あたろーの日記
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2003年02月21日(金) 心の空洞。自分の重心。

 ずっと考え続けていて、どうしても自分の中で折り合いのつかないことがあります。
 今の自分の生活がいったいなんのためにあるのかということです。。
 
 朝家を出て電車の時間を気にして時計を見る瞬間、レストランのメニューに迷う瞬間、買い物をする時に所持金が心配になって財布を覗く瞬間、月の生活費に頭を悩ませる瞬間、人と言葉を交わす瞬間、仕事でエクセルの表を作っている瞬間、パソコンや携帯電話の新製品が欲しくなる瞬間、テレビが故障して残念に思う瞬間、買ったばかりの化粧品のパッケージを開ける瞬間、そしてこうして自宅のパソコンの画面を見ながらキーボードを叩いているまさにこの瞬間。。。
 
 今こうして生きている限り、私の毎日はこうしたことの積み重ねと繰り返しで、これらの行為の中で考えたり悩んだり喜んだり悲しんだりしながらいつか死ぬまで自分とその環境に付き合っていくのだろうと思う。
 のほほんとしているように思われている(笑)私でも、やっぱり明日の収入は気になるし、恋愛にだって多少首を突っ込むし、肌が綺麗で若々しくありたいから少しは化粧品にも気を遣うし、体型も気になるし、この先自分が結婚するのか、どんな人と結婚するのかも興味がある。
 でも、考えてみると、それらは私が今この瞬間に日本東京に暮らしているから日々遭遇している感情や思考であって、私が例えば明日の食べ物さえ手に入るか分からないような環境に生きていたら、そんなのんきなことはとうてい考えていないだろうな。
 世の中にはいろんな土地があり、多様な価値観があり、いろんな日常生活があって。。。でも、自分がどこに生まれるかを自分で選ぶことはできない。食べるものがなく、お腹を膨らませて飢え死にする子供達は、私であったかもしれない。電気もなくもちろんインターネットも知らない文明の利器から隔絶された陸の孤島で暮らしているのが、私であったかもしれない。
 そう考えると、今の私の毎日が、とても不確かなものなのだということに気づく。と同時に、不確かなものに囲まれてその恩恵を享受しその環境固有の価値観にとらわれながら生きていくことに、不安を感じてしまうのです。
 どういった生活環境が良いとか悪いとか、どの価値観が優れているとか、そういうことではないのです。教育水準の高さとか、情報量の多さとか、そういったことも大切かもしれないのですが、それらもいろんな環境や立場を比較して生まれる概念であって、やはり不確かで変化していくもののような気がするのです。
 
 不確かなものを剥ぎ取ったところに現れる本当の自分って一体どんな存在なんだろう??
 どのような土地でも、どのような社会の中でも、また無人島でも、私は生きているだろうか?もし生きているとしたら、それを支える私の中の根幹的なものは一体なんだろう?それとも私は今自分のいる環境あっての私でしかないのだろうか?
 そんなことをずっと考えてきました。
 読書量は多くありませんが、いろんな本の中でその答えを探し続けてきました。哲学的なもの、宗教家の書いたものも読んでみました。精神世界や、「ニューエイジ」と呼ばれる分野の本も読みました。
 でも、読めば読むほど分からなくなっていく。
 私の探しているものは、たぶん不可思議な現象などではなく、一部の人にしか分からないような排他的なことではなく、前世での行いが悪かったから現世での生活が悲惨なのだというような流動的な価値観にとらわれた見方でもないのです。ましてや崇高な思想や高度な理念でもなんでもない。
 
 裸足で土の上に足を一歩踏み出した瞬間に足の裏で土の熱を感じる自分は、表面から数えていったい何番目の自分なのだろうと、そんなことを考えてしまうのです。

 頭の片隅にはいつも自分の存在に対する疑問があるのに、毎日は目の前にあるパソコンや携帯や会社やお金や化粧品や洋服や情報や人とのやりとりや美味しい食べ物に常に心を奪われながら生きている。それが楽しくて、つらくて、面白くて、悲しくて、大変で、心躍らせることで、感謝すべきことで、大切なこと。でも、なんだか自分の心の中の芯に、重要なものがカチッとはまっていないような気がしている。
 その、カチッとはまるものを探すことと、今の賑やかな日常生活に追われていくこととは、矛盾するのかしないのか。
 自分がここに生きている本当の理由というものがあるのかないのか。
 毎日こうして生きていて、自分の中で求めていこうとするものと、今現在心を奪われているものとの折り合いがつかないのです。生きているということは、他人と触れ合い、多くを消費し、犠牲を生み、汚していくことと同一であるような気がするから。奇麗ごとばかり言っていては、生きていくことはできないと思うから。

 もしかしたら、最近になって、その「カチッとはまるもの」がどのようなものであるか、おぼろげながら分かってきたかもしれません。
 そのことについて理解が深まるごとに、心の中の空洞の部分が少しずつ満たされていって、自分の重心が定まっていくような気がしています。
 でもまだまだ、私はようやく今、そのことを知り始めたばかりです。。。



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