あたろーの日記
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2003年06月28日(土) 勉学ノススメ・1

 ・・・なあんて偉そうな題つけちゃいましたが。
 BBSに「母さま」が書き込んでくださったこととか、日頃私が見聞きして思ってることとかも含めて、やっぱり今そんな気分です。
 
 義務教育受けてる小中高で、勉強が一番楽しかったのは、小学校1年生の時だったかも。真新しいランドセルと教科書。お道具箱。「こくご」の教科書開いて「あおいそら」ってみんなで声を合わせて読んでいた頃は、次のページに進むのが楽しみで、もう毎日わくわくしながら授業を受けていた。それが、2年の終わり頃からかなあ、算数で九九を暗記しなければならなくなった辺りから、だんだんプレッシャーが出てきて、周囲のクラスメートの理解の度合いと自分のそれとを比較し始める習慣を無意識につけてしまったような気がする。年度の途中での転校も何度かしたから、前にいた学校では習ってないのに転校した先の学校ではすでに授業を終えている箇所もいくつかあったりして、そのたびに帰宅後教科書めくって頭悩ませてた。中学以降になると、今度は試験が加わって、しかも点数順に順位がつく。クラスで何位、学年で何位。なおさら周囲と自分の頭の中を比べる習慣に拍車がかかる。学期末試験の前になると友達と集まってノート付き合わせて傾向と対策を必死にやった。試験日は一夜漬けで眠い頭を互いに笑いあって、「こんなに一生懸命やって頭に叩き込んでも、テスト終わったら綺麗に忘れちゃうんだよねー」と言っていたけれど、回答用紙教壇に出して廊下に出たらほんとにすっきり忘れた。高校もそんな感じ。文部省の意向にのっとった教科書の範囲内で、知識を詰め込み詰め込みして、試験の結果を気にして、点数と順位を競い合っていた、その繰り返しの小中高校時代。・・・今、自分の好きなだけ若返ることが出来ると言われたら・・・私はせいぜい高校卒業直後あたりまでにして欲しい。義務教育と高校の授業はもう二度と受けたくない。現役の小中高生と先生方には悪いけど。
 そういう意味では大学というところは、学ぶ場所としてとてもいい環境なんだろうけど、いかんせん、受験勉強のプレッシャーから解放されたばかりの身としては、そのありがたみまではよく分かっていなかった。バイトの時間を差し引いても、今に比べれば十分すぎるほどの時間があったはず。今思えばもっともっと本も読めたしもっともっと突っ込んだ勉強ができたはず。同じ分野に興味を持った友達もそばに沢山いたんだし。。
 残念なことに、小中高と、教科書と先生の授業の範囲で頭に詰め込む癖がついてしまっていた私は、大学でもやっぱり講師の提示する範囲内でしか勉強できなくなっていたような気がする。期末試験の前にちゃんと試験範囲を先生に示してもらわないと不安だったし。おまけに、これは笑えるんだけど、試験前に友達と自分のノート付き合わせて、互いのノートにないことが相手のそれに書いてあったらそれぞれを写し取ったり。自分が講義を聴いて何をどれだけ得たかは問題ではなく、試験に出るか出ないかが問題(笑)。もちろん勉強したくて入った大学だし、興味ある分野だったから講義は面白かったし印象に残った講義は今でも内容を覚えているけど、やっぱり受身の勉強だったなあ。ああ、もったいない。大学に籍を置いて、勉強を義務のように感じながら続けていたなんて。今思えばほんとにもったいない過ごし方だった。
 あの頃さんざん言われた、社会に出たら思うように勉強できないんだから、今とことん勉強しておいたほうがいいよ、というのは、自分が学生の時はさほど深く理解していなかったもんなあ。
 


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