独白2
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今風呂場でピアスを落として大慌てでした。 つーか長いヤツだからって油断してました。 一応人からもらったものなので。
明日は早いので寝ようかとも思いましたがバナナがあったので食って日記書きます。 誰もバナナ買ってきてくれなんていってないのにー!(私ぐらいしか食べない) いや、食い物の大切さをもう少し噛み締めた方が良いでしょうね。私は。 つーかまずいものが嫌いなのではないのですが、やっぱ食べるのだったらおいしいものがいいのです。 当たり前ですが。無理にというか…お金無くても頑張っちゃうんですよね。 お金無いときはもはや食わない。…アホですね。 まずいものなんか食ってたまるかー! って思っているわけでは無いのですが、食わないと言うことはそう思っているのでしょうか。 これってやっぱりプライドなのかしら。
本日のお題は『自尊心』ですね。
私はプライド高いくせに人から否定されるのはそんなに苦では無いというふざけた矛盾人間です。 例えば「オマエのやってることは無駄だらけでオマエに存在価値なんか無い」とか言われるのも結構苦にはならない。 つーかむしろ興味を引かれる。 私の頭はこういうことに関してはとても優秀なのかはわかりませんが、否定されるととても都合良く解釈するというか変換するというか。 便利なものですね。 プライドは高いけれど手段は選んでいられないという現状からこうなると言うこともありますが。 否定の言葉も楽しいものです。(変態ではない)
私が苦手で、一番自分のプライドの高さを思い知るのはそんな事では無いんです。 私の周りには同人やってるせいか年上の人が少なくありませんでした。 と言うか私とタメか上しかいなかったんですが。 私は若い人が苦手です。 というか年下…。 苦手というかね、ホント自分のプライドって高いんだなーと思うのが嫌。 だからといって年下の人を見ないとか認めないとか言うことはないつもりです。 ただ、私が年下の人を見ないようにすることはたまにある。
私は見ないようにすると言うことが逃げと言うか、プライドが高すぎるというのです。 ウザイ。 カウンタの話でもそうですが、最も考えなければならないことは、私の歳や相手の歳、表に出ている数字などではないんです。 それをわかっているのに私のくだらないプライドから正しい(正しいと言うのもおかしいですが)見方ができないというのは本当にくだらない。 結果的には自分にも良くないです。
見えていないというと身内。 私は自分の周りの人たちが凄い人たちだと思っています。 でも私はくだらないプライドを持っている。 私は私の持っているプライドから正しい見方が出来ていないかもしれない。 プライドが高く、自分を特別と思うと言うことは、自分の周りも特別だと思うと思います。 自分が仲のいい人なら特に。身内贔屓ですね。 私は私が特別でないと言うことを知っています。 ただ、これは「他人にとって」私は取るに足らない人物だと言うことで、「私にとって」私は特別ではないといっているわけではないのです。 内と外。 知っていてもどうしようもなく、その結果身内贔屓が起きるんですね。 私がそのくだらないプライドから仲のいい人たちを正しく見ることができないというのは滑稽というか無様というか…失礼なんでしょうか。 近くて遠い。 赤の他人だったら本当に客観的に見ることができるんでしょうね。 自分が関わった時点でもう客観的には見ることができないんです。
私は身内の人を買いかぶっているんです、ということが言いたいわけではなく、私のくだらないプライドがあるせいで正しく見えていない(おかしな言い方ですが他に適当な言葉が思いつかず)かもしれないといいたいのです。 では真実とは?と言われると痛いですが。 人の感覚とは曖昧なもので、大勢の人がいいといっても全員がいいとは言わない。 真実と言うものはわからないものなのかもしれません。 少なくとも自分に対して自分が弁護していると(私は思う)いうことがある限り、自分のことであっても判断の基準が無くなるわけだから真実はわからない。 疑いだしたらきりがないですが。
真実に一番近いのは事実を見た他人の意見だと思います。 ただそれも近いというだけで真実では無いと思います。 個人の感情がはいってきますから。 必ず信じられるというものは、私がここに存在して、考えていると言うこと。 「コギト・エルゴ・スム」ですね。 そこにある。あると言うことは事実では無いかもしれないけれど、あると「私が思う」ことは真実だと。
ここでの私の落とし穴というかここが無駄なことの証明というか。 あると思うのは真実。 では何故あるのか。 そこを考えるから無駄な循環になるわけですね。 私がこう思う、といっても証明のしようがないから絶対に憶測の域を出ない。 私の中の真実は他人の事実にはなり得ない。 私は私の無駄な感情というか保護の感情があることを知っている。 だから私の中の真実が、私の中でさえも真実かどうか疑う気持ちが出てくる訳です。
きっとこうやって疑うことすら完璧ではないからこそなおさら。 無意識に疑わずに認めていることもある。気付かないだけで。それが何かはわからないからこそ。
どんどんお題を無視して話が進みます。お題をつけなきゃいいのかなー… あー…しかし倫理取っておけば良かったな。 本当に。なんで私のコースは倫理とれないんだろう。 つーか倫理って文系なのかよ!? 独学で勉強したいところです。
全ての事柄がハッキリしていなければ判断は出来ません。 私がすでに勉学(学校で学ぶこと)を放棄している時点で私の中での真実は既に見えないと言うことが約束されているんです。 全てにおいて中途半端。
ところでカウンタ回ってます。 ホントに私は自分一人で回す気満々だったので嬉しい限りです。 ありがとうございます。 堅苦しく無駄にありきたりなことを難しく書いている誇張日記ですみません。
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