あたろーの日記
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2003年02月23日(日) |
殺されてしまったお姉さんのこと。火事の記憶。 |
子供の頃、うんと小さい頃、住んでいるアパートが火事になり炎の迫ってくる廊下を必死で逃げるという夢を見たことがあって、その夢を見たのが何歳くらいの時かは覚えていないのだけど、炎の色とかがやけに鮮明に記憶に残って大人になってもずっと頭から離れなかったので、最近になって帰省したとき、母に、子供の頃火事に合ったことはなかったか聞いてみた。 母はちょっと驚いたような顔をして、「ああ・・・」と言いながらしばらく私の顔をまじまじと見ていた。「実はねえ・・・」 母のお腹に2歳下の妹がいた頃とのことだから、おそらく私がまだ1歳半位の時、当時住んでいたアパートの真下の部屋に男が押し入り、1人で留守番をしていた高校生の娘さんの上に馬乗りになり、包丁でメッタ刺しにして命を奪った上に、部屋に放火する事件があった。交際話のもつれから恨みを持った末の犯行だったらしい。 事件のあったとき、母は私を外で遊ばせて戻ってきたところで、アパートの階段を下りた出口にある水道で私の手足を洗っていたとのこと。母はアパートから出てきた見知らぬ男に気づかなかったとのことだが、後日犯人を伴っての現場検証の時、遠巻きにして様子を伺っていた住民の中に母と私の姿を見つけた犯人が、母を指差して、「あの女の人が自分がアパートから出てきたとき水道で子供の手足を洗っていてその脇を通った」と証言したそうだ。「今思い出すだけでもぞっとする」と、母は言っていた。 その時の火事は、私の頭の中にあるようなアパートの廊下まで燃える段階にまで至らなかったらしいが、1歳半の私には恐ろしく脅威に思えたのだろう。まさかとは思っていたけれど、あれは夢ではなく、実際の体験による恐怖感からの産物だったのだと知った時、非常なショックを受けた。 殺されてしまった娘さんは、その家の一人娘で、とても綺麗で明るい方だったとのこと。「あんた覚えてないかしらねえ、よく一緒に遊んでもらったのよ」と母が教えてくれた。そう言われてみれば、かすかに、ほんとにかすかに、優しいお姉さんに遊んでもらったような記憶がある。顔は覚えていないけれど。。
実は、ちょっと火が怖かった。 小学生の理科の実験でガスバーナーやアルコールランプを使うとき、なるべく手を出さないようにしていた。マッチをすれるようになったのは高学年になってから。父に何度も「そうじゃない、こうやるんだ」と教わった記憶がある。ライターはここ2〜3年でようやく上手に使えるようになった。以前は怖がって親指がかすってばかりだった。たしか台所のガスコンロも、小学生の頃は怖がってびくびく使っていた。今は平気だけど。 消防車のサイレンの音も、身が縮まるような、背中がぞくぞくするような感じがする。これは今でも怖い。 母から事件の話を聞いて、ようやく納得した。 今まで、私が聞いてショックを受けると思って黙っていたそうだ。 ・・・幼い頃の記憶はその後どういう形で影響を及ぼすか分からないものだと思った。 母の話で、火事の記憶については自分の中でひと区切りがついたけど、新たに知った殺されたお姉さんのことが、今度は頭から離れない。 幼すぎてほとんど記憶にないとはいえ、可愛がってよく遊んでくれたというお姉さん。ご両親は事件の後どこかへ転居されて、その後交流はないとのことだけど。。 いつかお墓参りができれば。。。と思っているのだけど。。
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