短いのはお好き? 
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2003年10月15日(水) 映画日記『恋恋風塵』 ホウ・シャオシェン



この監督は、あの小津をリスペクトしている数多くの監督のうちのひとりだが、この作品は都会生活にどっぷり漬かりきった(疲れきった?)私たちには、容易に入り込めないような純朴で美しい恋の物語である。


アイリス・インしてゆくかのような冒頭部分のトンネルを抜けていく電車。本来ならばトンネルのなかこそ走行音が凄いはずなのだけれども、徐々に音声がフェード・インするなど、非常にデリケートな演出でうならされる。


ワンが涙にくれるシーンの直後も、キャメラは夜明けの空と森の梢のシルエットを対比させながらゆっくりと右へとパンしてゆくのだけれど、このショットには少なからず驚かされた。この滑らかではあるるけれどもおそろしく緩やかな横移動の、哀しみを超越してしまったかのような透明なショットは、無音という音を醸し出しているのであって、これはこのパンが始まると同時に奏でられる静謐な音楽によって更に強められる。


ここには、時間の経過と同時にワンの苦悩する、彷徨える魂が描かれているように思えた。



気付いてみると、やはり長回しが随所に発見できるけれど、小津よりもキアロスタミのようなロングショットでの長回しも多用していた。ホームで待つワンの横顔をねらったショット、あるいは、じいちゃんとワンとの会話のショットなど背景のボケと相俟って美しいショットだった。

海では墨絵のような幻想的なカットが目を奪った。


また、いきなりワンの回想として過去に遡っての会話に飛び、現在のシーンにその会話を被らさせる(回想シーンであることの説明)など、なかなかやってくれる。このワンの回想は2度いや、3度(炭鉱での事故は幻想かもしれないが)出てくるのだが、そういった時間軸に沿わないカットをも用いて物語を豊かにすることに成功している。



ワンが兵役を終え、家に帰ってくると母親は丸くなって午睡しているのだけれども、我が家に帰ってきたのだという何かどっしりとした安定感を感じさせた。



そして、じいちゃんとの会話。といっても、一方的にじいちゃんがイモのことを話すだけなのであるが
それがいいのである。そういったごくつまらない日常の会話こそワンには必要なのだ。じいちゃんの優しい気遣いがよくあらわれている。



やがて、ふたりに沈黙が訪れるのだがそれがまた、余韻を残す重い沈黙なのだった。


じいちゃんこそ孫のことを思って心痛していたのだ。言葉でこそいわないが、ワン頑張れ! 挫けるなよ! といっているのだ。



しかし、なんといっても私の大好きなショットは、冒頭の学校帰りのワンとホンが「映画だ!」といって立ち止まるところだ。



ホンが笑顔で見上げたその先には、移動映画の布製スクリーンが風にはためいている…。そこになんとも言われない優しいギターがかぶさってくる、光に満ち溢れたとてもいいシーンなのだった。



その際のホンの笑顔は素晴らしく輝いて愛らしいのに対して、郵便屋と共に挨拶に帰郷した時のホンは可哀想なほどしょげかえって暗い顔をしている。出来ればこんなホンの表情は見たくはなかった。


ホンの母親は、怒って二人を家のなかにいれようとはしなかったのだが、この経緯を2カットで見せきってしまう力量はどうだ。小津でお馴染みの? 見交わされることのない視線が、ここでは文字通り交わらない視線(こころ)として効果をあげている。



しかし、やはり女性というものは待つことが出来ない存在なのであろうか。



「あと387日。数えるだけでも気が遠くなりそうです」



そうホンは兵役にあるワンに手紙を書いてきたのだけれど、もうそこには心変わりの萌芽が微妙に表現されていたのかもしれない。


シオン |アバクロ☆カーゴパンツトミー☆ヒルフィガーヴィヴィアン☆ウェストウッドMIUMIU☆ミュウミュウROXY☆ロキシーフレッド☆ペリー

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