あたろーの日記
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2006年12月10日(日) 『書物漫遊記』

 旧暦10月20日。
 今日も1日布団の中で過ごす。溝口健二監督の映画『残菊物語』を京橋のフィルムセンターに観に行くのを前々から予定していたのに、泣く泣く断念。いったんは出掛けようかと迷ったものの、自分は風邪を引いてちょっと油断すると、回復まで人の二倍時間が掛かるのだということを胆に銘じて、我慢して寝ていた。
 布団の中で『書物漫遊記』(種村季弘/ちくま文庫)を読む。先日読んだ同氏の『贋物漫遊記』同様、最近復刊された本。外出を諦め布団の中でふてくされてながら読み始めたものの、いつのまにやら種村ワールドの住人になってしまい、容易に抜け出ることが出来ない。古今東西の書物に絡め、氏の懐からパッパッと手品師の如く次々と取り出してみせる、本当か嘘か分からない逸話や怪談奇談の数々。『贋物漫遊記』で免疫が出来たのか、『贋物・・・』よりもスムースに愉しめた。布団の中で私は、新宿の怪しげなアパートの住人になり、ドイツの田舎の村に行き、乱歩のパノラマ島に夢馳せ、吉田健一の短編小説の一場面に入り込む。
 そういえば、最近やはりちくま文庫で2冊読んでとりこになった書き手に久世光彦氏がいるが、種村氏と久世氏はお生まれが2年しか違わない。1933年と1935年である。おふたりの随筆を読んでいると、戦争の足音がまだ聞こえてこない時代の、人々の心や街の往来に、余裕とか夢とか浪漫といったものが残っていた豊かなひとときに幼い時分を過ごしたのだなあ、という思いがする。戦後に生まれた作家と、戦前に生まれた作家では、明らかに異なる何かがある。それは戦争体験に基づくものではなくて、戦争前の日本を知っているか知らないか、に基づくもののような気がする。
 種村氏も久世氏も、もうこの世の人ではない。種村氏は2004年に、久世氏は今年、お亡くなりになっている。生まれたのも亡くなったのも、2年違いというのは、なんとなく、何気なく、不思議な感じがする。


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