浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2001年09月25日(火) |
『合衆国崩壊』の平積み/北風と太陽 |
商魂たくましいというか、チェーン店展開してる大きい書店へ行ったら、トム・クランシーの『合衆国崩壊』が平積みだった。これと前作である『日米開戦』には、アメリカ市場経済への攻撃、ワシントンへのジャンボ機突入、イスラム原理主義者の暗躍など、今読み返せば怖い話がいっぱいだ。 米軍関係者も含めてかなり取材をしてるらしいから、実際にこういうテロの可能性を想定していた人々も少なくはなかったんだろうが。 『パトリオットゲーム』から始まる、彼のジャック・ライアンのシリーズ作品には、大人数が集まるスタジアムなどのイベント会場へのテロ、核や生物兵器のパニックも含めて、いろんな形のテロがえがかれてる。 同時多発テロのニュースを知ったとき、「うげっ。こいつら、トム・クランシー読んだか?」とあせったんだよな。
世界はどんどん戦争へと流されていく。 Gene(遺伝子)もMeme(情報や文化)も、それが生き残り繁栄することの可能な道を選ぼうとあがく。私達自身が武装しないでいられるのは、暴力で繁栄を求めることが非効率的だという認識の文化の上に成り立っている。生き残ることが苦しくなれば、それは容易にバランスを崩す。 人間はそういう生き物だから、戦争や闘争はなくならないだろうと思う。それでも、それを小さく押さえることはできる。 アフガニスタンで長年を過ごしたお医者さんのコメントを、あちこちで聞いた。「北風と太陽」の物語のごとく、逆風を強く吹きつけるだけでは解決しない問題もある。戦いのやり方次第では、より大きな憎しみの土壌が育つのだ。
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