独白2
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2002年02月14日(木) 昔日記

アホなくらいする事もないですね。
する事無いと逆になんにもする気になりませんよ。
時間がありすぎると言うことは全くないにも関わらず時間を浪費する私ですが。

今日も元気にパソコに向かっておりますよ。
ホント毎日毎日飽きもせずよくやるものですね。
そのくせやらなきゃいけないとまではいかなくてもやった方がいいと言うことは何一つできていないのだから本当に不思議なものです。
topを変えたり部屋の掃除をしたりエロ本処分したりしたいのですよ。
部屋のほこりがたまって汚いのですね。
気まぐれに漫画なんか描いている場合ではないのですが。(しかも糞つまらないときています)
同じパソコに向かうと言うのでも仕事をしたほうが良いと思います。

でもまあ口で(文ですが)言ったって始まらないのですね。
こうやって口ばっかりは達者なのは私がそういう人間だからなのでしょうかねえ?
ところでこういう人間とはどういう人間なんでしょうか?

ということで本日のお題は『定義』です。

今日もアホな前置きですね。
とにかくお題は定義なんですが。
定義とは言葉によって物事をハッキリさせるとか、そういった意味だったと思います。
例えば私を表すならば「怠け者で口ばかり達者な人間」と言うことになるんですね。
でもその中に使われている「人間」と言う言葉。
この言葉の意味はまあ一概には言えないわけです。
そこで出るのがこの「定義」なわけですが。

この定義と言う言葉自体を普段使わなくてもこの言葉は常に働いているのだと思います。
それも個人的な感覚、価値観によって。
悪いことだと言いたいわけではありません。
と言うか、これもまた迷惑な感情というか解釈をしてしまう原因だと私は思っています。
物事に関する定義とはどこまで決めるべきなのでしょうか。

私は「怠け者で口ばかり達者な人間」です。
これは私が決めた、私の定義です。
こういった個人的な定義というのは決めやすいとは思いますが必ずしも正解ではないわけです。
なぜならこの定義は人によって変わってくるからです。
人によって変わってくる定義を元に考えていくとなると、それはまったくもって予想、仮定と変わらないんだと思います。
万人が認める定義をつける、まずはここから始めることが正しい事を見つけることに繋がるのではないのでしょうか。と私は思う。

正しいこととは万人に認められる事柄です。
例えば人間についての定義。
人は生まれて死ぬ。とか、男と女がいる。とか。
万人が認めるとなるとそういうことしか定義付けられないのです。
私は人間についての私の独自な(とまではいかないけれど)定義を持っています。
この定義とは私が言っているだけで万人が認めるわけではないのです。
人についての定義で、私は「人は自分だけのためにしか生きられない」と言うことを考えています。
でももしかしたら愛情は自分へのものだけじゃなく、本当にあるものかもしれない。

相手に優しくする、結果自分も嬉しい自分も満足。ではなくて、相手に優しくすることができるのが人間です、と言う定義の付け方もあるわけです。
これは見方を変えると、と言う言い方と正に同じなわけだから定義付け=仮説に結局なってしまうのでしょうね。
そうじゃない定義とは結局人は一概には言えませんよ。とか。
つまり解りませんと言う結果しかないんですね。

個人的な定義付けはつまり諦めだと思っています。
割り切ること=諦め=定義。そんな関係なんだと私は思っています。
なんだかんだと色々書きましたが結局結論がこれ。
…溜め息が出ますね。
色々やってみても結果が出なければ意味がないのが私的世の中の定義です。
これも間違っているんですかね?
言葉で表せるのはごく小さな事柄だけだと思います。
だから本が好きなんですかね。
物語は本当に小さな世界です。世界。なんだかんだいっても作者が神様。神様が居ると言うことは『絶対』があるんですよねえ。
そういうことが日々羨ましいです。


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