あたろーの日記
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2003年04月14日(月) |
メソポタミアの貴重な遺産 |
3年ほど前に、世田谷美術館で開催された「メソポタミア文明展」(NHKの「世界四大文明展」の一環として行われた)で買い求めた図録をめくっていた。 ・・・ああよかった。不幸中の幸いと言うのもなんか気が引けるけれど、「目には目を、歯には歯を」で有名な、楔形文字のハンムラビ法典が刻まれたあの大きな石碑は、パリのルーヴル美術館が所蔵していた。白い石で出来た身体に真っ赤なルビーの目とへそを埋め込まれた怪しく美しい「女神イシュタル」の小さな像も、ルーヴル美術館に保管されている。
高校生の頃、部屋にデュラン・デュラン(カッコイイ男の人ばかりのイギリスのバンドでしたね)とペルセポリス遺跡(イラン)やマチュピチュ遺跡(ペルー)のポスターを一緒に貼っていたので、同室だった妹に「雰囲気がめちゃくちゃ」とよく文句を言われていた。 砂漠にそびえるペルセポリスの石柱や彫刻の施されたレリーフを毎日眺めては、大人になったらいつか行きたいと思っていた(思っているうちにはや30代・笑)。ちょうどその頃はイラン・イラク戦争が終結するかしないかって頃で、私が大人になるまでに観光客が安心して行けるような土地になっているのかなあと不安に思っていた。 世界史を勉強するのが面白くて、特に古代史が好きで、大学では西アジアの古代史をやりたいと思い、その分野で著名な先生のおられる大学を受けた。・・・そしたら運悪く、私が入学するのとその先生が高齢のため退官されるのが同時で(そんなことまで調べなかったよ!)、加えて学年が進むにつれ次第に自分の足元の歴史に興味がわき、最終的には日本の考古学を専攻した。・・・まあ、アルコール以外の飲み込みが悪くて、さほど優秀な学生とは言えませなんだが。博物館で働きたいと思ったこともあり、学芸員資格も取った。・・・もういろんなこと忘却の彼方なので肩書きだけが泣いてますが。 そんなこんなで、バグダッドの国立博物館に暴徒と化した人達が押し寄せて、貴重な文化遺産が多数持ち去られるという悲劇に、やりきれない思い。 紀元前何千年というはるか昔から、気の遠くなるような時を経て、大切に守られてきたはずの歴史の証人者である遺物が、今、一瞬にして持ち運び去られ、散っていった。どこで発見されたのか、どの遺跡で出土したものなのか、そしてどういう性質のものなのか、その遺物についてどのような研究がなされてきたのか・・・そういうこともこの暴力的な行為によって分からなくなってしまう。・・・当地の学芸員や研究者達の嘆き悲しむ様子が目に浮かぶようだ。 どのような理由があっても、今この時代に生きる私達が、過去の大切な遺物を破壊したり、由来が分からなくなるほど粗末に扱っては絶対いけないと思う。イラクにあるものに限らず、世界中のどんな地域の遺跡でも、遺物でも、文化的な遺産というのは、私達にとっては貴重な預かり物なのだと思う。未来の人達へきちんと引き継いでいかなければならないものだ。未来の人達の過去を知る権利を、今の時代に生きている私達が勝手に奪ってはいけないと思う。たとえ今私達の目に魅力的に映らないものがあったとしても、未来の人達は、同じものを見て、私達とは違ったイメージをそれに対して抱くかもしれない。 いわゆる文化的遺産というのは、過去から未来、すべての時代に生きる人達との共通の財産であって、今現在生きている私達だけのものではないはず。 タリバンによるバーミヤンの大仏破壊、あの恐ろしい愚行と同じ行為が、再び行われてしまった。。。
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