独白2
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ホントに肩懲りすぎで死にそうです。 連日連夜ずーっと飽きることなくパソコに向かっている私が悪いのですか。 悪いんですね…。パソコに向かっているくせに日記書いてないあたりが何とも言えません。 何をしていたかといえば表の日記にくっつけたようなふざけたものを作っていたのですけれども。 ネットの波に乗るのというのもまた大変楽しいことであります。 いやー…ハリーポッターって大変ですね。
ああ、それにしても本当に…せつないですね。せつないというか… 今日も私は住葉さんとお電話していたのですが、彼女はとても聡明なお方だと私は思います。 いや、聡明であるのか?そうであると私はおもうのですが、もはやそれすら疑わしい。 矛盾した物言いですがそうなのです。 私は彼女を聡明だと思う。 でも彼女を聡明だと思う私が疑わしいわけです。
哲学は疑うことからとは言いますが…。 まあこんな学問は本当にすこぶる(というのは普通通じないらしい。とてもと言う意味)意味の無いことなのですよね。 しかし意味のないモノでも意味はあるのです。 大きな範囲で見た場合は意味がないのです。 でも私はここの日記でわざわざエセっぽい哲学もどきな日記を書いている。 哲学をして真理を言葉で表そうとするなんてモノは無駄なんです。 ただ私がここにある。それが全てを現していて、それだけが全てなんです。
私がここに存在している。 ただそれだけの事を言うのに、私という存在が、感情が、能力が、体がここにあるということを言葉にするのになんの意味があるのか。 そこに体現している、全てはここにあるのに。 生きている意味を説いて、なんの意味があるのか。 答えは大きな目で見て無駄なんですよね。(ここで私は無駄と言いきらないで問いかけの形を取る) でも私には無駄ではないのです。 そこになんの意味があるのかは解りませんが、少なくとも私がこのことを問いつめると言うことは、私には意味のあることだということだと思う。 言葉で表すのはとても難しいです。 言葉で人(の全て)を表すというのは機械で人間一人を作る事よりも難しいのではないでしょうか。
例え話を。 言葉は機械です。人は人です。 機械で人を作るにはとても広い場所が必要です。それだけ人の体は効率よく出来ている。 そしてどんなに精密に、どんなに一生懸命頑張っても機械では(この場合生物的な部品は使わず鉄、ゴムそんなもの)人は作れないのですね。 当たり前です。基本的な素材が違うのですから。 要するに言葉では絶対に表しきれないということ。 でも例え人を作ることはできなくても、機械はそこにあるんです。 機能があるんです。実際に動くことができるのです。 言葉にそれは出来ない。 そこに体現する事すらできない。 そして元から違うもので現そうとする。 それはもう勝負はきまっているのですね。
『言葉で愛を確認しようともがき、結局、言葉に殺されたね』
今日ここを書く前にたまたま(というか毎日覗いているサイト様なんで…)読ませていただいた文にあったもの。 無許可なんですが…すみませんすみませんすみません!問題あったら消します。 話がそれましたが。 そうなんですよね。私は言葉に負けているんです。 私が頼っている言葉と絵。そのどちらも私に勝ものではないのです。 私の使う言葉は、私という体現するものの感情を全て表す事はできない。 言葉で感情を解き明かそうとして、結局負けてるんですね。 (使わせていただいた言葉の前後が必ずしも私の言うような話ではありません)
私が言葉を使うとき、わからない事、曖昧な事が出てきます。 私は仮説を立てるわけですね。 仮説です。合っているかもしれない。間違っているかもしれない。 でもどんどん進んで仮説の仮説、仮説の仮説の仮説といくと、最後にはなんにも残らなくなるんですね。 昔の人が精子(卵子かも)の中にはすでに完成された小さな小さな人が入っていると言ったのと似ていますね。 小さな人には小さな人が。小さな人の中の小さな人のそのまた中には小さな人が。 最後には結局なんにも残らないわけです。
でも私はここに体現しています。(無になるはずがない) でも私はここに存在しています。(人類は随分昔からいた)
無駄だとわかっているのに私の感情は私に言葉にする事をさせるわけです。 無駄なのに意味があるのですね。
人の言う意味のあることとはどのようなことを言うのか私にはわかりません。 ただ私の中には曖昧な「内と外」(この感覚は小野不由美の屍鬼を読めばわかると思いますが…私の大好きというか…影響されたというか。そんな作品です)という感覚があり、その都度意味のあることかどうかなどが決まるわけです。
また長くておよそ日記とは言えないものになってしまいましたが。
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