浪漫のカケラもありゃしねえっ!
DiaryINDEX|past|will
| 2002年12月30日(月) |
「地上の星」を歌う人たち |
忘年会シーズンもたけなわ、カラオケで嬉々として「地上の星」を歌うお兄さん達に遭遇。 ちらりと耳に聞こえてきた海外でのプロジェクト(工場?)立ち上げの話などから、「プロジェクトX」な人生を生きてはる企業の団体さんでわあるまいかと想像。 このあたり精密機械や自動車部品の工場もあるらしいからなあ。そいえば、以前この地の携帯電話製作工場がNHK特集にチラッと映ってたっけな。 わしらの生活形態や交流のあり方を変えてしまった自動車や携帯電話だが、それを実際に作る人たちが脚光を浴びたり褒め称えられる機会は少ない。 壊れなく丈夫に安く作れてあたりまえ、不良品が出てたときだけ非難を轟々と浴び、古い機種に傾けられた情熱は忘れ去られていく。 「プロジェクトX」にわが身を引き比べて、果てしない時代との競争に再び熱意をかきたてる無口なお兄さん/おじさんたちは多いかもしれんて。
ロマンはわりとわしらの身近にあるんだな。 今は誰もが体験してるであろう、携帯電話のブルブル。こいつを動かす世界最小のモーターは、日本の下町のある小さな工場の技術が世界一なんだそうだ。下町のオヤジさんが世界の大企業を相手に仕事してるんだぜ。高報酬の弁護士たちのこねくり回したぶあつい契約書は、企業を合併・倒産させたり方針を動かすかもしれない。でも、技術はその存在自体の力で未来を開くんだ。痛快じゃないか。 一地方企業の研究員でありながら世界ではじめて青色ダイオードを作った技術者、彼は自分でそれの製作を可能にする機材を工夫して作る技術者だった。 PC、電卓、家電、わしらがあたりまえに使ってるこいつらに使う集積回路製作のために、ミクロン単位の精度を持つカメラや写真製版技術が必要になる。それを支える精度を持った製作機械を作る技術が必要になる。優れた設計者が発想しても、それを製作し支援する技術がなきゃ、製品は市場に出せないんだ。
「メイド・イン・ジャパン」。この言葉に関するイメージは、数十年前とはかなり変わった。そいつは、この言葉に誇りを持ちたいと願っていた人たちの軌跡が成し遂げたことだ。 「メイド・イン・コリア」「メイド・イン・チャイナ」、このイメージもいつかは変わっていくだろう。 機械でも服でも加工食品でも何でもいい。あなたの手にしているものをじっくりと見つめてみるといい。 そいつを作り出すための機械の一部は、アフリカやアジアのどこかで掘り出された希少金属からできているかもしれない。そいつの一部は、未来の企業家が明日を夢見ながら作った部品かもしれない。そいつの一部は、苦心惨憺の末にやっと完成をみた部品かもしれない。そいつの存在は、年老いた技術者達が若かったころの汗や涙が基礎を生み出した企業が作り出したものかもしれない。 何千何百という人々の生活がその向こうにある。家族を養い、よりよい生活を未来を目指して働いている。彼らは、明日を夢見る。それはささやかな夢かもしれない。誰も夢想だにしなかった、とんでもないスケールの夢かもしれない。彼らの見る夢は、わしらの明日を大きく変えていくかもしれない。わしらの生活は、彼らの夢なしに生まれはしなかったのだ。 これをロマンといわずして、なんと言おう。 わしらの周りは、誰もかえりみない地上の星できらきらと輝いてるじゃないか。
|