短いのはお好き?
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2002年05月02日(木) |
「ざけんな、バカヤロー!」 |
ボクがその日もいつものように渋地下を抜け、JRの北口の横にでる階段を上っていると、ドラムとエレキ・ベースの音が聞こえてきました。その音に誘われるようにして歩いてゆくと、東横の一番大きな改札へとつづいている階段の手前のちょっとしったスペースで、ロイクの人外さんがふたりで演奏していました。 3、40人はいたでしょうか、結構な人だかりで皆異国のロッカーに見入っています。ドラムもスネアだけでなく、ちゃんとしたセットで壁を背にして後ろに控え、手前にデニム地のブルーのベレー帽をかぶった人がいて、ベースを弾いていました。 曲は、インストでヴォーカルのパートはないのですが、なかなか面白いゆったりとしたリズムで、さすがに日本人にはちょっと真似出来ないようなノリを醸し出しています。 ボクもへぇーと思って立ち止まり、そのうねるように重いビートに聴き惚れていました。 そのときです。不意に肩を叩かれ後ろを振り返ると、ふたりの若い男女が話し掛けてきました。 「すいません。あの、ちょっといいですか?」 ボクは新興宗教の勧誘だと思いました。 「あの、じつは私たち自主映画をつくってるものなんですけど、キャストを捜してるんです。どうですか、映画やってみませんか?」 と、これは女性のほうが言いました。そして更に男のほうが、 「あの、ぼく演出をやっているんですけれど、あなたがぼくのイメージしてるヒロインにぴったりなんですよね。突然で申し訳ないんですけど、是非お願いします」 ボクは面食らい、 「いえ、わたし経験ないですから」と言うと、 「いえ、みんなほとんど未経験なんですよ。今んとこ5人くらい集まってるんですけど、あのう映画好きですか?」ときた。 「ええ、まあ観てるほうだとは思いますけど……」 「そうなんですか。なおさらいいですよ。じゃ、『ラルジャン』て知ってます?」 「ああ、ジャック・リベットでしたっけ」 「そうです。詳しいですね。あれって、ほら素人ばかりの役者さん、いや素人だから役者じゃないけど、素人ばかりのキャストだったでしょ?」 「そうでしたっけ」 「そうなんですよ。で、今回のぼくのやろうとしているのも素人ばかりのキャストでと思ってるんです。だから却って芝居ずれした人じゃ困るんですよね。 どうです? 映画が好きなら観てるばっかりじゃなくて、映画をつくるっていうのもいいと思いませんか」 いつの間にやら、演奏はスピード感あるプログレ風な曲にかわっていて、ドラムとベースはビシバシとシンコペをユニゾンで決めまくっています。 ボクは黙っていました。 すると、男のほうが業を煮やしたように言い出しました。 「ギャラはもちろん出ませんけれど、楽しいですよ。何よりもみんなで映画をつくっていくんだという一体感がたまらないんです。これはもう、ちょっとほかでは味わえませんよ」 女性のほうも「それに、なんたって映画をつくり終えたときのあの充実感ていったらないんです。もう最高! っていう感じ。一緒にやりましょうよ」 それでもボクは黙っていました。 曲が終わり、街頭ミュージシャンの熱きパフォーマンスにみんなが拍手喝采しています。次の曲がはじまると、男のほうがショルダーバッグからなにか冊子を取り出して、 「じゃあ、こうしましょう。これ台本なんですけれど、とにかくこれ読んでみてください。やるかやらないかは、それから決めるってことにして……」 差し出された台本をボクが仕方なく受け取ると、 「じゃ、お願いします。連絡場所はそこにかいてありますから」 といって、ふたりはJRの改札の方へと去っていきました。 今度の曲は、何かアルゼンチン・タンゴのような不思議なムードを持つミディアム・テンポのやつで、このデュオの懐の深さを窺わせるに充分なほどの豊かな楽想を喚起しうるものでした。 この曲に限らず、このデュオの面白さは、ベレー帽のベーシストの哀愁を帯びたメロディでした。ドラムはごく普通なのですが、風変わりなベースがやけに耳に残ります。 ボクはその大陸的で、うねるようなビートをはじき出す、ゆったりとしたノリを盗もうと一生懸命ベースラインを追いました。ボクは耳は結構良く、それほど難しいフレーズでなければ一度聴いたらほとんど間違いなく再現できるのです。まあ、それくらいでないと、ミュージシャンにはなれないのですけれど……。 そこでふと気付き時計を見ると、もう10時をまわっていました。 ボクは後ろ髪を引かれる思いで階段をかけ上がると東横の改札に向かい、自動改札をすり抜けると、発車のベルが鳴っている1番線の電車には目もくれず、自分でも訳が分からないほど突然激昂すると、先刻の台本を叩きつけるようにしてゴミ箱に投げ捨てました。
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