浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2001年10月02日(火) テロのショック/ハンブルクの思い出

ニュースを見てるとどんどんと世界が戦争に近づいてる感じがする。いったい21世紀が、こんなはじまり方していいんだろうか。(-_-;)
ブッシュ大統領や小泉首相の言動が、どうにも不安でたまらない。外務省も田中外相おろしにジタバタしてる場合じゃないと思うんだ。シビリアンが賢く状況を動かさないと、ユニフォーム組が後で苦労するんだよ。(と、パウエル長官も思ってるかもしんない。)

テロでミュンヘン五輪やフランクフルト空港爆破事件を思い出すのは、私が年だからかな?
無差別テロ→空港やスタジアムなどが狙われる?→GP開催危ない?と連想してあせったんだ。テロやハイジャックや誘拐事件はずいぶんたくさんあったから、欧州に生まれ育った人達の方が身近に危機の存在を感じていたかなあ。
ハンブルクにテロリスト達の住居があったのには驚いたけど、西ドイツの頃は亡命者や外国人の受け入れに積極的な国だったんだよ。(ネオナチの連中はその反動だ。)
ニューヨーク、ワシントン、ボストン、ハンブルグ....、みんな、さまざまな国の人々が集まる国際色も豊かな都市だ。人が多く集まれば、犯罪や衝突の可能性もある。けれど、自由に旅し移動すること、他国で働き新しい生活を築くこと、異なる文化を受け入れること、それらに活力を得て都市は発展していく。こんな事件でそれを失わないでほしいと思うんだ。

ハンブルクといえば、私の友人は数カ月間そこで暮らしていた。外国人にとっては、暮らし易い街だ。中央駅近くには薬の売人のたまり場と噂される場所もあったが、そんな物騒な場所は東京などにも存在する。ちょっと東京に似ていると思った。大昔からの港町で国際化がすすんでいるせいか、他の街では外国人に向けられがちな奇異な視線を浴びないで済む。
私も、ドイツの旅行中、この街が一番すごしやすいと感じた。言葉はできなかったから、あからさまな軽蔑の視線もあった。ときには身ぶり手振りでジタバタもした。言葉が通じないながらも手助けしてくれようとした人達がいた。ほほえみかけてくれた人達がいた。ある程度人との距離を置いて放っておいてくれるが、冷たすぎるわけじゃない。こちらが困っている様子を心配そうに見守る人達の視線を感じた。
大きくて、居心地のいい、懐の深い都市。ずっとこんな街に暮らすことができればと、そう思った。今も、あの街に恋してる。


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