーと私の仲を裂くことを防いだのだ。 それに彼がソフィーを選ぶとしたなら……むろんそうに違いないからこそ……家つき妖精である私が、セリーヌ家から去ってしまうと考えたのだろう。 家つき妖精が、その家を離れてしまうと幸福が逃げてしまう、という古くからの言い伝えを彼は信じてしたのだ。 すべてを丸く収めるために自らを犠牲にする、彼はそういう男だった。
そういうフェルディナンの人となりを知っていながら、私は嫉妬に狂い、愛を告白してしまった。 実際にはそうなってしまった。 そして……禁忌を侵してしまった私は、フランスを追われた。 おフランスの妖精界から追放されたのだ。 それから……私は何の考えもないまま、通りすがりの旅人のカバンのなかにもぐりこんだ。
そして、私は東京にやって来た……。
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