●狂った歯車 精密機械の歯車が狂ったまま、90分が過ぎてしまった――チェコ代表はまったくいいとところがないまま、ホームで日本代表に0−1で負けた。いま欧州で最も強いと言われているチェコ代表が。 チェコの先発はベストメンバー。ネドベド、コレル、ロシェスキーら欧州リーグで活躍中の選手が並んだ。日本代表は、ハンガリー戦の先発メンバーに小野、稲本が加わった、いわゆる、国内、海外融合チームだ。 試合内容としては、チェコの動きの鈍さばかりが目立った。攻撃面では、前線でネドベドにボールが入っても周りの選手のサポートがない。パワープレーを試みても、こぼれ球をコントロールできない。守備面では浅いバックラインの割には戻りが遅い。日本の攻撃陣のサイドスペースに広がる動きをマークしきれない。チェコは後半開始から、フレンドリーマッチということで、大幅に選手を入れ替えたこともあり、コンビネーションの改善は見られなかった。終盤の猛攻撃も楢崎の好セーブに阻まれた。 チェコの敗因は何だろうか――それはチェコサッカーの特徴、強さに皮肉にも内在している。チェコサッカーの特徴は、�.灰鵐咼諭璽轡腑鵝↓∩反ノ蓮�高い規律意識、��スピード、�だ騎里覗瓩ぅ僖慌鵑掘弔箸い錣譴討い襪�、ネドベドがインタビューで答えていたように、「結束力」こそがチェコサッカーを表すキーワードだ。 チェコは、スラブ系のチェコ人によって建国された国だが、長らくハプスブルク帝国(ドイツ系)の支配を受けた。帝国崩壊後、第二次大戦後は事実上ソ連の支配下にあり、自由を奪われた生活が続いた。1968年、チェコ人の自由を求める声は首都プラハで爆発し、社会主義政権からの解放を求めて人々は立ち上がった。いわゆる、ソ連スターリニズム支配に異を唱えた、「プラハの春」だ。1990年代、ソ連崩壊、東欧諸国の自由化が現実のものとなったが、チェコは、それより30年近くも前に自由化の声を上げていたのだ。「結束力」――この言葉は、チェコ人にとって生半可なものではない。大国支配に民族の誇りを賭けて立ち向かってきた、チェコ人の過酷な歴史の中で育まれた言葉なのだ。 日本戦、チェコは自らのチームの特徴を現す、すべての機能を停止していた。海外でプレーする代表選手同士、練習する時間がない、体調が悪い、フレンドリーマッチなので精神面(モチベーション)が高まらない…などの理由が挙げられるだろう。どこかの代表が勝てないときに挙げられる理由と同じだ。 諸々の要因が重なることによって、歯車が狂い失点する、一方相手チームは、得点を契機に逆に歯車が実力以上に噛み合い始める。そんな試合がサッカーにはある。実力の差があっても、試合を失うことがある。そんな試合がきのうの、日本vsチェコだろう。
●トルシエジャパンに戻っただけ 日本で目立った選手といえば、得点を上げた久保、そのチャンスをつくった玉田の2トップ、たびたびのピンチを救った楢崎はもちろんだが、なんといっても、小野をベストプレイヤーとして挙げたい。ワンタッチのパス、速い判断、堅実な守備と非の打ち所がなかった。守備面では、稲本も健闘した。ネドベドへのマークはほぼ完璧だった。 もう一人、どうしても触れておかなければいけないのが三都主だ。たびたび書くことなのだが、左サイドハーフの三都主は、いまの代表の中で、もっとも魅力的な存在だ。左SBの三都主とは別人。ゴールに近いところで動き回る三都主は相手にとって、脅威である。 この試合、日本が3バックであったことも、勝てた要因の1つだろう。それまで抑えられてきたものが、一気に解き放たれたように私には見えた。しかも、中田不在である。この遠征を機に、日本代表が結束力を高めたのならば、それは代えがたい大いなる収穫だ。3バックの採用、三都主は前、調子のいい選手を起用する、組織力・結束力――このコラムで書き続けてきたことが、遠征のチェコ戦で実現したのは、おそらく代表監督が意図したことではなく、偶然の帰結だろう。もっと早く、気がついてくれたならばと思うと、それが残念でならない。世界9位に勝てたことを喜ぶのはまだ早い。04年4月末、日本代表は、02年に到達した、トルシエの日本代表の姿に戻ったにすぎないからだ。この先、失われた2年間を取り戻すことができるのだろうか。 世界のサッカーは動いている。隣国韓国は代表監督にメツを迎えるらしい。いい人選だ。この監督交代で、韓国が強くなることはあっても、その逆はない。日本もチェコに勝ったからいまの代表監督でいいや、などと思ってはならない。すべての偶然がかさなり、監督のビジョンと逆のチームが出来上がって、いい結果が出た。このことが意味することを肝に銘ずるべきだ。
報道によると、ハンガリー戦後の日本代表監督の愚行は日本サッカー協会により、不問に付されたという。日本代表監督に対する処分は行わないということだ。審判にユニフォームを投げつけたことと、合宿を無断で抜け出したことのどちらが重い罪かは知らないが、無断外出にペナルティーがあり、審判侮辱に何もない、というのはバランスを欠く。まさか、神様だから、何をしても許される、ということではあるまい。 協会は、日本代表監督の行為は闘志、悔しさの表現だから許容範囲だという。おかしな見解だ。かりに、選手が試合中、審判にユニフォームを投げたとしたら、一発退場、何試合かの出場停止になるだろう。Jリーグにだって、試合中に審判の判定にクレームをつけ、退席処分になった監督は複数いる。最近ではJ2横浜FCのリトバルスキー監督が退席処分、2試合のベンチ入り禁止の処分を受けている。悔しければ何をしてもいい、わけではない。交流試合、しかも、試合後だからいいのか。 日本の協会は、日本代表監督に対し、ユニフォームを投げつけられた審判に謝罪するよう、働きかけるべきだ。日本代表監督が日本に帰ってきてから事情を聴取し、処分はその後、下しても良い。
再び、いやなことを書かなければならない。気が重いが仕方がない。 暴挙というか愚行というか、どうしようもない「事件」だ。日本vsハンガリー後、TV映像がとらえた日本代表監督の礼を失した態度は、TVを見るものすべてを不快にさせた。ハンガリーと日本は、サッカーフレンドリーマッチを介して、親善を目指している。日本代表監督の愚行はそれを台無しにしたばかりか、審判というスポーツに必要不可欠な制度を否定するものだった。このコラムで、Jリーグにおける「唾吐き事件」を書いたけれど、ハンガリーの「ユニフォーム事件」もまったく、同じレベルにある。 「事件」は、ハンガリー戦後、ハンガリーの決勝点となるPKをとった審判に日本代表監督がユニフォームをなげつけたのだ。日本代表監督が投げたユニフォームは、日本選手が試合後、ハンガリー選手と互いの健闘を称えて交換したもの、すなわち、ハンガリー選手のユニフォームだ。スポーツ選手同士の神聖な友情の証である。 この「事件」に処分がないとするならば、日本サッカー協会は終わっている。日本代表監督は、代表選手の数人を合宿から無断外出したとして、出場停止処分にした。協会は、日本代表監督の処分を承諾した。ならば、自国の代表監督が第三国の国際審判員を冒涜した行為に処分を下さないとしたら、倫理観がマヒしているとしかいいようがない。 いまの日本代表監督は、選手時代、「唾吐き事件」でJリーグを馬鹿にし、代表監督になって、「ユニフォーム事件」で東欧の代表試合を馬鹿にした。その底流にあるのは、母国ブラジル、一部の欧州以外のサッカーを見下す態度だ。もちろん、日本も東欧のハンガリーもその中に、含まれている。「神様」とあがめられ尊敬された結果、理性を失ったのだ。代表監督としての資質以上に、人間性に問題がある。 そもそも、この遠征はフレンドリーマッチだ。公式戦でもなければ、タイトルがかかった試合でもない。ハンガリーが前半日本を圧倒し後半、日本が追いついた。確かに、点数からみれば白熱した試合だ。結末はホーム有利の判定のように見えるPKで、ホームの勝利に終わった。日本代表サポーターとしては悔しいが、日本代表だって、立場が逆転したケースなど掃いて捨てるほど体験しているはずだ。判定にいちいち文句をつけていたら、代表監督など務まらない。結果にアツくなって興奮するのは勝負師ではない。勝負へのこだわりは大事だが、許されることとそうでないことの判断力をもつことは、スポーツマンとして必要不可欠なことだ。審判に暴行を働くのは、ショー化されたプロレスの世界だけだ。もちろん、やられる審判もそのことは織り込み済みであるけれど。 日本代表監督の審判に対する暴挙を見過ごすことはできない。
正直言って、チェコのサッカー事情について何も知らない。知っている選手はネドベドだけ。言うまでもなく、彼はスピード豊かで非凡な選手だ。 チェコには数年前、観光旅行で行ったことがある。美しい街並みの首都プラハの中心地・ヴァーツラフ広場では、派手な衣装を身に着けた「俳優達」が、その夜開かれるコンサート、人形劇、演劇などのチケットを売り歩いている。プラハは芸術の街なのだ。観光客の私には、チェコ人はどちらかと言えば田舎くさい東欧にあって、比較的繊細でエレガントな雰囲気を持っているように思えた。 サッカーでも、チェコは東欧で実力ナンバーワン。FIFAランキングで10位以内をキープしている。W杯日韓大会では予選で負けたけれど、あのオランダも来られなかったのだから、仕方がない。 チェコのサッカー選手のうち、日本で一番知られているのは、いま神戸の監督のハシェック氏だろう。Jリーグ発足時、広島〜市原でプレーした。当時から理論派で知られ、チェコサッカーを最も象徴する人物の一人だ。 チェコのサッカーは私の知る限り、速いパスまわしを得意とする「つなぐ」スタイルだ。その一方、DFでは大型選手がにらみを利かせ、相手のクロスを跳ね返す。そんなプレースタイルを持っている(ように思える)。 日本は、ハンガリーよりもチェコから学ぶところが多いように思う。チェコのパスまわしは、日本が目指す方向に近い。また、組織・規律がチームに浸透していて、しかも、選手一人ひとりがチーム戦術を理解し理論武装しているように思えるからだ。 欧州にあって、平均的に体力・体格面で劣るチェコ人は、スピード、結束力、組織力で相手を圧倒し、適材適所で自分達の良さを最大限活かそうとと図っている。日本が世界の強豪と戦うとき、チェコが持っているサッカースタイルは大いに参考になるだろう。 今回の日本代表の東欧遠征は、東欧のなかでもチェコとハンガリーという対極的な2つの国の風土を経験するという意味で、意義深い。「東欧のサッカー」などと一口では言えない。東欧のみならず、各々の風土が形成するサッカースタイルを経験することは、日本代表が目指すべきサッカースタイルを明らかにする。それはサッカー指導者の仕事ではあるが、選手は戦うことにおいて、それぞれのサッカーの特性を経験してほしい。そこから見えてくる結論は、「個人だ、組織だ」という不毛な二項対立でないことだけは確かなのだ。 トルシエ前監督は、日本人がやらなければいけないサッカーというものが分かっていた。彼はその性格上、文化的対立を経験することにより、無意識のうちに「日本人のサッカー」を導き出したのだと思う。それが、W杯日韓大会当時の日本サッカーの集大成だった。彼は理論派ではない、感性で日本サッカーの方向性を自覚し、実行した。勝負師とは、そういうものだ。目指すべきサッカースタイルを知り、けして誤らないことが、勝負師たる代表監督になくてはならない資質なのだ。いまの代表監督は、その資質を欠いている。
(1)日本五輪代表vsギリシア選抜 きのうは、日本五輪代表vsギリシア選抜があった。試合展開等は報道のとおりで、フレンドリーマッチというよりも練習試合に近かった。いくら、五輪の下見とはいえ、グラウンドの下見ではないのだから、試合はどうでもいいというわけにはいかない。両田中(浦和・横浜)がそれぞれ1点ずつ上げたものの、微妙な判定でPKをとられ、2−1の勝利。内容的には煮え切らない。 五輪チームの弱点は何かといえば、何度も繰り返すが、GK、センターバック、トップ下にいい選手がいないこと。センターラインが弱い。OA枠の行使は当然で、GKには日本代表のサブクラスを入れたい。トップ下は小野で決まり。センターバックはだれがいいのか。 五輪代表では、3トップ(1トップ、2シャドウ)が話題だが、引いて守るアジアレベルでは有効なシステムだが、欧州・南米勢等の強豪には通じない。いいチームと段々評価が上がる五輪代表、私は全然買っていない。
(2)日本代表vsハンガリー 前半、日本はハンガリーに全く歯が立たなかった。前半を見ていて、両者のサッカーの質の違いを明確に認識した人も多いのではないか。最大の相違点は接触プレーだ。厳しくマークに入るハンガリーの選手に対して、日本代表の各選手は手を使ってファウルをとられた。そのファウルが得点につながった。 ハンガリー選手の圧力・寄せはもちろん、正当なチャージであって反則ではない。常日頃から厳しいサッカーをしているかどうかの差だ。体力差ももちろんあるが、それだけではない。チャージを避ける技術、圧力をかわすポジショニング、スピードなどが問われている。 体力面では、日本はハンガリーにかなわない。ハンガリー人の祖先はマジャル民族という騎馬民族で、東欧のなかでも大型だ。日本代表が次に遠征するチェコはスラブ系民族で、チェコ人の方が繊細な感じがする。マジャル民族は中央アジアから東ヨーロッパの草原を集団で騎馬で移動し、略奪・侵略の旅を経て、現在のハンガリーの地に定住したといわれている。周辺の民族から、気性が荒く獰猛と恐れられたと記す歴史書もある。それはともかくとして、彼らが接触プレーを好む民族であることは間違いない。後半、プレスが緩み日本のスルーパスが通るようになった。このあたりがいまのハンガリーの課題だ。後半も前半同様、日本をねじ伏せられるようならば、ハンガリーサッカーが再びかつての栄光を取り戻す日が近い。 ハンガリー、日本ともに主力不在のフル代表だった。選手の招集状況という意味では、両国の条件は同じだ。そのことを含めて、くどいようだが、両国の間に、FIFAランキングが示すほどの差はない。私の評価では、ハンガリーの方が日本より上にランクされる。ハンガリーが70位程度なら、日本は80位くらいでバランスがとれる。もちろん、両国にはサッカーの質の違いがあるが、それは強さとは関係ない。圧力が強いだけでは、サッカーは勝てない。このフレンドリーマッチに限れば、ホーム・ハンガリーの方が日本より有利だが、そのなかで2点をとった日本代表(国内組)は、善戦したと言える。 ハンガリー戦の日本代表で最も目立ったのは、後半投入された本山だが、それなりの役割を果たしたが、後半息がきれたハンガリーに対してなので、全面的に信頼できるとは思えない。先発(前半)して、同じ働きができたかどうかは疑わしい。コンディションが上がりモチベーションが高いハンガリーならば、途中交代の本山でも、その動きは制限されただろう。 次いで、よくも悪くも三都主を挙げておこう。この試合の三都主は、左SBで起用されているときよりは、はるかに動きが良かった。しかしながら、いまの三都主の調子は全盛期に比べれば70%程度に落ちているように思える。それでも、三都主がゴール近くにいるだけで、日本代表の攻撃力が上がる。この試合、三都主が蹴った最初のFKがポストに当たる不運があった。あれが入っていれば、彼の自信は回復されたことだろう。誠に残念なFKであった。しかも、それ以降のFKに精度を欠いたことは、三都主に反省してもらわないと困る。ジーコ監督は、三都主がゴール近くで暴れられるポジションを用意すべきだ。三都主が左SBの適応しないことは、私の中ではもうすでに実証されたことだ。
| 2004年04月24日(土) |
ザラエジェルツェグってどこ? |
日本代表(フル)がハンガリー・チェコ遠征。東欧はサッカーの強豪国を多数輩出する地域。名選手も多い。ところで、日本vsハンガリーの試合が行われるザラエジェルツェグとはいったいどこにあるの? ハンガリーには数年前、観光旅行に行ったが、首都ブダペストが巨大な都市で、それ以外はどこも小さいな街だったことを覚えている。首都ブダペスト以外の都市といえば、ショブロン、ペーチ、ケストヘイなどが思い浮かぶが、バロック建築が立ち並ぶ美しい都市であるが、とにかく小さい。なぜ、首都ブダペストで試合をしないのかが分からない。 ハンガリーには日本代表の後、ブラジル代表が来訪するらしい。ハンガリーのサッカーファンはブラジル戦に関心がいってしまい日本の影は薄い、という報道があった。ブダペストのサッカー場で日本戦を行っても客が集まらず、会場費も出ないということか。次のチェコはどうなのか知らないが、ハンガリーのこの扱いはさびしい限りだ。 でも、これが東欧人の世界のサッカー認識なのだろう。ハンガリー人は自国代表が日本代表に負けることなど、これっぽちも考えていない。アジアの小国(日本のこと)がはるばるやってきて、サッカーの試合をするらしい、ま〜、負けることはないから、応援にもいかないよ、ということかもしれない。ブラジルか、ブラジルならば、ちょっと見てやるかと。 ハンガリーの日本サッカーに対する認識は間違っている。FIFAランキングでいけばハンガリーは72位、日本26位で日本のほうがランクが上だし、日本は人口1億人を超える大国だ。さはさりながら、日本が本当にハンガリーより強いのか、ということが問題なのだ。もちろん、何度も書くことだけれど、日本のFIFAランキングはバブルであって、実態を反映していない。ハンガリーが下すぎるのではなく、日本が上すぎるだけ。 ハンガリー人には、自分達の栄光のサッカーの歴史がある。東欧の強国としてヨーロッパに君臨した、という記憶がある。サッカー新興国日本と、かつての栄光にすがるハンガリー、本当はどっちが強いのか――お楽しみ。 さて、日本代表はハンガリーには、「国内組(Jリーグ選手)」主体で臨むらしい。しかも、報道では3バック。 ジーコ監督は何を考えているのだろうか。日本代表がこの時期、ハンガリーに勝とうが負けようが問題ではない。システムを変更することもあり得る。しかしながらこの遠征を06年のW杯に向かういかなるプロセスとして、何を目的に戦おうとしているのか――それがここでもまだ、わからない。ダラダラとフレンドリーマッチを行うのではなく、試合ごとに試合の目的を説明してほしい。 ジーコ監督は、「海外組」を神棚にあげて、彼らが召集できなければ、「国内組」が3バックで戦う。ジーコの頭の中には、理想のチーム(海外組)=4バックがあり、「黄金の中盤」とやらでドイツ大会で勝てると思っているらしい。彼の頭の中に貯金のようにしまいこまれている「幻の日本代表」だ。実際には、この「幻の日本代表」チームの主力は、欧州で試合に出られず、日韓大会以降、凍結状態なのだ。彼らが欧州からチームに加わることにより、経験を積めば伸びる若手選手の出場機会が奪われ、若手は伸び悩んでここまできた。予選や遠征のたびごとに力を着けてきた五輪代表と比べれば、フル代表の退化は目に余る。 「海外組」は、実態的には、日本代表の進化にとって、マイナス以外のなにものでもない。もちろん、中田、小野のように、海外でレギュラーで頑張っている選手がいることはいる。しかし、彼らだって、コンディションが悪ければ、休ませる勇気が代表監督にはいるのだ。 ジーコ監督が06年で代表監督を辞める、という報道があった。それによると、ジーコは日本以外の国で代表監督をするつもりもない、といったらしい。あたりまえである、ジーコを代表監督にするような酔狂な国は、日本以外にはない。06年まで監督というのも、もちろん長すぎる。実際は…
きのうは五輪代表同士のギリシアvs日本があった。ギリシアホームだが、TV中継で見る限り、スタンドは改修中、バックスタンドは無人、ギリシアのサポーターがいったい何人集まったのか。ギリシアのようなリーグ戦に関心の集まる国では、フレンドリーマッチ、しかもU23のような若者の代表戦には、ファンが集まらない。日本における五輪最終予選壮行試合(同じフレンドリーマッチだが)と比べれば、スタンド風景の寂しさは想像以上だ。もっともTV中継での印象だから、実際は盛況だったのかもしれないが。 お互い、勝ち負けは関係ない、日本にしてみれば、五輪を前にした――受験生が本番の試験の前日に会場に行ってみる――下見のようなものだ。芝の深さ、グラウンドの硬さ…諸々の情報が入手できただろう。 一方のギリシアも強化試合は必要だ。アジア予選を勝ち抜いた日本とのフレンドリーマッチは、アジア勢の実力を計る絶好の機会だ。開催国は予選がないから、代表強化試合で仕上がり具合をチェックする必要がある。 さて、試合内容は、日本のほうがはるかによかった。ギリシア五輪代表はコンビネーションは悪いし、組織力もない。後ろからしかも、足首に入るタックルなど汚い反則が多い。ほんと〜に、クソみたいなチームだ。こんなチームには負けてほしくない。だが、審判はしっかりホーム有利の判定で、ギリシア1点ビハインドのロスタイムはなんと、5分。その5分で日本は1点を返され、1−1のドローに終わった。調整不足で、チームとして体をなしていないチームにロスタイムで追いつかれ勝ちきれないところが甘さだ、と言いたいところだが、これがサッカーの恐ろしさでもある。 ギリシアの五輪チームとしての実力はまだまだ。新聞報道によれば、ギリシア五輪代表監督は、「リーグ戦真っ最中で、五輪チームは未完成」というような意味のコメントを出したという。開催国でありながら、リーグ戦の方が五輪代表より優先するのか。いくら、予選がないとはいえ、本番まで数ヶ月。この時期、未完でいいのだろうか、と思うくらい五輪への関心度が日本より低い。ギリシアといえば五輪発祥の地。それでも、若者の代表のサッカーなど、世界各国から集まろうが、どーでもいいやというのがギリシア国民の最大公約数か。ところ変われば…というほかない。でも、五輪本番になれば、われを忘れてホーム・ギリシアを応援することは間違いない。そして、負ければ厳しい批判・非難が待っている。それが、普通のナショナルチームとサポーターのあり方なのだろう。 ギリシアに比べれば日本代表はどの年齢でも、恵まれている。代表チームへの関心が日本以上に高い国は、世界広しといえども、そうなはない。代表チームへの国民の偏愛は異様なのであって、日本代表は恵まれているが、その一方、厳しさがない。日本のサッカー風土を理解することは難しい。
| 2004年04月20日(火) |
重症・重体――勝てない読売 |
読売が5連敗で、とうとう最下位となった。きょうはエース上原、その前は期待の左腕林→好調と言われた木佐貫→高橋…と、ローテーション投手がことごとく崩れ、抑えが打たれてと、負け続けた。序盤の5連敗など問題ではない、夏場になれば自慢の打撃が火を吹くと思いつつ、このまま秋風が吹く季節を迎える予感がするのは私だけだろうか。 私の予想では読売の優勝はないとみて、せいぜい4位だから、いまの最下位は不思議でもなんでもない。木佐貫、高橋はだめだとはっきり書いた。 もちろん、先のことはわからない。読売が優勝するかもしれない。けれど、序盤、素人の予想が当たってしまうほど投手力が悪いとなれば、球団として、たとえば球団社長を更迭するとか、それなりの処置が必要だろう。 読売というチームは不思議だ。名門中の名門、人気はダントツ、ここまで優秀な選手を集めに集め、読売OBのコーチ経験者、監督経験者、評論家が球界内に綺羅星のように並んでいる。球界では犬も歩けば「巨人OB」に当たる、といって差し支えない。そんな読売なら、チームづくり、チームコンセプト、補強選手のリストアップなど、OBから助言をもらうことなど、いともたやすいことのように思える。読売OBの「球界の頭脳」と思われる野球評論家諸氏が、「4番打者コレクション」「弱体投手陣」で「優勝間違いなし」とコメントすることなど考えにくいのだが。 読売OBの評論家諸氏の何割が、本気で「読売優勝」を予想したかどうかはわからない。もちろん、ペナントレースは終わっていないのだから、ここで結論は出せない。読売投手陣が復調する可能性もあり得るし、打撃陣が爆発して勝ち続けることもあり得る。だから、結論ではないのだけれど、いまの段階で、読売が優勝すると確言する評論家は少ないだろう。それほどに読売の状態は悪いように見える。 きょうの負けはエース上原だった。読売で最も信頼できる投手だ。しかも、相手は横浜。昨シーズン、読売の調子が悪いときでも、横浜に勝ってどうにか、一息ついていた相手だ。そんな相手に逆転負け、しかも、調子のあまりよくないように見える大魔神・佐々木に9回を締められた。佐々木のことは次の機会に詳しく書くが、腕が下がっていて、「ひどい」状態のように見える。そんな佐々木が打てないとなると、読売は横浜銀行からも借金となる(負け越す)だろう。今年は夏の訪れが早いと言われるが、読売が優勝戦線から脱落するのは、6月を待たないかもしれない。
TVのJリーグ中継では、ハーフタイムに監督のインタビューが入る。およそ、30秒程度の短いものだが、監督の肉声が聞けるので、楽しみにしている。きょうの中継では、市原のオシム監督が出た。アナウンサーの質問にいつものように冷淡に答えるオシム監督。表情は暗い。何かに耐えているように見えた。市原は前半2−0で新潟をリードしている。楽勝のように見える。この一戦、実は市原が勝ったことは勝ったが、内容は悪かった。ハーフタイム時点で、オシム監督は自分のチームの状態が悪いことを認識していたようだ。オシムの胸のうちは、ハーフタイムでのんきにインタビューに答える状況ではなかった、というわけだ。 市原の苦戦は、後半、たびたび訪れた決定的得点チャンスをことごとく外しまくったことに始まる。しかも、後半の時間の経過とともに、オシムを心の師と仰ぐ理論家反町監督率いる新潟が、徐々に市原を追い詰め始めたのだ。そして、反町監督が切り札として投入した長身FWの森田が頭で1点を返した。それ以降の市原は新潟に走り負けるわ、当たり負けるわ、とまったくいいところがない。新潟がブラジル人FWを欠いていたため、ロスタイムの得点シーンはかなわなかったけれど、あと10分あれば、新潟が同点に追いついたに違いない。オシム監督の「走るサッカー」はこの試合に限れば、新潟にお株を奪われた形だ。 市原vs新潟は、Jリーグの新しい可能性を感じさせる戦いだった。オシム監督も反町監督も、自分のチームを自分のビジョンで築き上げようとする野心に燃えている。二人に共通するのは、<否定>だ。自分達のサッカーは未熟だ、練習しかない、走ることでしか勝機を見出せない、高い位置(前線)からプレッシャーをかけ、ボールを奪いゴールに向かう…シンプルそのものだ。そこには戦う姿勢がある。 この2チームでは、練習が成果(勝利)に結びついている(と思う)。市原・新潟には、スポーツの原点がある。試合でできなかったことを練習する。そして、次の試合に臨む。試合〜練習〜試合…まさに、スポーツの原点だ。練習で培った約束事は試合でも同様だ。勝つためにチームが1つの意志となり、相手を粉砕する。 Jリーグでは磐田が強い。磐田の円熟期を迎えた元日本代表クラスが、他のクラブを寄せ付けない。それはそれで結構なことだけれども、私は市原や新潟のような戦いを好む。どちらかといえば、スターのいない両クラブ。たとえば、市原の村井、羽生、坂本がなぜ、日本代表に選ばれないのだ。 日本代表では、自分達は世界レベルだ、Jリーグとは格が違う、個人の創造性だ…と、海外でプレーしない「海外組」とやらが、自己肯定に陥っている。だから、日本代表はうまくなれないどころか、退歩するのだ。勝つために必要なのは、自己否定だ。選手に<向上>を強いることが、監督の仕事の1つなのだ。 日本サッカーに必要なのは、現状の否定だ。自分達は強いんだ、うまいんだ、などと絶対に思ってはいけない。10年前からレベルは上がったけれど、世界水準で言えば100番目くらいだと思ったらいい。オシムは日本サッカーの実力を知っている。自分の仕事がたくさんあることを知っている。私はTVに映る、あのオシム監督の不機嫌そうな表情が理解できる。オシムは、オレの教え方が悪いんだ、オレは監督としてまだまだなんだ…と自己否定をしているのではないか。だから、それを知ろうとしない日本のサッカージャーナリズムに冷淡にならざるを得ないのだ。
きのう、TVチャンネルをザッピングしていたら、偶然にも日本代表監督ジーコをめぐる論争番組にぶち当たった。4人のサッカージャーナリストがジーコを「支持」する側と「不支持」する側に分かれ、舌戦を展開するもの。「支持」は中西・永井の2氏、「不支持」は越後・後藤の2氏だ。「支持」の中西氏だが、コメントを聞いていると、「支持」というよりも「不支持」に近い。つまり、4人のうち3人が「不支持」といってよい。 ジーコを完璧に支持している永井氏の論拠は、日韓W杯ベスト8をかけたトルコ戦の敗北の総括だという。この一戦を日本サッカー協会幹部は深刻に受け止め、トルシエサッカーの限界だと解釈した、と永井氏は解説する。あのトルコ戦、日本はまったくいいところなく、0−1で完敗したのだけれど、02年当時のトルコは、それまで日本が予選で戦ってきたベルギー、ロシア、チュニジアとは実力が違った。何度も書くことだけれど、W杯日韓大会の日本は、ホームの利、グループ抽選に恵まれての予選突破だった。日本のグループに、たとえばブラジル、フランス、アルゼンチン、イングランド、ドイツ…といった強豪国が1国でも入っていれば、日本の予選リーグの展開は変わったものとなったことは明白だ。 トルシエ・サッカーというのは、予選免除のホーム開催というメリットを最大限生かしたものだった。トルシエはチーム力・組織力のアップに力を入れ、選手も調子に乗り、予選突破できた。永井氏の指摘は、間違っていない。だが、トルコに負けた、だから、組織や規律や戦術を無視して、「個人」に依拠する、という発想が奇妙奇天烈なだけだ。 トルコに負けた日本が、トルコとの差を埋めるには、おそらく20年かかる。欧州と同じ歴史を誇るトルコのサッカーと日本のサッカーは、その発生において80年以上の隔たりがある。発生は1世紀近くの隔たりがあるが、近年、情報・人材の流動化が著しいので、昔ほど時間はかからない。逆に、トルコが野球を始めたとしたら、日本との差を縮めるのに、およそ30年かかるだろう。日本はJリーグが発足して10年たっているので、トルコとの差は単純に20年と計算した。 だが、日本がこの先20年、絶対にトルコに勝てないかといえば、そんなことはない。日本が日本人に合ったサッカーを研究開発し、組織・戦術・規律を固めれば、つまり、トルシエサッカーのより高度化を目指せば、勝てる可能性は大いにある。いまだって、10回戦って2回勝てる。それが、サッカーだ。 話は飛躍するが、日本は西欧に比べておよそ1世紀以上近代化に遅れて着手したのだが、西欧との格差をその後の2世紀で逆転した。(その代償は大きかったけれど。)サッカーではそれほど時間はかからないし、代償もいらない。日本はトルコを20年という年限で逆転できる。(なお、何度も書くように、FIFAの世界サッカーランキングの日本の順位は高すぎるので、無視する。) さて、論争番組に戻ろう。論争のポイントは、海外組の扱いだった。海外でプレーしない(ベンチ入りもできない柳沢・俊輔・稲本、試合に出ても結果が出ないのが鈴木・高原)をなぜ使うのか、しかも、コンディションが悪いのに、というところだ。この点については4氏とも、はっきりした結論をくだせなかった。試合に出ていなくとも、海外組には光るものがある…といった程度の一般論だった。 私の推測では、ジーコはJリーグを馬鹿にしているのだと思う。かつて、Jリーグチャンピオンシップだっただろうか、国立でPKの判定に怒ったジーコ選手は、サッカーボールに唾を吐いた。選手時代のジーコの悪行の1つだ。ブラジルや欧州では絶対にしないこの行為がジーコの本質であり、Jリーグに対する認識だと思われる。ジーコについて論争するならば、選手時代のこのジーコの「唾はき事件」を避けて通れるはずがない。繰り返すが、この「唾はき事件」にジーコの日本(サッカー)に対する本質が象徴されている。 ジーコは日本サッカーのために尽力したい、恩返しをしたい、といって監督を引き受けたらしいが、越後氏が言うように、それなら無報酬でやれ、だろう。かつてこのコラムで書いたことの繰り返しになるが、ジーコが日本のサッカーに目をつけたのは、ビジネスになるからだろう。サッカー風土が未成熟な日本では、「神様」ブランドが通用する。監督1年生に2〜3億円もだす国など世界中どこを探してもない。さらに、CM等々の出演料が保証される。こんなおいしい国はない。しかも、負けてもだれも文句は言わない。 日本は監督経験のないジーコに高額の報酬を支払って監督経験を積ませ、監督ジーコを育てている。お人よしもここまでくれば、●●と言ったほうがいい。ジーコに流れる数億円は、サッカーファンが入場料で賄っている。TV放映権は消費者が商品代の一部として支払っている。 推測だが、Jリーグを馬鹿にしているジーコは、Jリーグで活躍している選手など、まったく信頼していない。それが、ジーコの選手起用の本質だろう。でなければ、説明がつかない。そんな人物が代表監督で、ほんとーにいいんですか?
J1は磐田が無敗で首位を突っ走っている。この先、だれも磐田を止められないのか。前節ではゴン中山が復帰ゴールをあげるなど、主力の故障で悩む他クラブを尻目に、ますます、戦力を蓄えている感がある。 磐田の強さの秘密は何か。一言で言えば、ベテラン健在だろう。主力では西選手以外がW杯日韓大会、フランス大会前後の代表経験者だ。外国人選手を除くと、中山、藤田、名波、服部、福西、田中、鈴木らが挙げられる。歌謡曲風に言えば、「昔の名前で出ています」というやつだ。このことは、Jリーグすなわち日本サッカー界の実力がここ数年、停滞していることを意味する。 Jリーグ各クラブの経営は苦しい。クラブは必然的に、人件費の抑制に走る。高額年俸のベテラン選手は放出され、そのポジションに実力の劣る若手が起用される。若手がレギュラーのベテランから、実力でポジションを奪うのがプロスポーツの「市場原理」だが、Jリーグではその原理よりも、クラブ経営の原理が働いているというわけだ。磐田というクラブにももちろん、選手の流動化はあるが、先ほど挙げた中山・名波・藤田・服部らは、他のクラブなら多分、抱え切れなかったのではないか。彼らが年月を重ねることにより、コンビネーションを熟成させ、戦術理解を高め、それを徹底する。磐田はますます、強くなるというわけだ。磐田の独走は、だから、Jリーグの今後の見通しを占う上では危険な兆候と言える。 チームには波がある。ベテランが健在で、強いシーズンが続くが、その間若手が伸びずベテランの力が衰えたとき、そのチームも弱体化する。一時期のヴェルディがそうだった。こうした事態を回避するため、チームはベテランから若手への切り替えを図る。当面チームの力は落ちるが、若手が育ってきた時点で、チームは再び強くなる。それが、チームプレーのプロスポーツにおける循環だろう。いまの磐田はこのサイクルの「ヤマ」にあたるが、「タニ」へと下る可能性が高い。藤田、名波、福西に代われそうな若手が磐田にいるかと問われれば、私は「いない」と答えるだろう。 もう1つ磐田の場合特記しなければいけないのは、高原が抜けた穴を外国人選手のそれ以上の働きで補っていることだ。つまり、ベテラン、外国人、若手の台頭・・・がうまくミックスすれば常勝チームがつくれるというわけだが、そうそう、うまくはいかない。チームが勝ちつづける条件は、選手ばかりか、監督・コーチ・トレーナー・・・などのスタッフの力が必要だということは言うまでもない。 クラブは、勝ちつづけるための諸々の条件を一つ一つクリアしていく。だが、たとえばレアルマドリードのように、あれほどの選手を集めながら、いま現在、スペインリーグのトップの座から滑り落ちた。Jリーグにおいては、磐田にストップをかけられるチームはいまのところ見当たらないように見えるけれど、磐田の主力選手にケガもあるだろうから、この先、磐田の勢いが続くとは断言できない。 とにかく、磐田は強いが、Jリーグの他クラブのレベルが上がらないことも独走の要因なのだ。Jリーグの若手が磐田のベテランに力負けしているようでは、日本サッカーの将来は暗い。ほかのチームの若手選手のますますの発奮を期待したいが、このような傾向は世界的な傾向である。代表でも、欧州で強豪と呼ばれたオランダがここ数年、「タニ」に当っている。スポーツは本当に難しい。
うは。きのうは読売がHR攻勢で中日に大逆転勝ち。大味な試合だが、読売ファンは大喜びだろう。こいうゲームを読売球団(特にオーナー)は望んでいるのかもしれないが、ちょっと待ってもらいたい、というのが私の願望。読売の大逆転という試合結果を中日の継投ミス、リリーフ陣の不調とみるか、読売の打力とみるかだ。 結果論で言えば、先発ドミンゴを5回まで引っ張ったのが悪かったのだけれど、TV解説者のN氏は、落合監督のドミンゴへの信頼の現れだと評した。5点とられようが、リードしている時点で、先発投手を交代させるのは愚の骨頂という評価だ。この見方は、悪くない。 中日サイドから見ると、「オレ流」が空回りした結果のようにみえる。が、一敗はしたけれど、長い目でみれば、「オレ流」が投手陣の信頼を得た試合だったかもしれない。私はこのコラムで、落合氏は監督に不向きと書いたけれど、きのうの逆転負けをきっかけに、落合氏が監督として高い資質を持っているように思えてきた。 監督・落合の今後の活躍に期待したい。
プロ野球セリーグの打者の中で、いま最も注目すべきはヤクルトの岩村だろう。広いオープンスタンスで重心を落とし、上体のパワーで打球を叩く打法だ。上体のブレがなく体重移動も少ない。ヘッドアップは見られない。ちょうど見たテレビ画面には、読売の桑田からホームランを打ったシーンが流れていた。打球は一直線でライトスタンド上段に弾かれるように飛んでいった。パワーはワールドクラスまちがいない。 岩村の打法だと、変化球に泳ぐシーンがまず見られないと思う。打たれっぱなしのセリーグ投手陣はおそらく、内角球でのけぞらせたり、岩村の体に当ててくる可能性もあるが、ケガをせずフォームを崩さなければ、岩村の活躍は続くだろう。 岩村の目標はトリプル3(3割、30HR、30盗塁)だという、足も速いのだろう。おそらく、田口、両松井に次いで、日本人野手大リーガーとなる可能性の高い選手だ。 岩村の弱点は守備だ。きのうの試合では、平凡な(やや強めの打球だったが)三塁ゴロをトンネルした。守備が安定すれば、大リーグの2番もしくは6〜8番を打てる。 岩村に比べれば、読売の4番コレクションなど、まったく魅力がない。外国人のローズ、ペタジーニは、大リーグ復帰はまず不可能。江藤、清原、小久保はスピード感がない。彼らは日本人としてはパワーがあるが、ワールドクラスとは言えない。高橋由のミートは非凡だとは思うが、大リーグで通用するレベルではない。 もし私が読売ほどの財力があり、日本プロ野球界の中から優秀な選手を集める権限を持つことができるならば、リストのナンバーワンは岩村をおいてない。さらに新庄(日ハム)、前田(広島)と続く。前田は残念ながらケガが多く、ピークを過ぎた選手だが、彼の絶頂期のスイングの速さは非凡だった。前田の完全復活はないだろうけれど、好きな打者であることに変わりない。阪神の金本もいい選手だが、前田同様、ピークを過ぎた。日ハムの小笠原、ダイエーの川崎、井口、松中も捨てがたい。捕手では城島(ダイエー)か阿部(読売)だろうか。 読売も峠を過ぎた4番打者コレクションを止め、浮いた予算でスカウト、コーチ、スコアラーなどのスタッフを充実すべきだ。スカウトはアメリカのメジャー、3Aに限定することなく、南米・中米・アジアに目を向けるべきだ。読売で育った打者をメジャーに売るくらいの心意気がほしい。国内でも大学、社会人などの有名選手だけでなく、地方にも情報網を張り巡らし、読売のマイナーで時間をかけて育ててみたらどうなのか。 日本球界はもっとトレードを活発化し、人材の流動化を図る方向にしたらいい。球団を増やし、できるだけ多くの選手が試合に出られる機会を増やすべきだ。思わぬ名選手が出てくるかもしれない。もっと、球界全体を活性化する努力をしてほしい。
鹿島vs市原――私が優勝候補に挙げた鹿島と、監督就任2年目を迎えオシムサッカーの集大成を目指す市原の対決。注目の一戦だ。期待をもって観戦したのだが、凡戦だった。ゲームは、一人多い市原が逆転勝ちした。 私は鹿島を今季優勝候補に挙げたのだが、この試合、GK曽ヶ端が一発レッドで退場、市原のサンドロに2点を取られて負けた。鹿島は、新加入のFW・ファビオジュニオールの動きが鈍く、攻撃が組み立てられない。一人多い市原も、コーナーキック、フリーキック、サイドからのクロスに精度を欠き、チャンスが広がらない。期待した割には、残念ながらレベルの低い試合内容で終始した。 市原は走るサッカーがコンセプト。それは間違っていないが、やはり、決定力のあるタレント不在が致命傷となっている。前季はチェヨンスの決定力で勝負を決めたが、今季彼は京都に移籍していない。この先、戦力アップのための補強をしない限り、今季は苦しい戦いが続く。 一方の鹿島だが、このゲームはGKの退場で深井が退いたので、どこまで攻撃力がアップしたのかがわからなかった。ただ、新加入のファビオジュニオールのコンディションが上がらないままだと、苦しいだろう。私の予想も外れそうだ。 さて、この試合の市原の戦いぶりに不満は残ったものの、「走るサッカー」は健在だった。市原の攻撃性は魅力的だ。日本代表にも、このエネルギーがほしい。
| 2004年04月05日(月) |
秋田はフィーゴではない。 |
クラブをかわって、元の所属クラブのサポーターから非難を浴びる選手は多い。移籍の激しいサッカー界だが、最近世界的な「事件」となったのは、リーガエスパニヨールのルイス・フィーゴのバルセロナからレアルマドリードの移籍だろう。 フィーゴ(ポルトガル代表)はバルセロナのMFで大活躍していたのだが、2〜3年前、マドリードの誘いにのって、移籍を果たした。移籍金は天文学的金額だったという。移籍はバルセロナ・サポーターには寝耳に水、フィーゴはポルトガル国籍の才能ある選手だが、頭角を現したのはバルセロナに移籍後からだった。つまり、バルセロナ・サポーターからしてみれば、フィーゴを育てたのは俺達だ、という意識が強かった。しかも、よりによって最大のライバル・マドリードに移籍するとは、普通の移籍先ではない。 バルセロナ・サポーターがフィーゴを許せない背景には、バルセロナを州都とする「カタルーニア」とマドリードを首都とする「スペイン」との地域対立・怨念がある。対立の深い根っこは、近代、フランコ政権下(スペイン)のカタルーニア弾圧があると言われているが、スペインの歴史に暗い私には、それ以上の詳しい史実はわからない。もっとも、カタルーニアという地名は「カタリ派」というキリスト教の異端の一派に由来すると言われ、中世、「カタリ派」は正統ローマ教会派のスペインから大弾圧を受けた。中世、カタルーニアは、現在のスペインの同州からフランス南部にかけて独立した勢力を維持していて、スペインとは宗派が異なるばかりか、言語、生活様式も違っていた。いまでも、カタルーニア独立運動は、バスクと並んで、スペインの深刻な国内問題の1つであり続けている。 フィーゴのバルセロナ(カタルーニア)からマドリード(スペイン)への移籍問題を、歴史的にどの程度前に遡って要因とするかはわからない。が、こうした背景を踏まえたうえで、カンプノウ(バルセロナのホームスタジアム)でのフィ―ゴへのブーイング問題を把握しておく必要がある。 さて、きのう、名古屋の秋田が鹿島サポーターからブーイングを受けたことを書いた。秋田に対する鹿島サポーターのブーイングは、もしかしたら、バルセロナでフィーゴがブーイングを浴びた事件を知っている半可通の鹿島サポーターが、バルセロナ・サポーターの真似をした可能性がある。なので、「フィーゴ事件」の背景を長々と説明した次第だ。 秋田本人の意思は、鹿島残留だった。秋田を切ったのは、鹿島フロントだ。秋田は、鹿島を去れという通知を受け取ったとき、号泣したと言われている。それだけ鹿島を愛したのが秋田だった。秋田が鹿島を裏切ったのではない、鹿島が秋田を裏切ったのだ。ここが「フィーゴ事件」と決定的に異なる。 秋田の闘志あふれるプレーは、Jリーガー、日本代表選手の模範だった。彼がすぐれたJリーガーであることに説明の余地がない。しかし、スポーツは下克上の世界であり、どんな選手でも長期間にわたって第一線を張りつづけることは至難の業だ。クラブ側からすれば、多大な功績を残した選手を移籍リストに載せなければならないときがくる。それはそれで、仕方がない。プロ選手の宿命なのだから。だが、敵として戻ってきた選手であっても、秋田は「フィーゴ」ではない。鹿島と名古屋に歴史的確執はない。ならば、秋田が鹿島スタジアムに敵として戻ってきたとしても、鹿島サポーターは、試合前ならばまず拍手で秋田を迎えるべきだ。そして、試合開始の笛が鳴ったならば、ブーイングをしようが拍手をしようが、それはサポーター各個人の判断に委ねられるべきだ。 私が鹿島のサポーターならば、試合開始前は秋田を拍手で迎え、開始以降は、秋田にブーイングを浴びせただろう。それが移籍選手への私なりの礼儀だ。もちろん、秋田の功績を讃えつつ、鹿島に勝ってもらいたいから、敵となった秋田にはブーイングが適切だ。敵として名選手秋田を尊敬し認めるがゆえのブーイングだ。 きのうの名古屋戦、鹿島サポーターが「フィーゴ事件」の表面を真似したのならば、寂しい限りだ。残念だが、鹿島にサッカー文化は育っていなかった、と言わねばならない。
| 2004年04月04日(日) |
鹿島サポーターはフーリガンだ |
鹿島から名古屋に移籍した秋田が、鹿島スタジアムで古巣と対戦した。結果は、秋田には残念なものとなった。鹿島の2点目、3点目は、秋田がしてやられたもの。2点目は本山が秋田のマークをスピードで振り切った。3点目は、コーナーキックから、秋田の後がま金古にヘッドで決められた。鹿島時代、秋田はしばしば、リスタートからのクロスをヘッドで決めていたのだが、この試合では、後輩に競り負けた。悔しいだろう。秋田がJ1のスピードについていけないことは、昨年あたりから、顕著になっていたことではあるが… 意外というか、びっくりしたのは、試合開始前、ピッチに登場した秋田が鹿島サポーターからブーイングを浴びていたことだ。移籍して敵となった秋田だが、最初は拍手だろう。ブーイングは尊敬(力を認めている)の表れという面もあるが、そういう意味には受け取れなかった。鹿島サポーターの心情は、私には理解しにくいものだ。 もっとも、鹿島サポーターといえば、ジーコ代表監督不支持のデモがあった後、ジーコ断固支持の署名を集めたりデモをした。彼らのジーコ支持の根拠は不明だが、ジーコとクラブの深い関係だけで代表監督支持の署名を集めるというのであれば、彼らがサッカーを知っているとは思えない。鹿島アントラーズは、鹿島という地域に深く根ざしたクラブである。このことは、「ホーム」のあり方として、Jリーグのクラブの範ともいわれる。だが、その実態が偏狭な地域主義であるならば、彼らを危険な存在といわねばならない。クラブの功労者と代表監督としての資質とは位相の異なる問題だ。鹿島サポーターは暴力事件を起こしたりはしないが、偏狭さの尺度からいえば、フーリガンと同じだ。鹿島サポーターに理性を求めたい。
プロ野球では、読売が阪神に2連敗。読売の先発投手陣が崩れ、各チームからかき集めた「4番打者」は凡打ばかり。金満読売の描くチームコンセプトが崩壊しつつあることは、スポーツ界にとって喜ばしいことではある。カネで選手を集めて勝とうという魂胆が卑しい。カネで勝利は買えないよ、というロマンティシズムのほうが私の好みだ。とはいえ、プロスポーツである以上、チームはカネ次第で強くなる。読売の場合は、カネのかけ方が間違っているだけ。読売の新監督が「4番打者コレクター」とは思えない。新監督は投手出身で、プロ野球における投手力の重要性を知らないわけがない。ならば、読売のフロントがカネで「4番打者」を集めれば優勝できると思っているのだろうか。 「4番打者」ばかり集めても、チームに4番は一人しかいないから、それ以外の打席に向かうかつての「4番打者」が他球団で4番打者であったことを忘れてしまう。たとえば、元ダイエーの小久保など、きょうのゲームでは3番打者として登場したけれど、6番か7番打者のように見えるから不思議だ。近鉄のローズなど、いま現在調子が悪いからかもしれないが、独立リーグ当たりから連れてきた、年俸2千万円くらいの助っ人にしかみえない。読売に集められた「4番打者」から、かつてのオーラが消え、荒削りの大振り打者にしかみえない。野球というゲームも不思議なものだ。いまさらながら、スポーツの複雑さを思い知らされる。説明できないことが次々と起こる。 さて、「4番打者」ばかりの打線にあって、小柄な仁志が細かい野球をしようと、盗塁など試みて失敗している。「ここは走る場面ではないですね」と解説者もあきれる新監督・堀内采配もあって、読売の敗戦を確信。読売vs阪神は途中でチャンネルを切り替えた。予想どおり、読売の優勝はないなと、一安心? サッカーでは、東京�垢�3連敗。エムボマ、森本(15歳)の新旧FWコンビもそれなりに機能して、平野、エムボマで2点とったが、FC東京に3点とられた。サッカーで3点取られたら、勝ちはない。私が名将と持ち上げたアルディレス監督も結果が出ない。 東京Vの弱点はDF力。主力の山田(卓)がケガで欠場しチームリーダー不在ということもあるが、左SBの三浦に元気がないし、右のSBの柳沢が上がったところを狙われている。4−4−2は難しい。中盤の選手も動きが鈍くスピードがない。シエイプアップに問題があるようだ。 というわけで、プロ野球、サッカーの両方で、読売系2チームの調子が悪い。両チームとも、読売グループという巨大メディア産業がバックにあるにもかかわらず、情報の収集力・分析力に問題があるのだから、困ったものだ。 読売グループが「巨人」で築いた「スポーツ王国」とは、歪んだ異常な「王国」だったようだ。読売グループには、健全なスポーツクラブを運営するノウハウがない。読売の「スポーツ王国」が滅亡して初めて、日本に本当のスポーツカルチャーが生まれるのかもしれない。滅亡に向かったジャイアンツとヴェルディは、いままさに明日なき戦いを強いられている。
サッカー日本代表が崩れ落ちそうだ。チームはバラバラ、監督と選手の意識のギャップは広がるばかり。選手からも、監督批判に近い声が上がっている。W杯出場を逃せば、選手はアピールの機会を逃すわけだから、ひとごとではない。Jリーグ各クラブの経営は厳しい。W杯で目だって欧州の有名クラブに入れれば、ギャラは大幅にアップする。「ヘボ監督、早く辞めてくれ、俺達をW杯に連れて行ってくれる監督に代えてくれ」というのが本音だろう。 川渕キャプテンも残酷な人だ。自分が連れてきた「神様」のご利益がないことに気づきながら、選手を批判し監督を非難しない。いまの代表監督は選手の敵、選手こそが被害者なのだ。就任時、偉大な神様の指導でW杯予選をすんなり果たし、ドイツ本大会で大暴れという選手達のビジョンは崩落寸前。選手が描いたビジョンを実現してくれない監督ならば、かつての名選手といえども、求心力はない。現役時代は名選手だったかもしれないが、監督としては素人、というのが選手達のジーコ評価の大筋だろう。 私は、現在の日本代表の実力は、トルシエ時代と変わらないと思っている。日本代表は、02年以来停滞している。だから、アジア各国の力が上がった分、後退となり、一次予選でランキング下位の国に辛勝という結果となって現れているのだと思う。トルシエ時代のままの実力ならば、W杯アジア予選は危ない。 ジーコ監督は、トルシエの遺産を食い潰しているにすぎない。トルシエ時代に育った「海外組」にジーコが執拗に依存していることがそれを証明している。02年から04年までの間、ジーコは代表の新しい顔を育てられなかったのだ。 代表チームの顔ぶれをみてみよう。ジーコが選んだ新しい代表の顔といえば、FWでは高原・久保だが、二人は病気と故障でなければ02年大会に出場した選手。高原はトルシエの子供だし、久保は代表に呼ばれながら、結果が出なかった。二人を除いたFWとなると、玉田と大久保しかいない。 MFでは遠藤、藤田、SBの山田、DFでは坪井くらい。藤田はトルシエ時代にも代表に呼ばれている。玉田、大久保、遠藤、山田と並べてみて、どれだけの魅力を感じるだろうか。私には、新鮮さも期待も感じられない。もちろん、新しく代表に加わった選手たちは全員優秀だが、大きさ、速さを感じない。私の好みではない。 結論はシンプルに下される。02年と変わらない力ならば、06年はアジアにおいて、後退を余儀なくされる。世界レベルでは、もちろんだ。W杯の予選は通過できたとしても、本番のベスト16は無理。 トルシエの遺産だって進化しているのではないか、と言われるかもしれないが、主力の海外組はほとんどが欧州リーグの下位チームのベンチ組。中田・小野を除けば、控えで試合に出ていない。進歩よりは退歩、よくて現状維持だろう。だから、「海外組」は正しい呼称ではない。「控え組」もしくは「ベンチ組」と総称すべきなのだ。 そもそも、日本代表(五輪代表も含め)は、02年の日韓大会予選グループ組合せ抽選以来、幸運に恵まれ続けてきた。日本での予選グループの相手は、ベルギー、ロシア、チュニジアだった。南米、欧州の強豪はほかのグループにまわり、たとえば、優勝候補のアルゼンチンが予選で敗退した。いかに、日本が恵まれたグループに入ったかに、議論の余地がない。 04年の五輪アジア予選(U23)におけるグループ抽選も、アジアの強豪と一緒にならなかったばかりか、中1日の強行日程を集中セントラル方式採用により、UAEとともにホームで連続3試合を戦うことができた。これは、サッカー協会の事務方の努力かもしれない。しかも、UAEラウンド最終戦、ホームUAEとの一戦では、UAEの自滅に救われ、ラッキーな勝利を上げることができた。前後するが、フル代表はオマーン戦で、ロスタイムに久保が奇跡のゴール(偶然のプレゼントボール)を決め、勝点3をゲットした。 ツキも実力のうち――という格言を否定しない。神風、奇跡は、神様が招きよせたものだ、という見方もあるかもしれない。だが、私は勝負の世界において、否、人生において、風向きが変わる日、潮の変わり目の到来を確信している。順風の後に強い逆風があることは、航海の常識の1つである。
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