![]() |
![]() |
去年の日記 vol.2 - 2006年09月24日(日) 2005/09/05 なぜ人に説教したり、自分の考えの通りにさせよう とするのがいけないか? 人はそれぞれ、自分の意志や考えによって行動している。 それを否定するのは、相手の自由を認めないこと。 人を教え諭そうとする気持ちが戦争を招く。 自分は正しく、相手にも同じことをさせようと 考えることが全体主義を招く。 自分はどう考えているのかを互いに言い合える自由。 相手の意見を受け入れるか、受け入れないかを 選択できる自由がなければ、その人がそこに 存在している意味がない。 “私はこう思う”“私が困るからこうしてほしい” というのには納得できる。 でも“こうしなあかんよ。お前の成長のためだ” なんていう言葉はくそくらえだ。 誰の基準で人を否定しているのだ。 私の成長のゴール地点を知っていての言葉か? あまりに浅はかな気持ちで、人の上に立ってしまう 評論家とは決別だ。 同じ目線で、他人の意志と自由、そして感情を尊重する。 それがなければ戦争はなくならない。 “あの神様はウソだ”という世界に平和は来ない。 “私は信じてはいないけど、あの人の中であの神様は 絶対なんだ”と認めてあげられる世の中になれ。 そのために何をすればいいかわからないけれど。 私にできることは、 人を教え諭そうという気持ちを持たないこと。 それだけかも。 2005/09/06 自分がそうとう頑固で偏屈な変わり者だって 気付いてきたのだけど、自分の信じる道をゆく。 そう決めた。 柔軟な人間を目指していたけれど、 よくわからなくなって見失ったから。 自分に嘘ばかりついてしまったから。 だから本当に失くしたくないものを大切にする ことにした。 だけど貫くことで、いろんなものを失くすかも しれない。 孤独な道になるかもしれない。 でも振り返ることはしたくない。 辿り着くことはない明日はくる。 怖がらずに、貫いた先の出会いに思いを馳せる。 変わらないものなんて何もないのだから。 いつか全てが終わる日まで、足りないまま 進んでゆく。 2005/09/07 私は短気な人間で、それはとってもイヤな ことなのだけど、でも1つ言えることは、 憤りはパワーになるということ。 行き場のない怒りを昇華させるには、 吠えるのも1つの手なのだ。 常に満たされずに走っている私には、 全て昇華してのみ込んでいく必要がある。 怒りを人にぶつけたくないけれど、 喜怒哀楽のパワーをあなどってはいけない。 春夏秋冬と同じくらい自然で大切なことだと思う。 1つ1つの感情を押し潰したりはしない。 全て平等に私だけのもの。 ========================================== どうすか? いや、どうすかっていうか。アツイですね〜。 イタイですね〜。 1年前の私。 何があったの?って全く覚えてないけど。 まぁ、そういうモードだったのでしょう。 もちろん、あの時期から感情の波も考え方も 少しずつ変わってきているのですが、 自分で読み返してみて、本質的なところは ブレてないな、という気がしました。 でも、こうやって人様の目に付くところに 載せてしまうと、この日記の文章が公約のように 思えてきて気が重い。 や、まぁ、気持ちは変化してゆくものですよ。 てことで、私と実際に喋ったら、 「なんじゃいコイツは?あの文章はウソか?」 と思うかもしれないのでご注意ですよ〜。 わっはっはーーーー!(←今の私のモード) ...
|
![]() |
![]() |