野球に「・・たら」「・・れば」はない。 よくTV中継等で耳にする台詞である。 「あの時、今岡が打っていれば・・(勝っていたかもしれない)」 昔は、このように思った事が多かった。 しかし今季に関しては、それが殆どない。 それだけ充実した戦い方をしているという事だろう。
今年、野球を観てて初めて、この事を思った。 「あそこで違った配球をしていれば・・」と。 我が母校が、全国高等学校野球選手権大会の都道府県大会決勝戦で敗退したのだ。 その場面は、1点リードした6回裏の一死満塁。 カウント2−1と追い込んだ後、バッテリーは外角に大きく外す球を選択した。 次に内角を抉ったが、ファールされる。 その次の球は、多分フォークボール。 内角の低めにうまく誘ったが、相手打者が見送って2−3になった。 そしてラストボールは、カーブが真ん中やや外寄りに入り、走者一掃の逆転適時打という結果になった。 これが命取りになり、母校は甲子園を目前にして涙を飲んだのだ。 2−1からの外す球は、必要だったのか・・。 これが例の「・・たら」「・・れば」である。 結果カウントを2−3としてしまい、最後の勝負球が甘くなった。 これを第三者が見ると、甘くなったとはいえ、最後に決めた打者が上という事になるだろう。 しかし”身内”はそう思えないものだ。 わざわざカウントを悪くするのではなく、もっと強気に攻めるべきではなかったか?等と思ってしまう。 全ては結果論。こういう見方をしている内は、野球を解っていない。 頭では解っていても・・という世界である。 甲子園に行きたかった・・この思いの強さが、冷静な思考回路を破壊させる。 そういうもんだ。
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