独白2
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おもしろ題名から始まります。 隣で親父が納豆を食っています。 はー…なんつーか眠いですね。今日S籐さんに「夜に寝ると眠くならないよ」と教えていただいたにも関わらず昼間寝た。 だから眠いのかしら。
今日はアレですよ。 マンガ本買ってきたのですねー。 久し振りにBLですか?いや、前から好きな雰囲気な作家さんのなんですが。 初コミックと言うことで買ってしまいました。 そこに(と言うか本の題名)「いとしいとしというこころ」ってかいてあったんですよ。 それを私はそのまんまの意味で取っていたのですが、「いとしいとしというこころ」→「糸し糸しと言う心」→「戀(恋)」と言うことだったらしいのですよ! これはたまげましたね。 漢字って言うものには意味があるのだなあとか。 恋というのを辞書で引くと「恋しいと思う心」としか書いてなかったのですよね。 しかし漢字にはこんな意味があると。 そういえば「愛」は「心を受け取る」とか言うのも聞いたときありますしね。 昔の人は考えたものですね。
けっこう私は言葉遊び?というのかなあ。 そう言うものが好きなんですが、名前っておもしろいですよね。 いろんなものに名前が付いて初めて意味を持つみたいな? いや、どうでしょう。 意味があって名前が付くのか。
ということで本日のお題は『名前を付ける』です。
名前を付けるというのは、つけた時点で言葉の策略にはまっているように思います。 策略って変な言い方ですが。 なんていうか…言葉の限界? 私が普段一生懸命使いたがる(私に)「滑稽」と言う言葉。 この滑稽と言う言葉にしても、(ばかばかしくて本気で相手をしていられないこと)私が思う滑稽と言う言葉が、他人にそのままの意味では伝わらない。 伝えようと頑張って、言葉の意味を説明しても、その説明でまた新しく言葉を使うから、延々説明しっぱなしに。 あー。名前がついた感情ひとつも満足に使えないきがします。
同じ意味なのに何個か名前の付いてる言葉。 これもまたなんというか…。 これはニュアンスで微妙な変化をだしているのかな? どっちにしろ人の感覚で異なるわけですが。
名前を付けるという行為はとても安易でいい加減だとおもいます。 私はこの前本を買いました。 その感想とでも言いましょうか。感じたことなんですけれども。 例えば「コイツはバカらしいなー」と言う事も、ひとたび自分が思い込むために名前を付けたとする。 「愛おしい」とか。 そうすることによって、名前を付けた途端に「ばかばかしい」と見下した言葉は「愛おしい」と言う言葉にとって変わるのです。 いい加減ですよね。 山田詠美のいう愛おしいとは馬鹿馬鹿しいとか見下したような感情のような気がしてなりませんが。 それもまた私の感覚で感情に名前をつけているに過ぎませんが。
例え話をすると、名前というのはホットミルクの上に張った膜のようなものに感じます。 ホットミルクは個人の感情。カップは個人の体。 カップはいっぱい種類があって、ミルクは同じミルクでも成分が違うわけです。 でもみんな膜が出来る。 膜は名前で、みんな共通に出来るとする。成分は違っても。 感情があって初めて名前がつくわけです。 憎しみの感情も、本人がわけあって(例えばプライドだとか)愛情だと思い込みたい場合に出来る膜は愛情の膜なのですね。 同じ執着の感情も、個々のミルクの成分が判断基準だとすると出来る膜の名前が変わるわけです。 言葉と感情の境は曖昧です。 感情も言葉でしか言い表せないし思考も言葉で行われるから。 固まりかけのミルクは名前に入るのか感情に入るのか。 自分の話なのにわからないものですね。
なんだか今日も訳の分からないたとえ話と訳の分からない話。 だからなんだと言ってしまえばそれまでの日記(といえるのか)です。 言葉って難しいなあ。 私はいつも言葉の策略に落ちていて、言葉に負けている感じ。 無駄な勝負事なのかな。
測らずとも今日アップしたheisiの文となんかリンクしている感じ?? 彼女と私の感覚の違いがよくわかりますね。
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