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家族旅行 - 2004年04月21日(水) 先日、兄がハワイで挙式を行うということで、 私たち家族一行もハワイへと向かった。 家族揃って旅行するのはもう10年振り以上 だったのだが、いろいろと大変だった。 ほんと、あらゆる方面でガタピシいっていた。 短気で文句言いの父親。 天然の母親。 ボケが始まってしまっている祖父。 一触即発の状態であった。 私ももう責任逃れできる年齢ではないので、 何とかいろんな事が勃発しないように、 それはもう細心の注意を払って できることは全部して、 あっちに気を遣い、こっちに話を伝え、 と、完全に陰の仲介役状態で、 精神的にくたくただった。 なんなら行きの空港のうどん屋で 既に帰りたかった。 ハワイで挙式なんて選択した兄夫婦を ちょっと恨めしくも思ったりして、 カワイクない妹なのであった。 確かに、我が家の家族旅行が楽しくないのは、 今始まったことではなく、 子供の頃から、私にとって『家族旅行』は、 『憂鬱で、退屈で、我慢して過ごす時間』 だったように思う。 贅沢な話かもしれないが、本当にそう感じて いたのだから仕方ない。 ただし、海外に行った時に 「強烈に覚えている記憶」というものもあり、 それは今の私にとって財産となっているのも 確かだ。 しかし、たいてい覚えているのは、ツアーの 中に入っている、「○○博物館に行ったこと」や 「××寺院に行ったこと」なんかではない。 例えば今でも鮮明に覚えているのが、 中学1年生の夏、シンガポールに行った時、 ツアー観光ですず工場に行った時のこと。 私は歩き疲れで、工場内に入って見て回ることが できず、1人外のベンチに座って待っていた。 その当時は携帯電話なんてものも持っておらず、 親に付いて行っているだけの旅行のため、 ホテル名なんかも覚えていなかったので、 「ここでもしはぐれてしまったら二度と家に 帰れないかもしれない」 という恐怖感があった。 そんな不安な気持ちと、暑さとダルさがあいまって 頭がボヤーっとしていたように思う。 その時私が座って家族を待っていたベンチからは シンガポールの学校(中学校?)らしき建物が見え、 柵の向こうの芝生では制服を来た学生達が 思い思いの休憩時間を過ごしていた。 シンガポールという国のせいか、 黒人、白人、黄色人種、と、 ほんとにいろんな人種の学生達がいて、 それを見た時「いいなー」と 思ったのを覚えている。 しかも、びっくりするほどカワイく、スタイルの いい女の子たちが多く、みんな制服を個性的に 着こなし、 「うっす!『自分』でっす!自分として生きてまっす!」 というような個々のアピールの強さを見て憧れを 感じた。 しかし、他のことは忘れているのに、それだけは 今になっても覚えているということを考えると、 ボンヤリした頭で、憧れだけではなく、かなりの カルチャーショックも受けていたんだろうなとも 最近になって思う。 閉鎖的で「出る杭は打たれること」に関して 異常に敏感な"京都"という土地柄で育った 私にとって、同世代の子達があれほど自由で 個性的に暮らしているというのを生で見たのは 初めてだった。 「自分の知っている世界」以外に、全く違う 考え方や文化を持った世界ってほんとにあるんだ ってことを、ボンヤリした頭で気付いたんだろう と思う。 やっぱり、そんなこんなを考えていると、 旅行、普段の生活に関係なく、 自分の「想像の向こう」に出会うことが 昔から私にとってはなにより楽しいこと だったんだなと、改めて思った。 ま、いろいろしんどい思いもするけど、 プラス材料もあるわけだから 家族旅行も捨てたものじゃないかぁ。 やっぱ、もうイヤかなぁ・・・。 ...
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