浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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| 2002年06月07日(金) |
かくあれかしという幻想が世界をつむぎだす |
ワールドカップ熱はすごいですなあ。よく巡回してるサイトの多くでサッカーの話題があふれています。F1系、音楽系、映画系、どこもだもんなあ。 そういう私もサッカーは好きだから、かっこいいプレイをする人がいればドキドキするし、ギリギリの攻防で息を飲むような試合を見たい欲はアリアリ。 いやー、しかし、ワールドカップって、いつからこんなに盛り上がるようになったんだろね。
今日、猫がひっくり返してくれた古い本の山から、本が出てきたのよね。「メタフィクションの謀略」巽孝之。 内容忘れてたんで、再読は楽しい。しかし、言及されている本の中には読んでいないものが多いから、書かれた言葉を咀嚼して取り込むまでにいたらないのが残念。 メタフィクションといえば、もちろん筒井康隆の作品群を抜きにしては語れない。そのあたりを読んでいると、「疑似イベント」という言葉が出てくる。すぐ目の前にそこに言及されている「東海道戦争」がある。これも他の筒井作品といっしょに先月引っぱり出して再読したばかりだ。 こいつぁシンクロニシティだねえ、カール・グスタフ・ユング!と笑ってると、そのそばには「ユング」が転がってるからまた笑える。(笑) いろいろ買って読んではそこにある言葉をシャワーのように浴びていくと、時折、その中に流れ落ちていかずに意識に引っかかる言葉がある。どういう感情を抱くにせよ、引っかかるものというのは自分の心象を反映してるんだよね。
疑似イベント。作り出され演出されたニュース。報道されることでさらに熱を生む虚構の世界。 「オリンピック」「ワールドカップ」「F1」....まあ、スポーツに関する報道にはそういう面多いよなあ。アナウンサーは叫ぶわ、「伝説の」「因縁の」対決やら選手達の「秘めた」エピソードなんか出てくるわ、ファンもまた大応援団やら発煙筒やらブーイングやら名物フーリガンやらでその一部になってるんだもんな。 あまりにも巨大になった幻影の中で、競技者達にかかるプレッシャーは増大する。けれど、そのプレッシャーが彼らに予想を超えた力をもたらすことさえある。その姿は魅惑的だ。
その昔世界の片隅で始まった競技会が、世界の最高峰かくあれかしという幻想を栄養に、巨大な産業になっていく。「かくあれかし」の気持ちが突っ走っちゃって、暴れちゃう人達もいるけどね。(^^;) スポーツや音楽や芸術を、現実から遊離した役に立たない「絵空事」と片づける人々もいる。けれどこうして、幻想が、人々の人生を言動をかえていく。 夢が現実を浸食し、呑み込んでいく。それを思うと、この天の邪鬼は哄笑するのさ。夢が形をもって息づく姿を、さあ見るがいい!、と。
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