マキュキュのからくり日記
マキュキュ
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■ (日記)明日から、新しい仕事に打ち込みます〜。


明日から、新しい店で働ける事になりました〜。
私が出来る事といえば、料理と歌う事と、接客ぐらいな物なので、言わずと知れた、「お水」ですが・・・・・・(^^;
決して色気の店では御座いません。(*^_^*)
損所そこいらのスナックとは大違い。(爆)
ジーンズで出来るような・・・、そして、私の素晴らしき仲間達が、気楽に集まれるような、そんな、リーズナブルに(¥3000〜¥5000)飲んで歌える、楽しい店にしたいと思ってます。
私の歌も聞けますよ〜。(笑)

店、対、客と言う観念は捨てて、私の家に遊びに来る・・・・・・、と言う感覚で気楽に遊びに来てください。( ^.^)( -.-)( _ _)
但し・・・・・・。お店の輪を壊すようなお客様は、お断りする場合もあります(爆)
楽しく、愉快に、平和に遊べる人だけが集まってくる・・・。そんな店にしたいので・・・・・・(^^;
後、私に色気を求めて来るお客様も、困ります。(笑)
私は誰よりも、主人を愛していますので・・・・・(爆)
私は松本の、聖母マリアなのです・・・・・・。(お歳暮だったりして・・・・・・。)
ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆


とにかく、松本に来たら是非寄ってくださいね。お待ちしてます〜。
場所 松本駅より徒歩2分。松本市中央1−8−3ダウンタウンモールビル201。
右側、一番手前のお店です。
パブ「マンチェスター」 日・際休み PM7:30〜AM1:00マデ
��0263−36−8577

『マキュキュ』宛で、ご来店ください〜。m(._.)m ペコッ





2002年09月30日(月)
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■ 【料理エッセイ】私が考えた、超リーズナブル料理 (PART�機�


コスモスが満開の我が家の庭。(コーポだけど・・・ ^^;)このコーポの10倍以上もある、駐車場兼、庭には、四季折々の草花や、生花、実のなる木が沢山生えている。
先頃は、梅ノ木に、沢山の梅の実がなり、梅干と梅酒を作った。
今は、栗や柿の木にも、たわわな実が鈴生りに付いている。その他、庭には、長ネギ、わけぎ、大葉、山椒・ミョウガ、ニラ等も植えてあり、お仏壇の花々や、チョットした薬味などには、事欠いた事がない。(笑)
大家さんのお婆ちゃん【一人暮らし】が、とても良い方で、自由に取らせてくれるのだ。しかも、息子さんや娘さんの家が畑を持っているそうで、野菜や果物のおすそ分けを何時もドアノブに掛けておいてくれる。

庭の目の前に広がる田んぼでは、先頃まで、正に稲穂が重そうに頭を垂れ、おいでおいでと、手招きしながら刈り入れ時を待っていた。今では、すっかり刈り入れも済み、一定の長さに刈られた稲は、まるで子供の毬栗頭の様で、妙に微笑ましい。

その田んぼの一角には、真っ白な愛くるしい蕎麦の花が、今満開に咲き誇っている。田んぼを挟んだ広めの道路は、ドッグランの如く、色々な種類の、かわゆ〜いワンコ達が、伸び伸びと散歩をしている。

その向こうには、大きく町並みが広がり、松本一を誇る花火大会が、家の窓から見物出来、さらにその一番奥には、壮大な山々が四方を囲んでいるのだ。
正に絶景である。

こんな景色や、環境が、独り占め(?)出来るような、この、素晴らしいロケーションにおいても、此処に引っ越してき価値は充分に有る。
皆様? さぞや田舎と思いきや、何と松本駅迄、僅か車で7分だ。【私の場合5分だけど・・・(^^;】もう、一生、ここから動きたくない ←悲願!!
本当に、此処は心が癒える。しかも、季節により、目の前の壮大なキャンバスは、その名画の姿を自由気ままに変えてくれるのだ。(笑)

そして、最近気付いたのだが、歩いて二分程の処に有る畑には、無人の野菜売り場なんて〜物があり、チョットした台の上に小ザルに盛られた野菜と、ダンボールで作った賽銭箱のようなものが置かれている。
値段は書いておらず、『気持ちだけ・・・』と言う意味合いなのだろう。

主には、形の悪い野菜や、取れすぎた野菜などが置かれていて、ご自由にお持ち帰りを・・・・・・的な要素も多分にあるのだが、一応は、野菜を作ってくれた人への敬意を表する為に、賽銭箱のようなものが置かれているのだ。

少し前までは、とうもろこし、トマト、キュウリ等が、ざるに盛られて置いてあり、初めて前を通りかかった時などは、一体幾ら入れたら良いのか解らず、真剣にスーパーで売られている値段を想像したりして、かなり良心的な金額を放り込んでいた。
が、しかし、今は貧乏ゆえ…(^^;、50円玉一個とか、10円玉2個とかをそっと入れ、「後は出世払いね・・・!」等と拝みながら、ありがたく野菜を頂戴してくるのである。(爆)
今日の収穫は、レタスと白菜。
形は良くないが、取れ立て新鮮な野菜である。

そこで・・・・・・。
前置きが、かな〜〜〜〜〜〜〜〜り、長くなりましたが・・・・・・。此処からが、実は本題です。

今日のメニューは、レタスチャーハン。白菜のマキュキュ風おしたし。白菜スープ。
レタスチャーハンは、作り方を説明するまでも無いので、置・い・と・い・て・・・・・・(爆)
おしたしと、スープは、作り方は違うけど、材料は全く同じだし、安上がりで、中々美味しいので、お教えしますね。


【白菜とさば缶のおしたし】(しゃけ缶でもいいよ)

� ‘蕕法⊃紂λ椶世掘Ρ�・醤油(少々)を入れて、濃い目の澄まし汁のような茹で湯を作る。

�◆,修痢¬�の付いた茹で湯で、白菜を数枚、好みの柔らかさに茹でて自然に冷ます。要は、味を染み込ませる為(鍋ごと冷蔵庫に入れてもいい)

��さば缶(三分の二くらい)を、汁ごと小鉢に移し、醤油、味の素、七味を入れてスプーンでつぶしておく。

�い気瓩診鮑擇鯏�当に切り、まとめて切り株のような形に盛り付け、上にさば缶フレークをたっぷり乗せて、ネギのみじん切りをまぶせば出来上がり。

【白菜と魚缶の激安スープ】

�’�したフライパンに多めのサラダ油を入れ、さば缶の残りを入れ(汁ごと)良くほぐす。

�△気亟未�ほぐれたら、ざく切りの白菜を入れ、良く炒める。

�G鮑擇�シンナリしたら、塩・コショウ(たっぷり入れたほうがウマイ)・醤油(色付け程度)を入れ、水を入れる。
好みの塩加減のスープに仕上げ、火を止める寸前に、たっぷりの長ネギのスライス、【斜め切り】ごま油少々を回し入れて出来上がり。

ばか安で、結構美味しい。スープは体が温まるし、おしたしの方は、ツマミにもなる。

どっちも、簡単でしょう? 試してみてね〜。

                          byマキュキュ





2002年09月27日(金)
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■ (日記)愛情宅急便�供 舛海鵑併�って有るんだね・・・


昨日、またまた チャット仲間から、明太子と博多ラーメンが届いた。(笑)

やはり、昨日書いた日記と同じく、某チャットルームで知り合い、今現在も、メッセでたま〜に、会話している仲間の一人だ。(正確には二人)
その人たちは、仲良く夫婦でチャットに参加していて、知り合った頃、ずうずうしくも、私のHPを宣伝した所、すぐさま見に来てくれ、奥さんの(C)に至っては、私のフアン(不安!?)になってくれ、批評をくれたり、励ましてくれたり、誉めてくれたり、BBSに書き込んでくれたりと、育児の傍ら、忙しいだろうに、本当に良く応援してくれている。言わば私の後援会長のような存在である。(爆)
そんな二人から、再び、愛情宅急便が届いたのだ。

ルームでは、本当に和気藹々で、皆でジョークを飛ばしあったり、突っつき合ったり、言いたい放題で会話している。(爆)

皆、私の事を『悪寒』(?)・・・・・・じゃなかった(^^; アハハハ・・・・・・。
『お母ん』と呼び、私の身を案じながらも、こき下ろし、こき下ろしながらも、PC超初心者の私に(未だにだが・・)丁寧かつ、呆れ果てながらも、色々教えてくれたりと、皆、私に優しくしてくれる。
顔も声も知らない同士だけれど、本当に仲良しだ。

過去、何度となく、オフ会の誘いも有ったのだが、言わずと知れた貧乏暮らし、私は行きたくても、毎回、参加出来ずに居た。(・・,)グスン
(松本でやろう? 次回は・・・・・・。(^^; )

お米を送ってくれた(S)にしても、明太子の(C&C)にしても、お礼の電話を掛けるまでは、《(C&C)は、アイニク留守だった。》声も何も知らなかった。(S)に至っては、性別すら知らなかった。ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆ 《ゴメンよ・・・》

そんな、言わば、所詮はアカの他人である私に、私の身体を心配し、生活を心配し、気遣ってくれて、コレほどの世知辛い世の中で有るにも関わらず、こうして愛情を届けてくれたのだ・・・・・・。
なんと、嬉しい事だろう・・・・・・。

昔から《遠い親戚よりも近くの他人》―― ということわざがある。
でも、今・・・・・・、私は《近くの親戚より、遠い他人》と、置き換えて、胸に染み込ませている。

ま、このことわざの(遠い親戚)の、遠いとは、住む距離ではなくて、関係の密度を指しているのかも知れないけれど・・・・・・。

私も、何れは人の助けになりたい・・・・・・。無論、今は、何も出来ない・・・・・・。
今の私に出来る事と言ったら、せいぜい、人の癒しになるような・・・、人を明るくさせるような、ヘタッピィーな文章を書きつづける事くらいである。(^^;
後は、真剣に辛がっている人達に、耳を傾けて聞いてあげる事くらいしか出来ない・・・・・・。聞いてあげたところで、何も助けにはならないかも知れないけれど。

でも、私がこうして、(S)や、(C&C)に貰った、《愛情宅急便》を、違う形で人にも送れたら・・・・・・って思っている。
どのような形にせよ、本当に辛い時に暖かな手を差し伸べてくれたということは一生、忘れられないものだから。私も、私の出来る範囲で、人に手を差し伸べて見たくなった。

人に故意で甘える事は、決して良い事ではない・・・・・・。でも、時には(SOS)を出す事も、必要だと、私は思う・・・・・・。
一人で抱えきれずに、命を落としたり、人を傷付けたりする位なら、(SOS)を出して見る事だと思う。
自分の知らない知恵を持ってる人もいる事だし、道が開けるかもしれない。
そして、人に助けられたら、感謝して、自分が無理なく返せる時に、返せばいいと、私は思う。
努力さえしていれば、何時かはきっと、恩返しが出来るはずだもの。

                   by マキュキュ












2002年09月24日(火)
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■ (日記)愛情宅急便 〜こんな事って、有るんだね・・・


3日前・・・・・。
以前からのチャット仲間と、久々にチャットをしてました。

チャッ友(爆)としての付き合いが、もう、かれこれ、1年半くらいにはなるのでしょうか・・・・・・、そこのメインメンバーは、主に、十数人くらいで、それこそ半年前くらいまでは、毎日のように会話を楽しんでました。
やがて、皆、バラバラになってしまい、今ではその仲間の一部が、メッセで、偶に会話をする程度でした。

それで3日前、常連の4人と、話してたんだけど、私の8月26日の日記を読んでくれた(S)が、「だから、今はお米も買えないんだよ・・・(・・,)グスン」と言う私に、「米送ったる〜」と言うんです。

お米が買えなくなったのは、本当の話で・・・、友人達(地元の)のカンパやら、私の僅かだった給料(大きく前借をしてたんで^^;、少ししかなかった)を、細々とやりくりしていたお金が、もう、5日ほど前に底を突いてしまったのです。
お金が底を突いたのと同じくして、お米も底を突きました。(^^;
やがて麺類も底を突き、我が家から主食系が、すっかり姿を消しました。(^^;
主人の初給料が、27日なので、それまではなんとか、有る物で食いつながなければならない。
TVの、月1万で食繋ぐ法だの(笑)を見ては、小麦粉を練って、お手製パスタを作ったり、手打ちうどんを作ったり、お好み焼きを作ったり、懐かしい水団何かを作ったり、薄焼きを作ったり・・・・・・etc.小麦粉は、こんなにも役立つものなんだ・・・と、改めて小麦粉に敬意を表したものです。(笑)
小麦粉を称えて、(小麦粉や〜 貧乏人の 救世主〜)などと、一句ひねったほどです。(爆)
ま、それはそれで結構楽しく、料理好きな私の事。何とか有る物を工夫しながら、やってはいたのですが、やはり、日本人・・・・・・。やたらとお米が恋しくなるんです。ハイ・・・。(笑)

私は、ほんのジョークだと思ってたんです。
本当に送ってくれるとは、正直言って思っても見なかった。(多少は期待してたけど・・・(爆))
まさか、幾ら常連で、仲良く会話していたとしても、顔も知らなければ、私の本性も(このままだけど(^^;)知らないわけでしょう?
中には、電話を教えあったり(殆ど女性ですが)オフで、会ったりした人も居ますけど、今は危険な世の中ですもの・・・。皆、それぞれが、多少は警戒している筈です。

でも、何と本当に、昨日お米が届いたんです・・・・・・。しかも、お米が届き、配送者の名前を見るまでは、私はその人の事を、男性だとばかり思い込んでいたのです。(爆)
私は、泣きました・・・・・・。後から後から、涙が出てきました。

主人は、信じられない・・・・・・と、唖然としながら、その驚きをテレ笑いに変えて、「凄いね〜、マキュキュの友達は・・・、本当に皆優しいねぇ〜。まさか、本当に? 本当に送ってくれたの?」と、何度も何度も繰り返し、感心していました。
テレ屋の為、友達作りの下手くそな主人には、考えられない事のようです。(苦笑)

今の世の中も、まだまだ捨てたものではないと、改めて感激しました・・・・・・。
とても、暖かい気持ちになりました。
そして、自分が情けなくもあり、その人に申し訳なくもあり、勿論、心から、ありがたく思いました。
昔の人は、(チャットこそ無いにしろ)見ず知らずの路頭に迷った人を、無償で泊めてあげたり、味噌醤油、米等を分け与えたり、そうして助け合って来たと言います。『困った時は、お互い様』コレを合言葉にして、多くの人々が助け合って来たのだと思います。
そんな、古き良き時代に、一瞬タイムスリップしたような、そんなホンワカした気持ちになりました。

名も知らぬ、顔も知らぬ、あかの他人に、お米を送ってくれるような人が居ると言うのは、今の時代では、珍しい事なのでしょう・・・・・・。
只、私が困っていなければ、そう言う人に出会った時、私とて、そうするでしょう・・・・・。

こんな人達の為にも、甘えてばかりじゃいけないんだ!!
先ずは、早く仕事を見付けて、安心してもらわなければ・・・・・・。

そして又、書くものに対しても、意欲が湧いてきました。と言うよりも、使命感が沸いてきました。

早く、いい物を書いて、何処かの賞に入選して、私の周りの、心優しき友人達に恩返しをしなければ・・・・・・。

そして、何時か、(良い意味で)必ず見返してやらなければ・・・・・・。


                     by マキュキュ








2002年09月23日(月)
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■ (日記)初めて、シナリオを書いてみようか・・・なんて思ってる


ひょんな事から、又もや、大昔の友人と、【私にとっての重要人物(謎)】悲願の再会(詳しくは、ネット上で再会)をする事が出来たのである。
彼は、数年前、某メジャーなシナリオコンテストで、見事佳作を捕り、地元の新聞にもデカデカと載り、ん?十万という賞金も手にしている。私の5000円とは、桁が違う。

当時私は、「へぇ〜〜、まさか、あの(K)ちゃんがねぇ・・・・・・」と、えらくブッタマゲタもんだった。(爆)
まぁ、彼が、人とはチト違った感性を授かっていた事は、前々から気付いてはいたものの、まさか、文芸の素質、及び、増してや難しい脚本などに興味を持っていたとは、正直言ってツユほども知らなかったのだ。
早速彼の作品を拝見し、「ふむふむ・・・、私もいっちょ、書いてみっか・・・。」
等、調子付いて書き始めたはいいが、その難しさ、めんどくささに、僅か三枚で音を上げ、(当時は手書きだったせいも有り、文章すら書いた事など無かった)そのまま、シナリオはホッタラカシとなり、頭からも消えていた。
がしかし、(K)の事は、時々思い出しては、「まだ書いてるんだろうか・・・? 元気なんだろうか・・・?」と、気にはしていた。

去る6月18日に書いた、『私のマブ達』である(M)が、同じ職場と言う事で、橋渡しをしてくれ、(M)の同級生でもある(K)に、私の文章の評価を求めた所、何と早速メールで返事をくれたのだ。(以外に律儀)
私は、有名な先生にファンレターを書き、その返事が来たような、天にも上る嬉しさだった。←かなりオーバー? (^^;)
しかも、毎日のように、感想なり、批評をくれるマメさに、私は偉く感激してるのだ。(何時まで続くか・・・・・・(爆))
しかも、彼ほどの人が、結構私の文章を素直に誉めてくれているのだ。
これは、本当に嬉しいではないか。
それで、文章や脚本についてのメールを交換しているうち、彼のおだてにも乗って、そろそろシナリオにも挑戦してみようか。。。等と、思った訳である。

無論、テニオハから勉強しながら書く訳で、何時になったら一作仕上がるか検討もつかないが、今月末の締め切りに間に合うように書くつもりだ。

↑ そりゃ余に無茶だ!!      あくまでも目標だから・・(^^;

あいにく、作品をこの日記に載せるわけにはいかないが、【応募用なので】ボツになる事は明らかなので、又、載せられる日が来たなら読んでみてくださいね。
処女作ですので。(*^_^*)


2002年09月19日(木)
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■ 【エッセイ】♪Oh MY PAPA ♪ 父の事 


♪ オー マイ パパ〜 帽子を横っちょに〜 
か〜ぶ〜り〜 おどけていた〜 ♪
 
皆様は、この歌い出しで始まる【オー マイ パパ】という歌を、ご存知ですか?
余りに多くの人が歌っている為、(勿論日本でも)私自身も誰の歌なのか解らないんですが、かなりスタンダードで有名な曲です。

サテ・・・・・・。
私は今まで幾度となく、この日記に亡き母を登場させてきました。
が・・・・・・。
父の事を書いた記憶は殆どありません。別に、意識して書かなかった訳ではないのですが、1・2度、ほんのエキストラ程度に、チョロっと引っ張り出したに過ぎません。(笑)
が、しかし・・・・・・、

(これでは余りに方手落ちではなかろうか・・・・・・? これでは、父は、草葉の陰で、地団駄を踏みながら、ひがんでるのではなかろうか・・・・・・?)
そう思い、今日は、少し、父の事に触れて見る事にしました。


時は昭和三十△年・・・・・。

私が産まれた時点で、私のパパは売れない喜劇役者だった。そして又、ママも売れない女優だった。二人とも、テレビなんかには、殆ど出してもらえず、脇役か、順レギュラーの仕事が1・2本有る程度だった。
無論、二人とも、それだけでは生活を支えては行けず、幼い私を祖母達に預け、ママは銀座のクラブの雇われママ。パパは、ストリップ劇場の前座のコント、ドサ周りの劇団芝居(現代劇だけど)調理のアルバイト等をしながら、一家五人の生計を立てていた。
パパは、ノンベェで、面白くて、女好き。
ギャンブルにこそ、それ程狂わなかった物の、(偶に麻雀や競馬はやっていたが)3拍子の内、2拍子半くらいは揃った、お定まりのダメ亭主。
少ないギャラを貰っては、その殆どを仲間達に奢りまくってしまう程、バカが付くよなお人好しでもあった。
それでも、私の事は殊の他可愛がってくれ、都内で仕事が有る時などは、例えストリップ劇場だろうが、怪しげな黒テント小屋だろうが、友人たちとの打ち上げパーティーのキャバレーだろうが、お構いなしに私を連れ歩くような人だった。

そんなある日の事・・・・・・
当時、4〜5歳ほどの私は、とある新宿のストリップ劇場の楽屋で、ストリッパーの御姉ちゃん達に遊んでもらいながら、パパのコントが終わるのを待っていた。
煌びやかな衣装がずらりと並ぶ楽屋は、私にとって、宝石箱にも見え、幼心にとても憧れていたのである。
「いいなぁ〜。きれいだなぁ〜。私も着てみたいなぁ・・・・・・」
うっとりする私を見て、お姉ちゃんたちは、何やら、ひそひそと相談事をしているようだった。
パパのコントが終わり、楽屋に戻ってきたパパに、出番待ちのお姉ちゃんたちが、そっと何かを耳打ちしていた。

やがて・・・、ストリップのショーも終わり、客たちも引けた後、何と、皆で寄って集って、お姉ちゃん達の羽で出来たショールやら何やらを私の身体に巻き着け、お化粧までしてくれて、ギラギラに私を飾り立ててくれたのだ。
「うわ〜っ!可愛い〜♪」 お姉ちゃんたちはおおはしゃぎ。
私もおおはしゃぎ。
パパもおおはしゃぎ。
そして、それだけではあき足らず、矢も立ても溜まらず、私はステージで踊ってみたくなったのだ。
パパにそっとおねだりをすると、パパはウインクをして、「チョット待っててね?」と言い、その場を去ったのだ。
そして、スタッフ全員が悪乗りして、お姉ちゃんたちがお客になり、他のスタッフたちが照明や音楽まで、本番さながらに掛けてくれ、パパの司会が始まった。
「ハ〜イ、皆様お待ちかね。当店が誇る、プリマドンナのナンバーワン!! 踊る妖精、○×△嬢の御登場でございまぁ〜〜〜〜〜す。皆様絶大なる拍手を持って、お迎えくださいませ〜〜」
暗転のステージに、スポットライトが照らされ、私は、ミヨウミマネデ、しかし、実に艶かしく、あでやかに腰をのたくらせながら(モチ、脱ぎはしないものの)ストリッパーの真似事をしちゃったんでありまして・・・・・・(^^;)。
皆、キャーキャーの大騒ぎ。

後日、その事がママにバレ、二人並んで、もの凄いお説教食らったわ・・・・・・。

そんな、ハチャメチャで、面白くて、大好きだったパパだけど、私が小学校3年の時、パパとママは、パパの愛人問題が理由で離婚し、その後も、私達母子とは、交流は有った物の、私が19歳の時に、パパは肝硬変で、急死してしまった・・・・・・。
そしてそれは、私の婚約を目前に控えた時だった・・・・・・。
パパの愛人から、悲鳴にも似た知らせを聞いて、私が病院に駆けつけた時は、もう既にパパの息は絶えていた。
パパの死に顔は、半分薄目が開いていて、まるでウインクをしているようだった。
『やったね! マキ! 婚約オメデトウ〜♪』と・・・・・・。


♪オーマイ パパ 帽子を 横っちょに 被り おどけていた〜♪

この歌のように、お洒落な、カッコいいパパではなかった。
けれど私は・・・・・・、どうしようもないけど、何故か憎めない・・・・・・。そんな、ペーソスに溢れたパパが、大ぁ〜〜〜〜〜ぃ好きだった。
優しく・チョッピリ情けなく・愛しかったパパ・・・・・・。
今、パパとママは、天国で会えているのだろうか・・・・・・。
そして、今でも、時々、喧嘩してるのだろうか・・・・・・。


by マキュキュ


2002年09月17日(火)
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■ 【ミニエッセイ】世渡り上手 


世の中には、世渡り上手な人が沢山いる。私の知人の中にも、何人かは居る。
やる事なすこと成功し、今ではある程度の富と、地位を得、自分のあり方を誇っている。

ハテ・・・・・・?
世渡り上手とは一体、どういう人を指すのか・・・。その秘訣は何だろう・・・、と、私なりに真剣に考え、研究してみた。

先ずは、私が思うに、世渡り上手な人は、先見の目を持っている人が多い。
人間関係を選ぶにも、仕事を選ぶにもだ。
物事を先取りする厳しい目を持っている。把握する目を持っている。正しい選択をする目を持っている。

次に、ある程度、非情・冷酷になれる人が多いと思う。人間は本来、優しく有りたい、でも、優しくばかりしてると、世は渡れないらしい・・・・・・。
適度の優しさと、適度の社交性と、適度の腰の低さと、人を撥ね付ける厳しさと、人に同情しない非情さと、人を踏み台にする冷酷さを上手に使い分けているように思う。

次に、ある程度は頭が良くないと、だめらしい。
算数ではなく数学。国語ではなく、理論。社会ではなく経営学。理科ではなく化学。これらに強くないと、先ず出世は望めないらしい・・・・・・。
要するに、勤勉にならなければいけない。

次に、目的の為には、どれだけの我慢と、努力が出切るかによっても、出世度が違うらしい。
大きな出世や成功をする人は、親の七光りでは無い以上、往々にして、一度はどん底を味わった人が多い。そんな人が成功のスタートを切る為には、世間と同じ事をしててはいけないのだ。
人の3倍働いて、人の3倍我慢する。それで目的の為の資金を貯める。←これが鉄則らしい。

そして最後に、目標を、とてつもなく高い所に置く事だ。
毎日決まって同じ時間に、三回、目的を唱えるのだそうだ。
明日、ステーキが食べたいなぁ・・・、デハなく、牛を百頭飼おう・・・、なのだ。
旅行でも行きたいなぁ・・・、デハなく、南の島を買おうなのである。
3Kと結婚したいなぁ・・・、デハなく、どこぞのお国のプリンスと結婚しようなのである。

さぁ・・・・・・、明日からは、先見の目を持って、非情・冷酷に振舞って、高校時代の教科書を引っ張り出して【有ったかなぁ・・・?】食費を月1万円に抑えて、酒とタバコを断って、昼夜働いて、真夜中にベストセラーを書いて、ロスの別荘の庭で象を飼い、その庭の池で鯨を飼う為に、一生懸命頑張るぞい!!
・・・・・・ってか、間に合うかいなぁ・・・・・・。(^^;

                 by マキュキュ






2002年09月16日(月)
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■ (日記)腰が痛い・・・・・・


この所、雨模様が多いせいか、気圧の変化が激しいせいか、長いこと酷い腰痛に悩まされ続けている。
吾が友人の、マキネコの気持ちが良く解る。うん。ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ
いゃぁ〜〜〜。本当に痛いんだなぁ〜。これが・・・・・・。(・・,)グスン
立ち座りも、いちいち、「イテテテテッ! アイテテテテッ!」と、思わず発せずには居られない有様・・・・・・。
車の運転していても、【自分で運転しててこそ】「イテテテテッ! アイテテテテッ!」の大連発である。(ため息)

そもそもは、それが原因で、社長と大喧嘩して、仕事を辞める事になったんだけど・・・・・・。余りに人の弱みに付け込むような嫌らしい処があって、今では辞めて正解だったと思ってる。
大体、こんなにも苦しい時期に辞めたという事は、それ相当の理由が有った訳で・・・・・、
本当に、プライドをズタズタにされて、私は怒り狂っている。それを庇ってくれなかった友人であるママにも・・・・・・。
ママだけだったなら、まだ言いたい事を言い合ってでも、もっと続けて居られたんだろうけどなぁ・・・・・・。例え可笑しな事を言ってるって解っていながらも、ママは社長の言いなりだったもんね・・・・・・。あんなやつら フン! だ。

あ〜。それにしても、腰が痛い・・・・・・。嫌だねぇ〜。年を感じて・・・・・・。

明らかに、これは、手術の後遺症って解っていても、何か、腰痛 = 年・・・。
みたいなとこって無い? 有る? でしょ? でしょ? (^^;

今日の松本は、雨模様。こっ面憎き雨模様。私の気分も雨模様。何もかもが雨模様。

本来は、雨の日は心が落ち着いて大好きなのになぁ・・・・。

こんな時は、何もしないで、ごろごろしてるに限る。
PCに向かって、久々に思案中の児童小説の続きを書いたり、読みかけの本を読んだり、TVゲームの麻雀に没頭したり・・・・・・ets

そうしてるのも、つかの間。
直ぐに、現実に引き戻される。

あ〜〜〜〜〜〜。早く仕事探さなきゃ・・・・・・。と、パニクる。
それも、かなりお金になる仕事を・・・・・・。 む、ムリだ・・・・・。
腰は痛いし、年だし、一体、私はどうなってしまうのだろう・・・・・・。
体力仕事ももう無理だし、どこかに小さなお店でも、空いてないかなぁ・・・・・。
一人で、マイペースで出来る店・・・・・・。私色の店・・・・・・。
もう一度、自分の店をやりたい・・・・・・。
誰かスポンサーになってぇ〜ん! アッハーァン♪"<(-.ё)ゝ

あ〜〜〜。理想としては、物書きの手伝いかなにかで、食えたらなぁ〜〜。何て思ってみたりもする。でも、理想と現実は厳しいし、こんな下手くそな文章じゃ、芽が出るはずも無い・・・・・・。
( ・( ;( ;_;)(>0<)ワーン

誰か私に仕事くれ〜〜〜〜っ!! 餓死寸前だぁ〜〜〜〜〜〜っ!!
ハローワークに行っても、皿洗いとか、掃除とか、旅館の仲居とか、レジ打ちしかない・・・・・・。(・・,)グスン
もっと、自分を活かせる仕事がしたい。

いいさ!いいさ! このまま干乾びて死んでやる! こうなりゃ、破れかぶれだい! どうにでもなれ〜〜〜っ!!
さぁ殺せ〜〜〜〜〜〜〜っ!! ←バグッタ・・・とうとう・・・・・・。ネジ切れ(笑)

(・・,)グスン  本当・・・理想と現実のギャップに、ギブアップ。。。。
ズルッ(ノ_ _)ノ







2002年09月13日(金)
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■ 【 しりとり】 誰かさんを真似て  【私風〜】


あくどい 医長 嘘八百並べてぇ〜 エッチな目で見ないでよぉ〜 女好きが〜

牡蠣好き? 禁句 食うもん有るっけ? 今朝はパン一個 こんな暮らし嫌さ!

詐欺師 信じられないっす 直ぐ返せ 千本のゲソ そんな事言った?

棚から牡丹餅 超不潔 つり銭に手をつけて・・・! 手に職を付けないと・・・ トンガのバナナ

納豆にウニ? 煮ても焼いても食えぬ ぬめるね 寝るの? 海苔が歯〜
破産するし 娼婦 風呂へ へそが茶を沸かしたんだってほ〜♪ ホルスタインみたいなママ

待つだけ待ってみ? 妙に眠 婿のさだめ 滅多やたらに無いかも もう寝ろや

火傷の後って痒(かゆ) 浴衣着ようよ 夜中にトンズラ

ラクダの尻 ♪リ〜ルリ〜ル何処に居るのかリ〜ル♪ ルール?これ

レモン色 蝋燭の刺激は・・・ わたしゃ疲れたわん ん?

あ〜〜〜〜、難しかったぁ・・・・・(^^; 

あなたもやってみて?(*^_^*) 

                          by マキュキュ






 





2002年09月12日(木)
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■ 【エッセイ】北の国から〜が終わってしまった・・・・・・


21年間も続いて来た、ドラマ、 【北の国から〜】 が、とうとう最終章を迎えた・・・・・・。

松本にフジTVの系列局が在り、そこの社員が以前、私の店の常連で(今ではもう、その頃のメンバーは、皆転勤でバラバラになってしまったが)その中の一人と十数年ぶりに連絡が取れ、彼は、わざわざ北の国からのカレンダーを送ってくれたのだ。
彼の話によると、監督も、その他少数のスタッフも、もう、定年だと言う・・・・・。
あのドラマには、私個人としても、とても強い思い入れがあり、それを除外視したとしても、余りにも素晴らしいドラマだったので、私は毎回欠かさず観ていた。

と言うのは・・・、あのドラマの監督は、実は私の従姉(A)の、元旦那様なのだ。

ドキュメント 【北の国から〜】 をご覧になった方はご存知だと思うけれど、彼の先妻は、平成4年か5年だかに、癌で亡くなっている。
その(A)の母と、私の母が実の姉妹なのだ。

東京時代は、親戚との交流も深かった為、松本に移り住むまでは、小さい頃から、始終行き来をしていた。
松本に来てからは数年に一度会うくらいだった。
しかし(A)は、今の私と丁度同じ年の時、そう、まだ47歳という若さで亡くなってしまったのだ・・・・・・。

その従姉の(A)という人は、とてもインパクトが強い人で、又、すこぶる賢い人でもあった。辛口で辛辣な物言いで有名な人でもある。
若かりし頃の(A)は、ちょっと、タレントのYouみたいな感じだったかなぁ・・・・・・。なんせ、容赦のない毒舌ブリ。(^^;)

(A)は、私より8つばかり上なので、子供の頃は良く遊んでくれたり、又、良く怒られては泣かされたりもした。(^^;
私の思春期には、私の実の母より、頼れる所も有ったので、よく相談事をしたり、お古の洋服を貰ったり、結構(A)には、色々な面で世話になった。
そう言えば、私が21歳で結婚をした時も、監督と(A)とが、お仲人を引き受けてくれたんだったっけ・・・・・・。(笑)
(私達は僅か6年で離婚しちゃったけどね・・・・・。)

既に松本に住んでいた母と私宛に、監督から毎年年賀状が届けられていた。そこに、【次回、北の国から〜と言うドラマをオンエアーします。乞うご期待!!】と書かれていたのだ。
それから、私達は楽しみに、ず〜っと北の国から〜を見続けて来たのだ。



(A)は、丁度、松本でサリン事件が有った数日後に、癌で亡くなった。
(A)の葬儀の席で、久々に再会した他の従兄達に、「お前、サリン事件の有った場所の、直ぐ傍だったんだよね・・・大丈夫だったのか?」等と心配された物だ。

亡くなる前の(A)は、原田大二郎のマネージャーや、各タレント達の世話などをしていたと言う。
葬儀には、私も参列させて貰ったが、そう言われてみれば、原田さんが葬儀の進行役を勤めていた。
原田さんは、TVで見るのと全く変わらない人だと、ちょっと感心した。
その他、二人が関わってきたドラマの、多くの出演者たちにも、身近で見る事が出来た。
(A)の家にも、多くのタレント達が集まって来ていて、不謹慎だが、私はちゃっかりとsignまで貰ってきた。(^^;
(ミィ〜ハァ〜で、チト不謹慎・・・・・・(^^;)

私の母が、平成2年に癌で亡くなり、翌年には、(A)の母である叔母が癌で亡くなり、次の年に(A)である・・・・・・。
もう、今では、皆、この世には存在しなくなってしまった・・・・・・。
僅か3年間の間に、3人が癌で命を絶ったのだ。
癌は家系だから仕方が無いのかも知れないが、本当に淋しくなってしまった。

【次は多分、私だろう・・・・・・】
今では、数人のいとこ達と、年老いた祖母と、もう一人の叔母が、東京に居るだけだ。

以前(A)の家に遊びに行った時、あのドラマの撮影裏話などを監督や(A)から、少しだけ聞いていたので、私は少し、皆様とは違った目で見る事が出来ていたので、感慨も又一段と深い。
壮太兄ちゃんがホタルの結婚式直前に事故で亡くなり、ホタルの結婚式に、壮太兄ちゃんのスピーチ練習のテープが流れると言う感動シーンがあった。
あのシーンと同じ様な事が、別の従兄弟の結婚式にも有ったのだ。
喉頭癌で声を出せなくなった、病床の伯父が、従兄弟の結婚式にテープでお祝いを送ったのだ。
私は参列していないが、参列者全員がボロ泣きしたと、今は亡き母が言っていた。


映像の美しさはもとより、人間の暖かさや、優しさ、又は、ずるさや、汚さや、情けなさ・・・・・・、哀しさや、淋しさや、虚しさ等が、あんなにもリアルで正直に描かれているドラマを、今まで私は見た事がない。
いかにも、造り物の胡散臭さが目立つドラマが多い中、【造り物】的な不自然さが殆ど感じられず、あんなにも赤裸々に、見事に人間の心の襞や機微が描かれている作品は、本当に数少ないと思う。
それが、あのドラマが20年も続いた理由だと思うし、人々に感動を与えてやまないのではないかと思ったりもする。
それぞれの役柄がノスタルジーと、ペーソスに溢れ、もの哀しくて情け無いんだけど、何て、暖かくてステキな愛情や友情で結ばれているんだろう・・・・・・と、あの世界の人々が羨ましくて仕方が無い・・・・・。

もしかしたら、あんな家族や仲間達を持つ事が、本来の人間の一番の理想なのではないかな・・・・・・? 等と思いながら、私は観ていた。

私も、あんな家族や仲間が欲しかった・・・・・・。


皆様は、アノドラマを、どういう風にご覧になってたのでしょうか・・・・・?
あんなに素晴らしいドラマが終わりを告げたことは、淋しい気がします。
でも、私の成長と共に、展開されて来たあの素晴らしいドラマに、私の親類が携わっていた事に、私は今、大きな誇りを感じています。

                      by マキュキュ



                     


                       





2002年09月10日(火)
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■ 【ショートエッセイ】私の一番好きな季節 〜秋到来〜


(秋)が私の一番好きな季節になってからどれくらい経つのだろう・・・・・・
子供の頃や、若かった頃は、ご多分に漏れず真夏が大好きだった。
何時も真っ黒に日焼けし、やれ、プールに行くだの、海に行くだの、遊ぶ事ばかりを考えていたあの頃・・・・・・。5月になればもう待ちきれなくて、誰よりも先に半袖の服を着、直ぐそこまでやって来た夏を想いワクワクソワソワしていたあの頃の私・・・・・・。

そんな私が、断然、秋を好きになり始めたのは、きっと30歳を過ぎた頃からなのだと思う。
アイスコーヒーでは無く、ホットコーヒーが恋しくなる頃・・・・・・。
心地よい冷えた一陣の風が吹き、目前の風景が全てセピア色に変わる頃・・・・・・。
何処からとも無く漂い始める、落ち葉が焦げたような、アノ、もの寂しい匂い・・・・・・。

そんな季節になると、私は決まって怠惰な猫になる。
取って置きのコーヒーかワインをサイドテーブルに置き、ベッドに寝転び、コラヴォケールや、ジェーンバーキンをBGMに、好きなだけ本を読む。
疲れきった心と身体に、養分が染み渡るような至福の一瞬。
そのまま時が停止し、うたた寝をし、そして、フト目覚めて又本を読む・・・・・・。
足元では、愛しいミュウーが、時折私の指にじゃれ付いている。
そんな、もの静かな自由な時を過ごせる格好の季節だ。

だから、私は秋が恋しくて堪らない・・・・・・。








2002年09月09日(月)
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■ 【エッセイ】ありがとう・・・・・私の愛しい子供達


今日までで、愛しかった金魚たち7匹が皆、死んでしまった・・・・・・。
水槽が、とうとう 空っぽになってしまったのだ・・・・・・。
10日くらい前から、一匹死に、2匹死に・・・、連鎖反応のように次から次へと死んでしまい、とうとう一匹も居なくなってしまった・・・・・・。
水を替え、氣を送り、薬を入れ、祈り、一生懸命手を尽くしたけれど、とうとうダメだった・・・・・・。

この、金魚たちは、私達夫婦が孵化させた、それは愛しい愛しい子供のような存在だった。
私のこの金魚たちへの思い入れは、殊の他強いものがあった。

3年前の5月、私に初めて子宮頸癌が見付かり、『円錐切除術』と言う、簡単な手術を受けた。検査と治療を兼ねた手術で、ほんの2週間ほどの入院で済むと言う。
切り取った部分にどのくらい、癌が浸潤しているかを調べる手術である。
偶々、担当医が友達で、「ママの癌は超〜初期状態だから、その手術だけで確実に完治すると思うよ」と言われていたのだ。

しかし、術後半月ほど経ったある日、病理検査の結果が出たと病院に呼ばれ、殊のほか癌が大きかった事と、取りきれなかった事を告げられたのだ。
思ったよりも癌が進んでいたらしい。
血液中の中に、ポツリポツリと、癌細胞が飛んでいるとも言われた。
一ヶ月の自宅療養期間を与えられ、子宮の全摘手術と、抗癌剤治療。いわゆるフルコースの治療が必要なのだと告げられ、私達夫婦は失意のどん底に居た。
今度入院したら、生きては帰れないのではないか・・・・・・? 母や、叔母や、従姉のように、あちらこちらをいじくり回された挙句、弱り切って死んでしまうのではないか・・・・・・、等の不安や恐怖に、私は苛まれた。
、
その、残酷な宣告を受けた夜の事である・・・・・・。

物思いにふけりながら、私は水槽を眺めていた。
【もしかしたら、この金魚たちよりも、私の方が先に死んでしまうのかもしれない・・・・・・】
そんな、センチメンタルな想いだった・・・・・。
水槽の中には、息子が、小学校の4年生の時、お祭りですくってきた金魚が3匹居る。7年もの間生き長らえていて、皆、驚くほど大きく育っている。
ふと目を凝らして見ると、何と、水草に沢山の卵がこびり付いているではないか。
私は叫ぶように夫を呼び寄せ、それを見た夫も、嬉しそうに叫んでいた。
「すげぇ〜!! 卵だ! 卵だ!! 初めて卵を産んだんだ!」
私達は、翌日、朝一で近所のホームセンターに飛んで行き、孵化するかどうかも解らぬ卵の為、60センチの水槽を買って来た。
清い水を造り、砂を敷き詰め、万全を期した後、壊れ物を触るような手付きで、卵のビッシリと付着したその水草を新しい水槽に取り入れた。
私達夫婦は、毎日ワクワクドキドキしながら水槽を眺めていた。
やがて・・・・・・、4〜5日すると、2ミリほどの稚魚が一匹、又一匹と孵化し始めたのだ。
「やったぁ〜!! 孵化したぁ〜!!」
私たちは抱き合って喜んだ。
一週間もすると、水槽のあちらこちらが稚魚でうじゃうじゃになった。

私は、物凄く嬉しかった。

絶望の淵で、新しい命が誕生したわけである。
チョロチョロ上下運動を繰り返している、大きな目ん玉を付けた可愛い稚魚達を見ていると、何故か自然に勇気と希望が沸いて来た。
私の癌と引き換えに生まれた命たち・・・・・・。
それから間も無く一月が経ち、私はフルコースの治療を受ける為に再び入院した。
約、10ヶ月の治療期間を要すると言う、長い長〜い入院になる。

しかし、その間、定期的に退院が出来た。2週間の抗癌剤治療が終わり、白血球などが正常値ならば、2週間自宅に帰れる・・・、と言う事を4〜5回繰り返すわけだ。
私は自宅に戻るたび、稚魚たちの成長が楽しみになった。
多くの金魚たちは、あっけ無いように死んでしまったが、やがて、少しずつ成長した可愛い子供達は、何人かの友人宅にも分けられ、私の家の水槽には、約20匹の子供たちを残す事にした。

それから3年が経ち、金魚たちは、徐々に減り、それでも、既に15センチほどにも成長し、元気に育っていたのだった。
しかし、その金魚たちが、今日で、全て死に絶えてしまった・・・・・・。

金魚に詳しい人の話によると、3年間生きただけでも、凄い事だと言う。
自宅で孵化させた金魚は、元々、大変珍しいし、又、掛け合せにまで気を使わないせいで、弱いらしい。
兄弟同士で孵化した金魚は、なおさら奇形や、虚弱体質に生まれるらしい。
今までよく育ててきたよ・・・、。
そう言って友人は慰めてくれた。

あの金魚達の誕生が、どれほど失意のどん底だった私を励ましてくれた事か。
私の癌に対する恐怖を和らげ、希望を持たせ、癒し続けてくれていた。

淋しい・・・・・・。とても淋しい・・・・・・。そして、哀しい・・・・・・。

あの金魚たちは、私の子供達だ。
私の病気と引き換えに生まれた命だった・・・・・・。

私の指先から餌を食べ、水槽に指を入れると、チュクチュク吸い付いてきた、可愛い、可愛い子供達。
私がそばに寄ると、前後左右に追ってきた、可愛い、可愛い子供達。

さようなら・・・・・・私の可愛い子供達。
こんな窮屈な環境で育てる事しか出来なくてゴメンネ?
これからは、もっと広い世界で、自由に泳ぎまわってね。
今まで癒してくれて、本当にありがとう・・・・・・。
死なせてしまって本当にゴメンネ。
あなた達の事を、私は一生忘れないからね・・・・・・。

※何か、辛い事ばかり・・・・・・。
神様・・・、もう、これ以上のことは無いよね?
お願い! 無いって言って・・・(・・,)グスン




2002年09月07日(土)
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■ (日記)不思議な夢 PART��


松本は、今日になって、久々のお湿りがありました。
日照り続きで枯れ始め、頭を垂れていた草木達が、一瞬の潤いに、とても嬉しそうに、活き活きと頭を持ち上げ始めています。
もう少し降ってあげてほしいなぁ・・・・・・。

処で・・・・・、今朝、またまた、不思議な夢で目覚めました。

私の亡き母や、父や、祖母や、友人や、従姉や、叔母達【この世にはもう、居ない人ばかりですが・・・】が、14〜5人くらい集まって、何とも美しい花園のような処に、大きな円を描いて座っているのです。

その真ん中に、やっとヨチヨチ歩き程の、赤ん坊の私が居るの。
皆、両手を開き、私の名前を呼びながら、おいでおいでをして、手を叩いてる。
赤ん坊の私は、誰の処に行こうかとニコニコ迷いながら、あちらこちらの顔ぶれを見回してるの。

そこで、私は誰のところに行ったと思います・・・・・・?

不思議な事に、母でも父でもなく、私は、余り一緒に居た記憶の無い、ひいばぁちゃんの所に、まっしぐらに歩いて行ったのです。

私がまだ、3〜4歳の頃に亡くなってしまった、そのひぃばあちゃんは、おぼつかない記憶の中では、何時も着物を着ていて、首には白黒の水玉模様のスカーフを巻いていました。
でっぷりと太った大きなおばぁちゃんで、私に、お手玉や、おはじきをして遊んでくれた記憶がうっすらと残っているだけです。
でも何故か、私は真っ直ぐに、その大きなおばぁちゃんの懐に飛び込んで行ったのです。

サテ・・・・・・この夢は、一体何を意味するのでしょうか・・・・・・(大謎)

誰か夢を分析出来る方が居たら、是非教えてください。
亡くなっている人ばかりに呼ばれてる・・・と言う事は、そろそろ、私もアチラ側に行く日が近いと言う事なんでしょうか・・・・・・(?)

ハテ・・・・・・?

でも、最近・・・・・・、アチラ側の方に、より、大好きな人達が増えているような、そんな年周りになってきた自分を感じさせられます。(笑)
まんざら、アチラ側が、嫌でもないような、不思議な気分です。
アチラ側の方が、結構、愉しそうにも見えたりして・・・・・・。



                       by マキュキュ






2002年09月06日(金)

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