あたろーの日記
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2003年07月02日(水) |
「ブレードランナー」 |
リドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」が好きで、もう何回観たか分からないけど、観るたびに新しい発見があって、飽きない。 劇場ウケを狙って監督の意図しないエンディングになってしまった1982年の劇場公開版(「完全版」)と、時を経て1992年に監督が改めて希望通りに編集しなおしたディレクターズ・カット(「最終版」)、一見同じ映画なんだけど、やっぱり違う。 例えば「完全版」では主人公のデッカード(ハリソン・フォード)のナレーションが入るけれど、「最終版」ではまったく入らない。そもそもスコット監督はこの映画をフィルム・ノワール的なものにしたかったそうで、となるとご丁寧に観客に説明をくっつけるようなナレーションを入れることは論外だったようで。 それから劇場公開版とは決定的に異なるのは、レプリカント(アンドロイド)を追って抹殺するブレードランナーという仕事をしている主人公のデッカード自身が、じつはレプリカントなんではないかという疑念を映画を観る側に与えようとしていること。デッカードがレプリカントか人間かについては人によって判断は分かれるかもしれないけれど、スコット監督は明らかにレプリカントだと意図して映画を制作した、とインタヴューに答えているらしい。 デッカードがレプリカントだと意識させられる点からも、私は「最終版」のほうが好き。ある決定的なワンシーン(私には決定的に思えてしまう)といくつかの台詞から判断するに、デッカードはやっぱりレプリなんだなあ、と思えてくる。少し謎解きの要素もあって面白い。で、そういう観点から観ると、「最終版」には「完全版」にない深みや広がりが出てくるような気がするんだけど。。。 さらに、デッカードがレプリカントだと思うと、レプリカントのリーダーであるロイ(ルトガー・ハウアー)の言動がさらに重みを増す。ロイはデッカードがレプリカントだと知っていたんじゃなかな、とまで思えてしまう。だとするとロイが息絶える場面での解釈も違ってくるかな。 ちなみに俳優陣では、ルトガー・ハウアーが一番存在感があって好き。主役のハリソン・フォード以上の存在感。ルトガー・ハウアーは大好きな俳優さん。一番好きなのは彼が主役を演じた「聖なる酔っ払いの伝説」(エルマンノ・オルミ監督)と、この「ブレードランナー」。「聖なる・・・」は橋の下に住むホームレスを演じていて、アクション俳優として有名な彼とはまた違う一面を見せてくれる。私は断然こっちのほうが好きです。
随所に出てくるちょっとオカシイ日本も好き。 舞台となる近未来の東京風の都市。日本女性が微笑みながら口に錠剤をほうり込む「強力わかもと」のでかいネオン看板。だいたい、近未来の街の看板に「万年筆」(それもでかでかと)はきっとないだろうと笑ってしまうんだけど、まあいいや。屋台のおっちゃんや街で繰り返し同じ日本語が流されるのもおかしくていい。 映画が始まった瞬間から自分もその場所にいるかのごとく雰囲気にどっぷり浸かれるところが好き。ストーリーもさることながら、街の存在感、エネルギーが画面から伝わってくるような気がする。 「ブレードランナー」のファンは私の周りにも結構いて、皆それぞれの思い入れがあるみたい。 観れば観るほど、自分だけの映画になっていく、そういう面白さ、不可思議さ、奥深さがこの映画の人気の魅力かも。
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