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セント マイ グランパ - 2004年04月22日(木) 兄がハワイで結婚式を行うことになり、 母方の祖父にあたる「田舎のおじいちゃん」 も、一緒に旅をした。 おじいちゃんは私が世界で一番尊敬している人。 昔は、優しい微笑みをたたえながら、多くを 語らない人だった。 意志が強く、でも、他人に何かを強制する訳では なく、"私利私欲"ってものがないの?って 不思議になるくらい、それはもう『聖(セント)』 という言葉を頭に付けたくなるような人なのです。 聖おじいちゃん。 そのおじいちゃんももう80歳。 今でも背筋はピンとまっすぐなのだけど、 やはりボケは始まってしまっています。 あんなに寡黙だったおじいちゃんが、 今では昔話が止まりません。 加えて耳も随分遠くなったので、その話に 合わせて話しかけても答えてはくれません。 それは、私にとってとても切ないことでした。 時間は切ない。 旅の最初の方は、それでも 「うん」「そうなん」「なんで?」「へぇ〜」 などと、聞いてもらえなくても相槌を打っていた のですが、おじいちゃんの独壇場は延々と続き、 私はやつれた顔でコクコクと頭を縦に振るのが やっとだったのでした。 エンドレスに続く昔話を聞く私。 その姿は、 さながら『ヘッドバッキング耐久レース』 のようでした。 ごめんね、おじいちゃん。 我が家には強者が他にもいて、家族全員を 100%で受け止めていたら壊れてしまい そうだったのです。 私の意識は完全に、今はもう住んでいない 「等々力のレオパレス」へと逃避していた のでした。 私は旅の途中、単独行動とヘドバンと妄想 にしか救われる道はなかったのでした。 ただ、今回の旅行で後悔しているのは、 亡くなったおばあちゃんと何故結婚しようと 思ったのかを聞けなかったこと。 (っていうか、聞くタイミングを与えてもらえ なかった・・・) おばあちゃんは、おじいちゃんとは違い、 自由奔放で言いたい放題の人だった。 しかし、悪い人では決してなく、 人間がとても好きで、人情に厚く、好奇心旺盛で、 面白くて、大好きでした。 長男が家を継ぐのが当たり前だった時代に、 12人兄弟の一番年長だったのにもかかわらず あっさり婿養子に入ったおじいちゃん。 脳硬塞で倒れ、寝たきりになり、ボケてしまった おばあちゃんを、亡くなるまでの15年近くの間 世話したおじいちゃん。 おばあちゃんが亡くなった時、私が棺桶を覗き 込むと、いつもの微笑みのまま、「まだ肌に 赤みが残っていて、眠っとるみたいやろ?」と 言ったおじいちゃん。 一人になって淋しいだろうと、京都に遊びに来て と誘っても、「おばあちゃんの法事が終わるまで は」と、半年以上も頑として家を出なかった おじいちゃん。 法事が終わるとボケが始まったおじいちゃん。 「おばあちゃんは死んでしまったけど、毎日 思い出すからずっと一緒におるような気がするわ」 と言ったおじいちゃん。 最近になって、誰にも見せていなかった、戦時中に 内緒でおばあちゃんとデートした時の写真を見せて くれたおじいちゃん。 「不思議なもので、あばあちゃんはもういないのに、 夜中に目を覚ましてテレビを消し忘れて寝てしまった ことに気付くと『いけない、豊子が起きてしまう』 とハッとしてしまう」と言ったおじいちゃん。 私とお兄ちゃんが小さい頃、寝る前に、昔話をして とせがむと、「てきすりやーてきすりやー」の話を してくれたおじいちゃん。 胃ガンになって胃を3分の2切り取ったおじいちゃん。 私の結婚式までは生きていたいと言うおじいちゃん。 いつでも私の幸せを願い続けてくれるおじいちゃん。 ごめんね、おじいちゃん。 私は小さくてわがままな人間です。 愛は元気ですか? ...
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