独白2
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2001年12月31日(月) 昔日記

なんだかんだとパソコに触っていなかったからっていじりすぎ。
母の実家はパソコがない。まあジジババ二人なんである方がすごいが。
しかし私が滞在中に祖父はDVDを買ってきました。凄い。
パソコがあったら結構楽しそうにいじりそうだ。

で、久し振りなんですね。ここ書くのは。
なんつーかまあいろいろあって書きたいこともありまして。
思えば最近ずっと聞いていた槇原の曲の所為であったり聖なる夜の所為であったり冬コミケのせいであったりと。
まあようするに自分のせいなのですが。
懲りないですが酒が飲みたいです。
しかし私は一人で飲むのは嫌なんです。
我が儘というより寂しい(恥ずかしい言葉を惜しげもなく…)のです。
飲んだときはなんて言うのですかね、開放感ですか。
アルコールが入ると原始的な感情が抑制出来なくなるんですよね。
嬉しいというのは高等感情だそうな。
私はだったら原始的な感情を発散させるために飲みたいのかな。
祖母が私になんであんなおいしくもない物飲みたがるのといいました。
確かにどんな銘酒も本当に心の底からうまいと感じたことはなく、うまいというのは酒の中で飲みやすく、酔いやすい物が私の中の銘酒です。
地酒はうまいけど。八海山に越の寒梅。作りは一緒でも水が違うんだとか。
北雪は佐渡のお酒。手頃な値段で買いやすい。…って地酒自慢かよ!
とにかく酒は色々やらしてくれるんです。
大したことは結局できませんが。(突飛なことが出来るほど特別な人間ではない。)
誰にも話すつもりのなかった事を話してみたり。
聞いた方も楽しくないようなこと。
もう一人自分がいれば楽しいだろうなあ。
酔ってる自分を客観的に見ることが出来ますよ。

全然話変わりますが個人的な感情を。
私は我が儘で、(そう言うことを言うことが傲慢)つねにこうだったらいいのにな、とか考えたりするのです。
「こうしたい」ではなく「こうだったらいいのにな」で。
みんな普段こんなやって考えているのかはわかりませんが、私は『私が』こうやって希望的観測を持っていること傲慢以外の何者でもないと思います。
しかし私はそう思っていたとしても、徹底していない。
だからこういう考えに嫌悪感をもっているにも関わらずこういう考えがやめられないのです。
諦めているのではなく、私が嫌悪感を抱くのを含め、私の脳味噌はそれを容認している。つまり私はこの考えは正しいと思っているわけです。
話がそれました。
私が「こうだったらいいのにな」というのは要するに自分に対してではなく、他人に発せられるものなのです。
無条件に他人が、私にしてくれることを思っている。
「他人が私にこうしてくれたら私はきっとこうなれる。だからこうだったらいいのにな」そんな感じ。
でもこうだったらいいのになあと思っていても、実際に私に対して私が思って通りの事を寸分違いもせずに行われることはないわけで、さらに私は「寸分違いもせず」というほど細かく思い描くわけでもない。
実際こうだったらいいのにと思う行動を相手にとらせるには私からそう言う行動に出そうな人を捜して、そう言う行動をとるような言動をとり、そう言う課程から「こうだったらいいのに」という行動を相手がとるわけです。行動に移した場合。
私はきっと無意識にそう言う人を周りに好んで置いているんだと思います。

何が言いたいかというと。
現実では私が思った通りに行動する人なんかいなく、いたとしても自分がしむけたもので、さらにどうしても(無理だとわかっているのに)心から思い通りにした気分を味わいたい場合は下準備の課程を思い切り忘れるように自分を騙しているしかないと。
100歩譲って本当に確率は少ないが思い通りに言った場合、自分を騙して浸っている場合。
それはつまり私がどう足掻こうと一人で生きていると言うことを確認しただけで終わるということ。
私が他人にして欲しい、して欲しくない、というのはつまりそういうことなんです。
全てが私の思い通りになったならば世界は私一人でいるのと同じなわけです。

他人と自分の関係はいくらどこまで親しくなっても一緒にいても歯車のようだと思いました。
お互いに触れてるし、近いし、一緒に回っているけど絶対にかみ合わない。
かみ合ったら回らないんです。
そして回り続けたらガタがくる。
いずれ壊れるんですね。
それは早いか遅いかわかりませんが。
絶対にかみ合うことがない。
私は他人に嫌われるのは好きじゃありません。
大抵はみんなそうでしょうが。

友人がマンガで太一に凄いことを言わせてました。
「オレは人と別れることもオレが嫌われることも信じられない!!」
本当に、彼女は凄い。
私はマンガ描く時(特にカカサス)自分自分自分でまるで自分の事を描いているような気になりますが、彼女はそうじゃないんだなあ。少なくとも私よりは。

話がまた脱線しました。
とにかく、私はそんな風に声を大にして叫ぶことは出来ませんが、心の中で少なからずそう思っていることは確かです。
だから他人に嫌われるのは好きじゃありません。
だから私は他人に対して、自分に対して逃げ道を作ってしか接しられない。
自分にも!!
これもまた本物です。それが私だ。
そう言う言いかたもあるでしょう。
物は言い様だ。
私はそれを私だとは思っていないわけではなく、私が他人に対して常に見ているやり方で私が見たいだけです。
分割して証明したい。
こういう私がいる、こういう私もいる。
でも全部合わせて私なんじゃなくて、これもあれも全部私だと言う証明がしたいというか。
そうすることで八方美人が(あんまりないけど)自分に容認されるというか。

なにをいいたいのか自分でもサッパリになってきましたが。
いつもながらいい加減です。
なんていうか…我が儘ですが私にたいして私がわからないように表面的な接し方をして欲しいんです。親しい人に。
私がわからないように私と親しいふりをして欲しい。
我が儘だとわかっていながら言うあたり死んでしまえだ。しかしこれも私の脳味噌は容認している事柄だと言うこと。
私は期待(無理だとわかっていながら夢をみる)していたのにやっぱり自分は一人でしかないと言うのに気付かされるよりは騙されていたいんです。

でもこうやって他人にして欲しいことを求めていることから自分で、自分に、気付きたくない事柄に気付かされているんですよね。
そして私は自分のためでもこの下準備を忘れることは出来ないでしょう。
これは感情から出来ないのではなく、人間には出来ることと出来ないことがあるという単純明快なことからです。
能力の低い人間は大変だ。生き方が不器用。

なんだかホントにつらつら長く書いてしまったのですが誰が読むんですかね。
凄い。つーかまたしても少し私信入り気味。気付くのかしら、本人。
私は臆病なので直接本人に言うことが出来ませんでした。
いつだって肝心な所でダメなんですよね。
つーかお題を決めないとだらだら長くなりますね。
明日は決めようかな。きちんと。
って明日って1月1日じゃん。
はやいですねー…。


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