3月30日に行われた日本vsエクアドルは後半終了間際、交代出場のFW佐藤が決勝ゴールを上げ、日本が逃げ切った。南米の強豪エクアドルは、前半堅守で日本を寄せ付けなかったが、後半開始後15分過ぎくらいから足が止まりだし、日本の攻撃を許すようになった。 エクアドルはW杯出場国だが、来日したメンバーは主力を欠いた「二軍」。そのうえ、長旅の疲れ、時差によるコンディション不良もあり、攻撃面で精彩を欠いていた。南米予選におけるエクアドル代表といえば、高地キト(首都)で勝ち続け予選を突破したが、地球の反対側の低地日本国でのアウエー戦では、高地の有利さが働かない。ホーム日本が勝って当然のマッチメークだった。 勝った日本代表の中で最も印象に残った選手は三都主だ。この試合で彼が攻撃的左アウトサイドで力を発揮することが証明されたが、逆に言えば、彼には4バックにおける左SBが無理ということだ。いまでは死語になってしまった「黄金の中盤」(=就任当初、ジーコ監督が提唱した4人の海外組MFを先発出場させる構想のこと)では、俊輔、ヒデ、稲本、小野の4人がMFの先発候補になる。ダイヤモンドにしてもボックスにしても、三都主がおさまるポジションがない。そこで、ジーコ監督は三都主を左SBにコンバートしたのだが、無理筋だった。Jリーグ(浦和)では、ブッフバルト監督が三都主の攻撃力を生かすため、彼を前目の左サイドで起用し続けて成果を出している。ジーコよりブッフバルトのほうが、選手の能力を的確に把握している。 きのうのエクアドル戦は、両国の親善という開催目的を十分に果たした。また、この試合がエクアドル及び日本の代表控え選手たちのアピールのために用意されたひのき舞台であったことも報道のとおりだと思う。だが結果的には、この試合を通じて、両国の代表監督がW杯出場選手を最終決定する情報を得たとは思えない。エクアドルの収穫は、アジアの代表チームの力について、実戦をとおして把握したことかもしれない。一方の日本は、�。唯道暗埃腓旅況眦�資質、�■藤弋彿櫃良坩堕蠅機↓�FW佐藤が相手にとって脅威であること――を再確認したことかもしれない。 06年(W杯開催年)、日本は米国戦、ボスニア戦を通じて、三都主に守備の資質がないことを確認した。その一方、三都主が日本の攻撃にとって不要な選手だと断定できないどころか、彼の存在は日本の攻撃の有力なカードであることが了解できた。彼を生かせるフォーメーションがいまだに確立できていないというのは、かなり深刻な問題だ。さらに、この試合で決勝ゴールを上げたFW佐藤が象徴するとおり、スピードのある攻撃型選手が日本にとって重要だ。 日本代表は、本番開催3ヶ月前にしてその姿が固まっていない。かなり、深刻な事態を迎えている。そんなとき、監督更迭という手段も考えておかなければいけない。本番直前の監督交代は、世界ではけして珍しいことではない。のんびりとした緊張感のない代表チームを活性化するには、ジーコ監督の胸の中ですでに大筋で決められるという代表選手選考を白紙に戻し、というよりも、ジーコ監督の交代という“天下の宝刀”を抜いていい。それくらい、“日本代表”はたるんでいる。
Jリーグで4バックを採用するチームが増えてきた。ざっと挙げてみると、鹿島、広島、清水、新潟、広島、大宮、名古屋、F東京、磐田、甲府、京都、福岡。3バックと4バックを併用する千葉(4バックというか2バックというべきか)、横浜を含めてもいい。 一方、完全3バックを堅持しているのは、大分、C大阪、川崎、浦和の4チーム。“Jリーグは3バック”とひところ言われていたけれど、今季、Jリーグは4バックに移行を果たした。 今年になって4バックに変えたのが、新監督就任の名古屋、F東京。システム変更に踏み切ったのがG大阪、磐田だ。昇格組の甲府、京都、福岡がJ2時代から4バックだったため、一気にJ1に4バックが増えたことになる。ジーコ監督は4バックを理想とするから、Jリーグの移行がもう1年早ければと、ジーコ監督は悔やんでいるかもしれない。 注目すべきプレイヤーとしては、F東京の左SB鈴木(規)・右SB徳永、鹿島の右SBで高卒レギュラー内田らが挙げられる。いずれも若手で、今年レギュラーになった選手もいる。レギュラーになれないものの力があるのが浦和の左SB相馬だが、浦和がナビスコ杯で4バックにシステム変更すれば、相馬の左SBでの出場が見られるかもしれない。 5節を終わった時点で最も貢献度が高い選手が鈴木(規)だ。彼は5試合に先発出場を果たしている。ブラジル人のガーロ新監督(F東京)は鈴木(規)の才能を見抜き、代表クラスに育て上げるつもりかもしれない。鈴木(規)の特徴は驚異の運動量にある。終盤近くにあってもゴール近くに駆け上がり(重戦車というニックネームがある)、クロスを放り込んでいる。 攻撃面のプレーの切れという意味では、鹿島の右SB内田も非凡だ。上がるタイミングに係る判断力、走力において優れている。“速さ”という面で、SBの必須条件の1つを満たしているが、あえて課題をいえば守備の“いやらしさ”の不足か。鹿島のブラジル人新監督・アウトゥオリが思い切って高卒ルーキーを起用した。 ことほどさように、ブラジル人監督は若手起用について思いっきりがいいというのが一般的だが、ジーコ代表監督はブラジル人だけれど、その決断が見られない。あくまでも、02年日韓大会経験者(トルシエジャパン)、海外組を基本にして、ドイツに行きたいらしい。4バックがJリーグの主流になったのがW杯目前とは、ジーコ代表監督にとって、ちょっとばかり遅かったか。ドイツで日本人SBの新戦力が見られないのは残念。 ※ ※ SBとは関係ないけれど、イタリアからW杯出場を目的に帰国した柳沢(鹿島)が骨折したという。復帰第一戦ではいきなりハットトリックを決めて実力を示したかに見えたが、あの試合は相手が一人少なかった。日本(Jリーグ)も甘くはない。全治2ヶ月というのは微妙だが、怪我が治っていきなりW杯というのは無理だろう。「鹿島枠」でジーコが召集するかもしれないが。 となると、代表FW4人枠は高原、久保、大黒、玉田か。筆者ならば、ドイツで試合に出られない高原、体調に不安を残す久保、当たりに弱い玉田に代わって、巻(千葉)、佐藤(広島)の若手とともに、Jリーグ歴代得点ランキング6位につけているベテラン森島(C大阪)を抜擢する。つまり、代表FWは、大黒(グルノーブル)、巻(千葉)、佐藤(広島)、森島(C大阪)ということになる。
| 2006年03月26日(日) |
WBCとは何だったのか(続) |
WBCの問題点については先回、述べた。日本が優勝したことで、WBCに係る制度が見直されるのか、米国の野球に関する単独行動主義が阻止できるのか。見方としては悲観的だ。MLB選手権を“ワールドシリーズ”と名づけてはばからない米国の傲慢さが、すぐに訂正されるとは思えないが。
●「巨人」の抹消こそが最大の成果 WBC開催、そして日本チームの成功の成果は何か。日本の野球界にとって最大の成果は、「巨人」野球が完全に終わったことを世に知らしめたことだ。WBCに召集され出場を許諾した選手たち――出場選手の所属は、イチロー、大塚のMLB組をのぞけば、パリーグの選手が大半を占めた。活躍した選手の中でセリーグの選手といえば、韓国戦で好投した上原(読売)、同じく代打本塁打を放った福留(中日)くらいしか思い浮かばない。それに反して、MVPの松坂(西武)、DHの松中(ソフト)、西岡(ロッテ)、渡辺(ロッテ)など、チームの主力はパリーグで占められていた。王代表監督は読売の主力打者だったが、監督としての才能は読売時代よりも、パリーグのダイエーホークスで花開いた。活躍した読売の上原は元来MLB志向が強いといわれ、「巨人のエース」で満足するような選手ではない。
●スピード、パワー、センスが野球の真髄 日本チームを構成する選手たちの資質は、かつて「巨人」が求めたホームラン打者とは異なっていた。WBCに出場した代表選手(野手)は、打って走れて守れて、そして、野球センスに非凡な選手だった。くしくも王代表監督は、リーグで戦う自らのチーム(=ソフトバンク・ホークス)のコンセプトを「スモールベースボール」と名づけている。王監督は、城島がMLBに移籍した後の自らのチームの理想像を、WBC代表チームに求めているのかもしれない。 読売は、長嶋が監督を務めた時代、豊富な資金とFA制度を使って、各チームの4番打者を集めた。ところが、巨人=ドリームチームがペナントレースで勝てないことが実証された。日本プロ野球はロッテに代表される、スピード、パワー、センスを中心としたチームが勝利をおさめるようになった。無名でも、才能溢れる選手を鍛え、経験を積ませて、チーム力で勝利する。こうした野球が主流を占めることによって、やっと、野球が読売新聞の販売促進ツールから、真のスポーツ・エンターテインメントに脱皮することが可能となる。そのことこそ、当コラムで筆者が訴え続けてきたスポーツとしての野球像そのものだった。WBCにおける日本代表の優勝が、「巨人」を中心とした、これまでの日本プロ野球の方向転換の道標となる。 日本の野球ファンは国別の代表戦をTV観戦することで、これまでの「巨人」野球のつまらなさに気づいた。常勝巨人という、緊張感のない「プロレス野球」に比べれば、WBCの野球は意外にも、スリリングなスポーツだったことを発見した。真剣勝負の厳しさと面白さを発見した。さらに、身近な隣国である韓国野球のパワーを基本とした強さを知って、「巨人」野球の“まやかし”をさらに思い知ったに違いない。 WBC第一回開催の意義とは、�(胴颪�、野球における単独行動主義を捨てる可能性を示したこと、��日本が、巨人野球を捨てる可能性がすぐそこまで来たこと――の2点を確認したことだろう。とりわけ、「巨人」一極集中の崩壊は、筆者の予想より早くやってきそうだ。WBCが意外な副産物を届けてくれた。
| 2006年03月25日(土) |
WBCとは何だったのか |
WBC=正式名称/ワールド(world)・ベースボール(baseball)・クラシック(classic)において、日本代表が優勝した。奇跡の優勝に近いが、チャンスを生かした監督、コーチ、選手等の頑張りに敬意を表したい。本当におめでとうございます。 でも、そのこととは別に、WBCの問題点をおさえておかなければいけない。日本では優勝に浮かれだれも取り上げないから、当コラムで書く。
●勝手に決められたグループ分け まずだれもが疑問に思ったのが、対戦組合せだ。WBCの主催者である米国大リーグ(MLB)は、2次予選の組合せとして、米国・韓国・日本・メキシコのリーグAと、キューバ、ドミニカ、ベネズェラ、プエルトリコのリーグBに恣意的に分けた。サッカーW杯ならば、予選リーグ組合せ抽選会は重要なイベントであり、どの国がどのグループに入るかが話題をさらう。強豪国が集まれば、「死のグループ」ともいう。ファンも当然、抽選という偶然性を楽しみにしている。 WBCでは、リーグ分けが米国の思惑で決められただけではない。同グループの1位と2位が準決勝を戦うという方式がMLBによって採用された。これも不思議なレギュレーションだ。サッカー等の決勝トーナメント進出組合せは、同一グループ(リーグ)の1位と2位が再び対戦することはない。WBCの方式では、同じ国同士の組合せが再度発生してしまうので、大会の面白みが減退する。にもかかわらず、主催者(米国)がこのような方式をファンに強制したのは、米国が政治的対立を続ける世界最強キューバ、メージャー選手の集まりであるドミニカとの対戦を回避したためだ。米国の思惑は、比較的実力が劣ると思われる日本、韓国、メキシコのリーグA組で決勝進出を決め、一方のリーグでキューバがドミニカに負け、ドミニカと決勝を争うというストーリーを描いたのだろう、米国とドミニカならば、どちらもMLBの選手で構成されているのだから、米国が負けてもMLBの「名誉」は守られると。
●対戦国と同じ国籍の審判を起用 二番目の問題点は、米国の出場試合に米国国籍の審判がジャッジを行ったことだ。このことについては当コラムで書いたので繰り返さない。また、ミスジャッジを繰り返したD審判については、コメントのしようがない。一生懸命やっている選手が可愛そうという以外の言葉がない。MLBの「常識」は世界の非常識ということか。
●投手の投球数制限は是か非か 日本のスポーツマスコミの主張は、WBCが採用した投手の投球数制限制度を「リトルリーグ」と揶揄しているが、筆者はWBCを断固支持する。日本の高校野球以下アマチュア野球のすべてがWBCを見習ったほうがいい。
●イチローの変身の理由は WBCの印象を記しておこう。最も印象的だったのが、イチローの変身ぶりだ。クールな彼が異常にハイテンションだった。その姿に驚いた人も多かったのではないか。 彼はなぜ、変わったのか、その理由をだれもが知りたいと思っているに違いない。日本のスポーツマスコミは、弱小チーム・マリナーズでプレーしていることからくる飢餓感だとそれを説明する。マリナーズはMLBアメリカンリーグ西地区の万年最下位候補チーム。イチローは個人成績でトップクラスを毎年記録し続けるが優勝はもちろん、プレーオフ進出すら体験できない。ヤンキースの松井に先を越されてしまった。イチローは、チームプレーの野球において、その栄誉から最も遠いチームの1つに属している。それがイチローの飢餓感となり、WBCで優勝すれば、ヤンキースの松井を越せると考えたのではないか――というのがイチロー変身の理由のようなのだ。 確かにそういう面を否定できない。日本の優秀なスポーツジャーナリスト諸氏がきっちり取材をして、そういう結論をくだしたことに間違いはなかろう。 でも筆者は、この説明に納得していない。イチローには、自己のイメージチェンジを図る理由が別にあった、と筆者は考える。筆者の以下の記述は取材に基づくものではないので、推測にすぎないのだが。 イチローはデビュー当初、名誉、栄誉を否定することの“格好良さ”を自らの商品イメージとして戦略化し、そしてそれに成功した。しかし、このままクールな個人主義者でい続ければ、彼は「野球職人」で選手生活を終える。しかも、彼が築いた“格好良さ”の賞味期限は、2005年で最後だった。 サッカーのヒデ(中田)の影響もあった。ヒデはW杯アジア予選を通して、あえて日本代表のチームメートに苦言を呈し、士気を鼓舞した。クールで個人主義者の「ヒデ」を卒業し、指導力、リーダーシップのあるニューヒデに変身を図った。イチローはヒデの影響を受け、WBCを通じて、日本プロ野球の「ヒデ」になろうと務めたのではないか。 ヒデ及びイチローは、いまなぜ変身する必要があったのか。そのような年齢に達したからか――CMキャラクターとして、新たな領域を開拓するためだ、というのが筆者の想像だ。賞味期限が切れたクール路線を続けていれば、企業は新鮮味のないヒデ・イチローにコマーシャル出演のオファーを出さなくなる。ヒデ・イチローのCM出演本数は減り、ギャラも縮減する。それを食い止めるためには、新たな自分を構築しなければいけない。新たなイメージのキーワードは、個から公(国)へだろうか。その背景には、日本の若者の間に、ナショナリズムや保守主義の台頭の萌芽が認められるからかもしれない。個に留まっているだけではもう、“格好良く”ない時代なのだ。ヒデは先のW杯予選を勝ち抜き、イチローはこのたびのWBCで優勝を果たした。二人とも個や私を捨てて、公に取り組むキャラクター構築にみごと成功したのだ。ヒデは薄氷を踏むような予選試合を何度も体験したし、イチローは予選敗退決定的だった。しかし、カミカゼが吹き、奇跡が起きた。天才とは、天をも味方につけることのできる者のことか。
●誇り高きメキシカン 日本を優勝に導いた最大の功労者がメキシコチームだったことは、だれもが認めざるを得ない事実だ。メキシコチームが米国人審判の疑惑の判定に怒り、米国の不正と断固戦う姿勢を貫いたことは賞賛してしすぎることがない。メキシコのプライドがWBC(=米国)のペテン、インチキを粉砕した。米国に負け韓国に負けた日本。しかし、メキシコのおかげで息を吹き返した。“一度死んだものは二度と死ぬことはない”――ゾンビ・日本はその神話のとおり、準決勝で二度負けた韓国に勝ち、決勝で世界最強のキューバに勝った。ゾンビといって日本の優勝を貶めるつもりはない。結果がすべてのスポーツだ。 けれど、日本の(プロ)野球のあり方がWBC優勝ですべて免罪されるとは思わないし、日本が世界で一番実力があるとも思えない。米国が日本野球に好意的なのは、政治的対立を続けるキューバに勝ったからだ。兄貴の喧嘩に弟が代わりに出て勝ってくれたからだ。弟・日本が兄貴・米国を守ったというわけだ。日米は固い絆で結ばれたかもしれないが、それもメキシコが米国に勝ったおかげである。勝負とは本当に、皮肉なものだ。 日本が喜んでばかりいられない理由はまだまだまだある。たとえば、勝率でいえば、韓国は準決勝で日本に負けた以外は1次予選から負けなしなのだから、韓国の実力も認めないわけにいかない。日本プロ野球関係者が喜びに浸っていられるのは、いつまでだろうか。
Jリーグ第三節、スポーツマスコミが全然騒がなかったけれど、筆者にとって必見の試合、名古屋vs鹿島をきのう(3.20)、Jスポーツの再放送でチェックできたので書いておく。 ポイントはたくさんある。思いつくままに列挙していくと、�ヽ姐饋与郡篤賃亰茵↓�玉田vs柳沢の代表候補FW対決、��ベテランDF秋田(現名古屋、前鹿島)vs大岩(現鹿島、前名古屋)の古巣対決、�ぜ�島FW柳沢vs名古屋DF秋田の元先輩後輩対決、�ヌ掌轍阿琉ど堯�吉村、本田、中村、杉本ら・・・と、鹿島の青木、増田、深井、田代(柳沢と交代)らの有望若手対決――となる。 筆者が最も注目するのは�,澄�鹿島には「世界一」の肩書きがつくアウトゥオリ(ブラジル)が、名古屋にはフェルフォーセン(オランダ)が、監督として新任した。Jスポーツの解説者・元新潟監督の反町氏は、フェルフォーセンの特徴について、選手のポジションをはっきりさせる点だ、と指摘した。Jリーグの主流は(もちろんジーコジャパンを含めて)、ポジションチェンジ、二列目からの飛び出し、追い越しといったポジションの流動性にある。そこに、フェルフォーセンが目指す“役割の明確化=固定性”がどういう反応を起こすのか――おおいに興味がわくではないか。 なお、反町氏は理論派といわれるとおり、その解説は筆者にとってもっとも示唆多きものの1つとなっている。放送中、ほかにもたいへん有意義なコメントを聞くことができた。こういう解説者がたくさんいてくれると、Jリーグ中継がもっとおもしろくなる。(※なお余談だが、ワースト解説者は、NHK専属だと思うが、“フリーキックの名手”といわれるK氏) 一方の鹿島のアウトゥオリ監督は、サンパウロを世界一クラブに導いた実績が示すように、世界レベルの指導者だ。出身がブラジルだから「ラテン」すなわち「自由奔放」「創造性豊か」といったキーワードで対比させたいところだが、そんな先入観こそ時代遅れ。昨年のクラブ世界一決定戦でリバプールを撃破したアウトゥオリの戦法は守備重視だった。サンパウロは、ディフェンスで世界一を奪取したといわれているくらいだ。ゆえに、この試合の見所は、「欧州の守備」対「南米の攻撃」という単純な図式にはない。そんな観念的な発想を捨て、両監督の守備に対するビジョンを無心で見たい、と筆者は思う。 さて、そんな見所満載の試合であるにもかかわらず、前半にショッキングな出来事が起きた。名古屋のキムが2枚のイエロー(共にラフプレー)で退場になってしまった。第一節で鹿島が広島に大勝(柳沢がハットトリック)したときも、広島の外国人選手の退場からだった。 試合が壊れたか、と思っていたところが、そうはならなかった。どころか、一人少なくなった名古屋がその後、試合の主導権を握ったのだ。サッカーというのは本当にわからない。 名古屋が崩れなかった要因は、まず堅守だった。4バックがラインで並びスペースを消し、さらに中盤が全体に下がり目で、センターの守りを固める。前線に玉田一人が残る形だが、その玉田が一人孤立してひらきなおったかのように、ドリブルでつっかけ、個人技で局面を打開する。一方の鹿島の攻撃陣は、コンディションが悪いのか運動量が少なく、攻撃の形がつくれない。小笠原、本山、ミネイロといった能力の高い選手が低調そのものだ。柳沢にいたっては、放送席の反町氏が再三、「シュートを打ってほしい」と連呼するも、守備的FW?!の本領発揮でチャンスを逃す。柳沢は後半19分に若手の田代と交代する始末。これでは、代表FWは務まらない。 積極的だった名古屋の玉田は、流れのなかでつくった決定的場面で一度シュートを外した。さらに、ボックス内でGKに倒され自ら得たPKを外した。PKを「究極の決定的場面」というならば、これも決められないようでは、玉田も代表FWは務まらない。しかも、解説の反町氏が再三警告していたように、玉田には「ファウルをもらいに行く」プレーが多すぎる。DFと交錯して倒れては、主審の顔をみて「ファウル」をアピールしているかのようにテレビ画面では見える。このようなプレーについては、海外の主審の多くがファイトしないプレー、すなわち、“非紳士的”ないし“見苦しいプレー”と看做し、カードを出す。玉田の身体に「ファウルをもらいにいくプレー」が染み付いているとしたら、彼はW杯では使えない、いや、自分で転んで主審に「アピール」するようなFWは、代表でもリーグでも使えない。幸いにしてというか不幸にしてというべきか、この試合の主審は玉田の「アピール」にカードを出さなかったけれど、玉田にはFWとして最も必要な「戦う気持ち」が欠けている。そればかりではない。「アピール」が通じないとして玉田が浮かべる「苦笑い」は、海外ならば主審に対する侮辱と看做される。 というわけで、冒頭の5つの対決結果を最後にまとめておこう。 � С姐饋与郡篤賃亰茲砲弔い討蓮�一人少ない名古屋を統率力のある堅守で救ったオランダ人監督・フェルフォーセンの勝ち。ブラジル人監督のアウトゥリオは、鹿島というチームを掌握し切れていないのかもしれない。 �◆Ф姪�vs柳沢の代表FW候補対決は残念ながら、「対決」に値しない内容だった。前出した詳細のとおり、この試合に限れば、両者ともに代表FW失格だ。 ��:ベテランDF秋田vs大岩の古巣対決については、両者共に無失点で乗り切ったのでドローといいたいところだが、�い亮�島FW柳沢vs名古屋DF秋田の元先輩後輩対決を含め、一人少ないながら鹿島を完封した秋田及び名古屋DF陣の完勝だ。 �ァ�有望若手対決については、名古屋が一人少なかったので評価を控える。ただ、レフティの期待の星本田(名古屋)のCK、FKの精度の低さが気になった。本田は本調子ではないのか。鹿島の若手は、一人少ない状況であるにもかかわらず、運動量、闘争心が見られず、失望した。 まとめでいえば、退場者が出て白熱した試合展開に至らなかったのが残念だが、一人少ない試合を堅守で乗り切った名古屋の守備に注目したい。名古屋の場合、後が安定すれば、中村、本田のサイドが基点となった攻撃で得点機会も増えるだろう。ただ、攻撃陣に高さがないため、サイドからのクロスを合わせる空中戦で相手に脅威を与えられない。杉本も悪い選手ではないが、前線のターゲットとして、また、クロス、FK、CKで威力を発揮する、高さのあるFWの補強が急務だと思うのだが。フェルフォーセン監督及び名古屋のフロントの皆様、いかがでしょうか。
Jリーグ広島vs浦和の前半26分、ボックス近くでジニーニョ(広島)とワシントン(浦和)が交錯しワシントンが倒れた。ジニーニョにファウルの判定は可哀想だなと思っていたら、主審が一発でレッドを出した。ジニーニョはなんと、退場処分になってしまったのだ。 WBCでは一人の誤審が二度も「誤審」をしたが、筆者の推測ではあれは信念の「誤審」すなわち米国救済の確信的誤審だと思う。D審判の場合、米国ホームだが、ホーム優位の判定とも違う。前に書いたとおり、そもそも国際試合でチームと同じ国籍の人間が審判になることはない。それでも、WBCは同じ国籍の審判を起用し続けた。 だが、D審判の場合は、審判の適性がない。審判に不向きな人間が審判という職業についているというわけだ。不適格な人材を配置転換できないなんて、日本のサラリーマンには理解しがたい。米国の審判制度については、筆者の理解を超える。 さて、Jリーグのジニーニョ退場だが、これも誤審だ。TVでビデオを流していたので確認したが、交錯であってファウルではない。多少、ワシントンを手で押したようにも見えるが、押しても押さなくても、ワシントンがシュートを打てる体勢ではない。 誤審をした審判の心理を推測してみよう。おそらく、彼は自分の「公正さ」と「的確な判定」に自己陶酔に近い興奮を覚えていたに違いない。いままで目だったことのない自分が、やっとのことで、「歴史に残る」判定を下したと。「勇気ある」己の判断に胸が熱くなったかもしれない。しかも、イエローではなく、「一発レッド」だ。 審判の陶酔は危険だ。審判は自己陶酔を求めてはいけない。審判は最も目立たないことが、最高の仕事ぶりなのだから。 この試合は結局、浦和が大勝した。戦力的に上回る浦和が、10人の広島を圧倒したのだけれど、この試合を楽しみにして、苦労して貯めた小遣いでチケットを買ったサッカー少年には悲劇が訪れた。 いくら浦和が戦力的に上であっても、サッカーは試合展開次第ではどうなるかわからない。広島が闘志と運動量で浦和に一泡吹かせるチャンスはあった。少なくとも、ジニーニョが退場するまでは、浦和は無得点だったのだから。 審判がレッドを出せば、試合が壊れる可能性は高い。観客はハンディキャップ戦を高いお金で見せられる。たまったものではない。 もちろん、審判がレッドを出してはいけないとはいわない。出さなければいけないときもある。しかし、レッドは自己陶酔で出すべきではない。レッドは冷静に、そして、だれもが納得できる状況で出すものだ。オレが主役だ、選手はオレに従え・・・では、いい審判になれない。
これや酷い。WBCの米国とメキシコ戦で、日本戦で誤審をした、あの問題の審判・デビットソン(米国人)が、再び誤審をした。今度はメキシコの本塁打を二塁打と判定したのだ。どうしても米国に勝たせたい、信念の誤審というわけか。 勝負とは不思議なものだ。誤審で負けた日本が準決勝に進み、誤審を跳ね返したメキシコが予選敗退した。相手は共に米国だ。 WBCの審判制度が国際試合と程遠いことは先に書いた。また、誤審をもって米国の傲慢さを指摘しても始まらない。だから、「米国は危ない」と、反米知識人風に発言するのもはばかれる。ナショナリズムを克服することは、そう簡単ではないということをせいぜい、確認するにとどめておく。 WBCは、野球発祥の地(米国)で初めて開催された、プロ選手が集まった国際大会だ。五輪よりはレベルが高いが、サッカーW杯に比べれば淋しい限りだ。今回、本家・米国が予選で敗退した。筆者は、米国vsメキシコのゲームセットのシーンをTVで見ていて、東京五輪で日本柔道がオランダ(ヘーシンク)に負けたシーンを思い出した。柔道は東京五輪で初めて、正式な五輪競技となったのだが、日本国民の期待を裏切り、日本柔道はオランダに負けてしまった。しかし、日本の敗北をきっかけにして、柔道は世界に急激に普及し出した。野球もこれから先、柔道のように世界に普及するのだろうか。 野球が世界的規模で普及するためには、「デビットソン」がいてはいけない。もちろん、戦う国と同じ国籍の審判がグラウンドにいてはいけない。野球の国際化は米国が野球における単独行動主義を捨てるところから始まる。 結論を言えば、WBCは失敗だった。米国主導で国際大会が開催される限り、野球の国際化は不可能だと思う。サッカーにおけるFIFAのように、特定の国(たとえば米国)の影響から離れた自立した機関が創設されない限り、第二、第三の「デビットソン」が出てくる。米国が本家意識を捨てて一参加国として国際大会に出場するようになること――そのとき初めて、野球が国際的競技として認知されるはずだ。 筆者は、筆者が生きている間は、野球がサッカーを追い抜くことが絶対にないと確信した。WBCが野球のローカル性を国際的に明らかにしたともいえる。
| 2006年03月16日(木) |
もう少し、早ければ・・・ |
鬱陶しい霧が晴れるような思いだ。もう少し早ければなー、と思わずにいられない。 日本サッカー協会のKキャプテンがドイツ大会後の次期日本代表監督の人選を指示したと、スポーツマスコミが伝えた。同じ日、ジーコはW杯後、欧州のクラブ監督への就任を希望していると、ドイツのスポーツ雑誌が報じた。 ドイツW杯後、日本代表は新たな監督を迎え、次回南アフリカ大会に向けて準備を開始する。ジーコは欧州の有力クラブで世界的監督としての地位を築く。それぞれが新たな未来に向けて歩み始める――果たして本当にそうなるのか。 筆者は、ジーコが欧州の有名クラブの監督の座を得るためには、�‘�本が最低でも予選リーグを突破すること、もしくは、�⇒汁�リーグにおいて、飛びぬけた「サプライズ」を起こすこと――が必要だと考える。�△箸蓮△發舛蹐鵝�日本がブラジルに勝つことをいう。 ジーコの再就職など心配する必要はないのだが、�´△箸發�なり難しい。だから、ジーコの再就職は失礼ながら・・・となる。 ジーコの落ち着き先は、金満日本(鹿島=住友金属)となるのがこれまでの流れだった。ところが、これまでと事情が変わっている。その鹿島には、世界一監督・パウロ・アウトゥオリが就任したばかり。いくら鹿島がビッグクラブでも、アウトゥオリとジーコの2人はいらない。 では、ジーコがブラジル代表監督に就任する可能性は・・・ない。ジーコはフランス大会でブラジル代表のTD(テクニカルディレクター)に就任している。TDは監督より上位だ。ジーコは、ブラジル代表監督の座に魅力を感じまい。 日本代表はドイツ大会で惨敗する、というのが筆者の予想だ。日韓大会の遺産でドイツで8強入り、というジーコの思惑は外れる。日韓大会で活躍した選手が4年たてばもっとうまくなるという前提は、代表サッカーではあり得ない。そのことについては何度も書いたので、繰り返さない。 ドイツ大会は、筆者にとって、一回休みに等しい。日本代表がW杯予選を突破して本戦に出場するにもかかわらず、いまの代表監督及び代表チームに興味を感じない。早くドイツ大会が終わり、新しい日本代表のコンセプトが出ることが待ち遠しい。最も重要なことは、新しい日本代表のイメージだ。代表監督の人選で、それがわかる。 東京五輪のクラマーから始まって、オフト(アイコンタクト)、ファルカン(???)、加茂(ゾーンプレス)&岡田、トルシエ(フラットスリー)、ジーコ(???)と、日本代表を率いた監督の人選に一貫性はないものの、クラマーからトルシエまでは概ね、規律・組織が基調をなしていた。ところが、ジーコ就任によってその基調が断絶し、ぐちゃぐちゃになったのが現状だ。ドイツ以降の最大の課題は、この混沌を修復することだ。今回も人選を誤れば、日本代表チームはいま以上に弱体化する。 筆者の願いは、運動量、スピード、組織を基調にした日本代表だから、それをコンセプトにした監督であれば、だれでもかまわない。
「疑惑」の判定で日本人のナショナリズムに火がついた。それまでは、公式戦開幕前の親善試合だと受け止めていた日本の野球ファンが一気に、WBCに関心を持ち出した。 日本代表は1次予選(アジア地区)を2位で通過。2次予選は米国、韓国、メキシコと同じグループに入り、初戦の米国戦を落とした。 この試合、日本は同点で迎えた8回一死満塁、岩村のレフトフライでタッチアップした3塁ランナー西岡がホームを踏み、決勝点を上げた。そのとき、米国のキャッチャーが西岡の離塁が早いとクレームをつけ3塁に送球するが2塁審判は大きくセーフのジャッジを見せた。しかし、こんな形式的なプレーに関心を寄せる選手、観客はいない。西岡の生還はだれがみても明らかだった。ところが、米国監督の抗議を受けた主審が西岡にアウト(併殺)のコール、日本は併殺でチャンスをつぶした。 再現ビデオで見る限り、西岡の離塁は早くない。塁審の判定を主審が覆すのも不思議な話だ。審判団のお粗末さを露呈したシーンだった。 だが、問題はそんなところにはない。まずもって、国際試合を戦う一方の国の国籍をもつ人間が審判を務めることが異常だ。五輪、W杯、大陸、地域別の大会・・・諸々の国際試合であり得ないことだ。WBCが公式国際試合とはいえない所以の1つだ。 二番目は、西岡のアクションだ。彼はベースに足を付けながら、あたかも走り出したかのような動きを見せた。あのようなアクションは疑いを誘発するに十分だ。たとえば、サッカーにおいて、ボックスの中で攻撃側の選手が手を上げた行為に似ている。ハンドではなくとも、ハンドと判定される可能性がある。中国には、“李下に冠を正さず”という諺がある。 西岡はタッチアップ後、初速のスピードを高めるためそのようなアクションをとったのだと思うが、WBCはローカル大会だから、相手が米国で米国の審判ならば、西岡のアクションは離塁が早いと判定される要素となりかねない。 ※ ※ さて、ローカル大会のWBCではあるが、日本の野球界が見習うべきレギュレーションがある。投手の投球数制限だ。1次リーグ65球、2次リーグ80球だと記憶している。投球数制限により、投手の健康管理、選手の機会均等の確保などが配慮されている。世界標準(米国標準)では、プロ野球の親善試合ですら、投手の肩・肘等が保護されている。リトルリーグ、高校生、大学生であれば、50球、中3日は絶対にキープしなければいけない。ところが、日本の高校野球では、「エース」と呼ばれる一人の投手が、県予選から甲子園の決勝までの数試合を投げぬくことが「常識」になっている。エースの累積投球数が1,000球近くに達することもあり得る。 先日、日本の高校野球において、ある代表校が選手の非行で失格となった。日本の高校野球の「退廃」については当コラムで何度も書いた。もはや、日本人のだれもが高校野球を純粋なものと受け止めていない。にもかかわらず、高校野球を神聖なものとして扱うマスコミがいる。筆者は甲子園大会の即刻中止を希望する。 それが叶わない「夢」――このまま高校野球が続くもの――ならば、高野連及び主催者マスコミ企業は、高校生の健康管理について、はっきりとした方針を示すべきだ。試合前の健康診断程度でお茶を濁してはいけない。最低でも、WBC程度の投手の投球数制限を規定すべきだ。日本の中学生たちが高校野球を拒否して、卒業とともに米国のマイナーに挑戦する機運が高まればいい。 なお、WBC日本代表に「巨人」の選手が選ばれていないのはなぜ?
| 2006年03月12日(日) |
Jリーグ、今季は裏作か |
2節が終了した段階で結論はないけれど、今季のJリーグに緊張が感じられない。筆者が優勝候補に挙げた千葉が、2節終了時点で勝点1という予想を裏切るスタートを切った。アウエーの大宮戦はともかく、ホーム開幕戦の甲府と引き分けたのは痛い。2節で最低勝点4がほしかった。千葉は2試合ともリードが守れていない。優勝候補の(といっても筆者の独断だが、)千葉の戦いぶりに象徴されるように、守備の課題が克服されていないチームが多い。全試合をチェックしたわけではないのだが、管見の限りでは、負けたチームの負け方が悪い。川崎が2試合で14点と大量点で勝利したことは評価できるが、相手の新潟、京都の守備に「粘り」がないことが気がかりだ。 TV解説者のI氏によると、春先は守備のコンビネーションが固まらず、大量失点を招くケースが多いという。確かにそうかもしれない。そのような傾向を否定するわけではないけれど、筆者は選手のマインドに問題が内在しているような気がしてならない。 W杯開催が、Jリーガーに影響を及ぼしていないか。代表に選ばれない選手にニヒリズムが漂っていないか。挫折感を感じている選手はいないか。マスコミが「日本代表」に偏向していないか。 たとえば、「代表に選ばれるためにリーグで頑張る」と、真顔でインタビューに答えるJリーガーが何人もいる。信じられない。サッカー協会は、そのような発言をする選手の頭の中をまず、改造しなければいけない。 グローバルな傾向として、プロサッカーの基盤は地域だ。W杯は4年に1度の世界的大イベントであることは確かだが、サッカーはまずもって、地域文化として自立し、地域経済に貢献する使命を負っている。代表とは結果に過ぎない。結果を目的とはきちがえてはならない。「代表」は選手のステップアップの象徴だが、リーグはその踏み台ではない。代表がリーグの上位に位置するのは、開発独裁国家の特徴だ。日本もそのような国家形態がつい最近まで続いていた。 筆者はかつて当コラムにおいて、サッカーは“リーグ”と“代表”の2つの焦点を持つ楕円であるべきだ、と書いた。日本人は円を国旗に使用しているため、楕円に美学を感じないのか。1つの中心をもつ整形された“円”の体系は美しいがしかし、必ずしも正しいとは限らない。2つの焦点で合成された“楕円”は一見すると美形とはいえないが、バランスという叡智が感じられる。 まずもって「国ため」にではなく、身近で等身大で関係の濃密な「地域空間のため」に貢献すべきなのだ。 W杯に出たいがために、欧州から日本のクラブに「電撃移籍」した選手がいる。そのような“わがまま”が契約社会において許されるのは、契約先のクラブにメリットがある場合に限る。もっとも、復帰を受け入れるJリーグのクラブ側が相手先に支払った違約金以上の収入が見込めるのならば、商談というものは成立する。契約社会は金銭で折り合えば何をしてもいいのだろうが、筆者はW杯=代表に一元化された日本サッカー界関係者の意識構造を危険なものだと感じている。 その理由は、この先、日本代表がW杯アジア予選を必ずしも突破できるとは限らない状況が迫っていることだ。 アジアの変化の第1は、06年以降、豪州がアジア予選に参戦することだ。豪州の代表クラスは、英国プレミア等々のクラブでプレーしている実力者ぞろいだ。第2は、石油産出国のオイルマネーの威力で国内リーグの底上げが必至だと思われることだ。第3に、中国、東南アジアの実力アップが挙げられる。 これらの複合的要因により、日本がW杯に出られなくなった途端、日本サッカーの斜陽化が始まるようであってはならない。日本におけるサッカー人気を不動のものにするためには、Jリーグが代表と同程度の位置にあり続ける必要がある。そのためには、Jリーグに世界レベルの選手が集まっていることも必要だ。銀河系軍団が日本にあっていい。そして、魅力あるJリーグであり続けるためには、まず、選手がJリーグに特別な思い入れ、誇りを抱いてほしい。選手がJリーグを「踏み台」と見ているうちは、Jリーグの位置も低いままだ。 有能なKキャプテンは、スポンサーが集まりやすい代表に力を入れて、でサッカー人気を拡大する戦略を採用している。この戦略は集金力は高いけれど、スポンサー撤退による危険度も高い。JリーグのチェアマンはKキャプテンに負けない戦略を構築してほしい。 ※ ※ 中央集権化された日本社会ではある。地方は東京から発信された情報の受け手であり続け、東京中心に「日本」が論じられている時代が長く続いた。しかし、本当にそうなのか―― もちろん、サッカーだけで東京中心の中央集権構造がそう簡単に覆るとは思わない。近代以降、日本の政治、経済、社会の構造がそのようにつくられており、日本のマスコミはそれを維持し固定化するツールとして、十分すぎる機能を果たしている。日本の中央集権システムを「1940年体制」と命名した経済学者がいる。「1940年体制」を大雑把に説明すれば、日本がアジア太平洋戦争に突入する直前、政治・経済・社会を臨戦体制へと適合させるため、すべての権限を中央政府に集中させた。政党は大政翼賛会、行政は霞ヶ関だ。敗戦後、このシステムは維持され、こんどは経済復興のために機能した、というもの。1940年体制=開発独裁国家だ。 筆者は、日本サッカーが代表優先の中央集権型であることが気に入らない。まるで、「1940年体制」ではないか。 筆者は、新潟や浦和や清水のように、地域に根付いたクラブが優勝することを切に望んでいる。筆者の願いは、筆者が在住する下町・東京に、オシム監督率いるブエノスアイレスのボカジュニオールのようなチームが誕生することだ。そうなれば、“裏作”という言葉すら思い浮かぶことがないはずだ。筆者は、いつもいつも下町・東京チームを応援し続けているだろう。そのときは無論、当コラムの幕は降りている。万一存続したとしても、そのチームの専用コラムに変身しているはずだ。
Jリーグが開幕。オープニングゲームはG大阪vs浦和の好カード。見所としては、小野の復帰、加地、ワシントンの移籍組の状況、そして、定位置である攻撃的MFに入る三都主の動き・・・とたくさんある。 結果については報道の通り。開始早々1点を上げた浦和が徐々に沈黙し、G大阪が追い上げて加地の得点で引分けた。注目の小野は海外遠征で「お疲れ」なのか、とにかく目立たなかった。たった1試合で判断できないが、小野はインドのような格下相手だと活躍できるが、Jリーグの強豪・G大阪のマークに何もできなかった。この程度なら、小野は代表の中盤に入るに値しない。小野がオランダにいっているあいだ、Jリーグは進化したのだ。小野は、Jリーグの進化についていけないか。 一方、代表戦フル出場したにもかかわらず、加地は豊富な運動量でチームに貢献した。驚異のスタミナだ。加地は代表の右SBのレギュラーを不動のものにしたといえる。 加地とマッチアップした三都主は、結果的には攻撃にも守備にもいいところがなかった。こちらも「お疲れ」組か。ブッフバルト監督がリーグ戦を通じて期待する三都主の「攻撃力」だが、この程度なら、三都主の代表入りも難しい。 浦和は知名度の高い選手を集めた「日本のチェルシー」だそうだが、おっと、監督の補強を忘れていたか。ブッフバルトをモウリーニョと比べるのは酷というもの。
前に書いたことだけれど、日本の弱点が4−4−2の両SB、とりわけ、左SBの三都主にあることは明白だ。Web Hochiが伝えるところによると、三都主が所属する浦和レッズのブッフバルト監督は、「アレックスはDFラインに入ると良さが消える。浦和では高い位置でプレーし、攻撃力を生かすはずだ」とJリーグでの復活に太鼓判を押したという。 また、辛口評論家のセルジオ越後氏は、Nikkansports.comの越後氏のブログでボスニア戦を次のように評した。 「日本の両サイドは攻めていなかったが、逆に攻められ続けていた。特に三都主のサイドはフリーパスだった。米国戦もそうだったが、今回で日本の弱点は世界的になってしまった」 日本代表の4−4−2システムは、相手が攻めてこないアジア向けのレベル。W杯欧州予選で敗退したボスニア代表のサブメンバー程度で機能不全に陥る。その理由は、相手が日本を攻めるからだ。日本のSBが攻撃参加を繰り返せば攻撃力は高まるのは当然だが、相手だって守りが薄くなったサイドを攻めてくる。1対1のレベルはもちろんのこと、相手のスピード、運動量、コンビネーション、つまりチーム力が日本を上回れば、日本のSBは弱点となる。三都主の守備力が弱ければ、サイドで耐えられなくなる。しかも、日本は本番前の米国戦、ボスニア戦を通じて、左SBの弱点を世界的に開示してしまった。 筆者はトルシエが4−4−2を採用しなかったのは、日本にSBが育っていなかったからだと思っている。ジーコは4年間で三都主、加地が世界的なSBに育つと思ったようだが、SBは、資質のない選手が時間をかけたからといって、うまくなるポジションではない。左SBとしてなら、三都主よりも村井(千葉)の方が可能性があった。4年後ならば、F東京の鈴木(規)がその資質からみて、日本代表に育つ可能性がある。選手の特性をみてシステムを使い分ける、というのは正論だが、相手あってのサッカーだ。弱い相手で機能したからといって、W杯で機能するわけではない。 日本代表はホームで、遠路はるばるやってきて、フラフラになった「○○代表」に勝ってうかれ、レベルの低いアジア代表に辛勝してここまできたけれど、実力からみれば、俊輔が活躍できる世界60位のスコットランド程度だと思う。アウエーならば、日本はスコットランドにも勝てまい。 日本代表は地理的な条件から、強豪とアウエーで戦うチャンスが少ない。日本代表の強化策をイメージでいえば、年間最低10試合は欧州・南米・アフリカの強豪国とアウエーで親善試合(テストマッチ)を戦いたい。4年間で40試合だ。国内試合は20程度でいいのではないか。もちろん、FIFA公認のW杯予選、アジア杯等の大会等(予選を含む)がこれら親善試合に加わることになる。日程的に相当難しいか・・・ でも、筆者が常々当コラムで指摘し続けてきた日本の真の課題(弱点)が、アウエーの米国戦、ボスニア戦の2試合を通じて明白になったことは、だれもが認めてくれるはずだ。いま現在、日本がW杯ドイツ大会の予選リーグを簡単に突破できると思っている人は、おそらくいない。
日本がボスニアと辛うじて引分けた。内容は負けに等しい。ボスニアの攻撃は右(日本の左サイド)からに偏っていた。このポジションの先発は三都主だ。日本代表監督が4−4−2にこだわる限り、左サイドは致命傷になりかねない。三都主はSBの選手ではない。ディフェンスが弱すぎる。 4年前、トルシエは俊輔を代表から外した。中盤に人材が豊富な日本代表では、才能がありながらチーム構成上代表から外さなければならない選手がでてくる。相手に弱点を見せてもそれを上回るパワーがあると確信できれば、敢えて弱点を承知する場合もある。三都主の攻撃力を生かすならば、3−5−2の中盤の左サイドで使うしかない。そのとき、俊輔、小野、中田、小笠原、松井の攻撃的MFのだれかが、あるいは、ボランチの福西、稲本らにも影響を及ぼしつつ、MFのだれかが、ピッチの外に出されることになる。 それがチーム構成というものだ。 現代サッカーでは、複数のポジションをこなすことが選手に求められているという。確かにそうだ。だが、SBというポジションはどうなのか。上がり下がりの豊富な運動量、攻撃と守備を兼備できる強さ、走力(スピード)、試合の流れ、攻守の切り替えのポイントを読むことができるセンス・・・4−4−2のSBはだれでもができるポジションではない。ヒデ、小野、俊輔はSBをこなせない。三都主もしかり。W杯の本番まで残り僅か。さ〜て、ど〜する、ジーコ監督。
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