あたろーの日記
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旧暦9月10日。 昨夜残業中にオフィスを抜けてちょっと外の駐輪場へ行き、同僚から借りた携帯式の空気入れで、自分のチャリンコのタイヤに空気を入れた・・・つもりが、一生懸命やったのに、どんどん空気が抜けて、ぺしゃんこになってしまった。。。。。 貸してくれた同僚も助っ人に出てきてくれて、しばらくあちゃこちゃやってくれてたのだけれど、どうやら空気入れとタイヤの型式が合わないらしくて、んー、断念。 「・・・空気入れ、貸さない方が良かったみたいですね・・・」 い、いや、そんなことないって。感謝感謝。ありがたふ。 22時を過ぎていたので自転車屋さんはとうに閉まっているし、どこか空気を入れることが出来るとこ、ないかなー、と思いつつ、「今夜は自転車置いて電車で帰った方がいいですよー」と言ってくれる職場の声も聞かず、ぴょこたんぴょこたんと、潰れた後輪と空気の少なくなっている前輪をなんとかあやしながら、ここから巣鴨まで10�辧�徒歩で来たこともあるから帰れないことはないべ、と、徒歩より疲れそうな帰宅の途についた。 と、会社から10分ちょっとのところで、おーっ、そういう手があったべ、と、交番に立ち寄り、無事、空気入れを貸して貰うことが出来ました。お巡りさんにタイヤの堅さ見て貰いながらへこへこと空気を入れて、軽くなったチャリンコですいすい帰ってきました。ところで私はいつも、おまわりさんのチャリンコを、レトロでなんだか可愛いと思う。
職場の昼休みに、読みかけの『秋の街』(吉村昭・文春文庫)を読んでいる。昨日今日と。短編集。が、今日読んだ短編は、涙が止まらなくなって困った。昼休み、続きが読みたくてうずうずして、急いでご飯食べて歯を磨いて席に戻り、急いでページを開く。と、読み進めるうちに胸が苦しく詰まって、涙腺から涙が溢れてくる。昼休みが終わりそうなのに目が真っ赤になって、参った。同僚が旅行土産のお菓子を机に置いてくれたのにも気づかなかった。午後もパソコンのキーボード打ちながら必死に涙をこらえていた。 長い刑期を終えて出所しようとする受刑者の目から見た異世界のような街の風景と付き添いの刑務官の想い(『秋の街』)。病のため限られた命を、かつて己が捨てた故郷で終えようと、寝台自動車で運ばれる患者。彼を運ぶ運転手の視点からその旅と旅の結末を追う(『帰郷』)。家庭を捨て、他の男の元へ走るも自死を選んだ母親。残された父親と息子。幼い息子は、父親の表面には出さない想いを傍らで見守りつつ、共に静かに立ち上がろうとしていく(『さそり座』)。 吉村昭という作家を、高校生の頃、間近で見たことがある。私のいた高校に、講演に見えたのだ。けれど、体育館は講演の間中、ざわざわと私語が途切れることがなく、作家の話を聴いていたのは数えるほどの生徒と、教師くらいだったかと思う。こんな田舎まで来てくれたのに、こんなに聞く耳を持たない生徒ばかりで恥ずかしいし申し訳ないなあ、というのが私の感想で、実は講演の中身はあんまり覚えていない。ただ、夢を持って、目標を持って、それに向かって努力することの大切さを強調されていたのは、頭に残っている。 あの時、ざわついた体育館の生徒達の何人か、少なくとも、今ここにこうしている私、が、作家の書いた小説を読み、しばらく言葉を失うほどに、小説の世界に打ち負かされてしまうことになるとは、吉村氏も想像していただろうか、と、なんかちょっと、不思議な気持ちになる。講演で学校に行くなんて、きっと何十回もあっただろうから、いちいちどこの高校へ行ったか、なんて覚えてないだろうけど。 ともかく、もうこの世にはいない作家の小説を読んでいても、ふっと、作家と自分がどこかで繋がっている、接点のようなものを感じることがある。そもそも読むという行為自体が、自分との対話であると同人に、作家との対話でもあるのかな、という気もする。
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