2004年02月22日(日)
午後から雨になると聞いたので、
遠くまで写真を撮りに出かけるのはやめにして、
近場で映画を観ることに今日はした。
チケットは今回初めてネットで手配。
希望の時間によりよい席を、居ながらにして確保。
割引券を持って窓口で買うのと同じ値段でこれができたら、
それはサービスの名に値するというものだ。
だが、現状では単に金にモノを言わせているだけだ。
というわけで、ふたりで500円にモノを言わせた「指輪3」。
援軍到着という場面に萌える自分を発見したという人がいたが、
ぼくは戦場での雄叫び萌えだ。
しかし、「気合い入れて行こう」「おー」ぐらいならいいが、
「者ども死ねやー」と言われて、まだ「おー」と言っていられるだろうか。
というか、そこで「のぉー」と言えるだろうか。
いつの時代でもなく、今この時代に。
2004年02月21日(土)
最近(に限らないが)日記が書けないのはなぜかというと、
時間がないとかネタがないとかいう以前に、
どうやらモノを考えていないらしいことに気がついた。
思いつくことはいくつかあるが、
それはいってみれば、箇条書きのようなものだ。
文章にまで持っていくには、考えることが必要なのだ。
つきつめないまでも、もう少しじっくりと。
と書きながら、頭のなかを探ってみたら、あらら、
その思いつきとやら、実は箇条書きにさえなっていなかった。
「鎌倉 切り通し 有給休暇 名越 花
釈迦堂 デジカメ 材木座 鎌倉(以下リフレイン)」。
ダメだ、これは。
こんなワタシと、どなたか交換日記でもしませんか。
2004年02月13日(金)
街の写真家と化して以来、
にわかに花を愛でる心が芽生えているぼくにとって、
「週刊花百貨」の創刊は確かにタイムリーではあるのだが。
創刊号だけでなく、ずっと350円だといいのに。
そいで、今買うともれなくフィギュアとか
ノブナガの手紙とかついてきたりしたらもっといいのに。
「まるこめさん、はじめまして。
ぼくはノブナガです」
……なにがノブナガやねん。
……どこが花百貨やねん。
ビバ☆ザ・ショート・ダイアリー!
2004年02月12日(木)
柴咲コウ『蜜』。
どこでだって買えそうな、
こんなにも旬で、こんなにも売れ線のCDまで、
ぼくはアマゾンで買うようになってしまった。
店頭でCDを買う気はもうないらしい。
あ。トミー・フェブラリー……。
って、たまに書いたと思ったら、これだけかぃ。
ええ、まぁ、お蝶夫人と財前教授もカブってましたし。
2004年02月05日(木)
雑踏でのすれ違いざまに、ふと聞こえてきたのだった。
「1回こっきり」というそのコトバが。
そういえば「こっきり」なんて久しく聞いていなかったなぁとまず思い、
それ単独で使うケースなんてあるんだろうかと続けて思った。
たとえば、「短気は損気」というときの「損気」。
これが単独で使用されることはなく、出れば必ず頭に「短気は」を伴う。
「こっきり」もそれと同類で、「1回」とか「1度」と対になっているようだ。
とまぁそんなことを、にわかに国語学者と化したぼくは考えたわけだ。
しかし、「こっきり」とはそもそもなんだ。
七寸五分か。って、それは「コキリコ」だ。
気を取り直して広辞苑を引くと、
「ちょうどそれだけ、かぎり、だけ」とある。
「ちょうどそれだけ」なら「千円こっきり」もあるはずだが、
その場合はふつう「千円ぽっきり」というようだ。
では「ぽっきり」とはなんだ。
「ちょうどそれだけであること、かっきり」。
で、「かっきり」がなにかというと、
「数量などに端数のないさま、きっかり」とある。
さらに「きっかり」はというと、
「数量・時刻などがちょうどで正確なさま」である。
なんだか混乱してきたが、これらほとんどと
若干別の意味合いをこめて(誤用ともいう)、
「きっちり」をぼくは多用していることに気がついた。
ついでに、子供の頃「ちょっきし」を使っていたのも思い出した。
☆彡
ところで、謎の七寸五分「コキリコ」とはいったいなにか。
それについて調べるのはきっちり忘れてしまっていた。
だからそれは誤用だって。