浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2003年08月29日(金) 修復

ダビデ像修復についてのニュース
よくシルクロードの遺跡を見に渡航していた芸術学の教授がぼやいてたのを思い出したよ。
外国の研究者がシルクロードの遺跡を見学に行くのは、政府の許可が必要だったり、ともかくたいへんなんだ。写真撮影も制限されるし、もちろんさわって調べるなんて許されない。ところが、やっと見学を許されて行ってみると、破損した仏像や絵画が修復されていることがある。古い資料写真と明らかに違う。どのように修復されて、オリジナルと違いはどうだったか判然としない。現地の案内人達は、教授達がなぜそんなに残念がるのかわからない。わが国の優秀な学者が壊れた部分をなおし、綺麗になった物を公開している、それがいけないのか。破損し歴史の重みを背負った姿そのままを愛でる、日本の史跡のようなワビサビの気持ちとは違うんだな、と。
まあ、コレは、竹のカーテンの向こうをのぞけない研究者の慨嘆の思いもあるだろう。
....システィナ礼拝堂のミケランジェロの壁画・天井画の修復が終了したとき、人々は驚嘆した。
なんという明るさ、なんという鮮やかさ、そのはずむような色のきらめき。
神と人の物語に、暗く厳粛な色あいを加えていたのは、数百年の歴史をへて捧げ続けられてきた灯明のすすと汚れだったのだ。
その色合いに、ルネッサンス絵画として信じられていた物が、大きくかわった。研究していた対象物が、学んできた書物の中の写真が、歴史の結果生じたベールをかぶっていたのだとわかり、そこから受けていたイメージとはまったく違う物が、ミケランジェロという才能の中に存在したのだ。
後世の何度にもわたる修復の痕跡。ミケランジェロ自身の真筆との違い。そして、かの有名な、法王の命によってつけ加えられた「着衣」。完成以後の加筆のうち、これだけは歴史上の重要な出来事、とみなして残された。
何をぬぐい去り、何を歴史そのままの姿で残すか、復元するか。後世ふたたび修復が行われるときに、その価値観はかわるかもしれない。ぬぐい消し去った部分は復元がむずかしい。
ダ・ビンチの「最後の晩餐」。この壁画は、ダ・ビンチが油絵の具を使ったため、完成直後から絵の具が乾燥し剥落したという。
今、後世の加筆をそぎ落として修復された「最後の晩餐」は、おびただしい剥落の痕をもった、明るい色彩の絵となって復元されている。
絵の具の剥落。。。。東大寺戒壇院の四天王塑像には、完成直後のこの像が彩色されていた痕跡が残っている。
ギリシア彫刻、神殿も、かつては鮮やかな装飾で彩られていたのだ。
それをそのままに復元すれば、その華美な色彩に現代の人々は違和感を覚えるかもしれない。観光写真や美術書の中のそれとは、あまりにイメージが違うだろう。
人々が神々にふさわしいと考えていた鮮やかさ。その色彩は、時の流れに浸食され、削られた。
白く輝く大理石のイメージである今のそれは、かつてそこに存在した文化の、骨のようではないか。
骨となっても、それは美しい。
歴史という厚いベールをかぶっていた当時も、ミケランジェロやダ・ビンチの絵画は美しかった。厚いベールの向こうに、優れた芸術家の手になる、美しい骨格があったからだ。
その修復は、衝撃であったけれど。鮮やかな着衣の衣ずれの音、わずかに染まった肌の下の血の流れ、それを描いた芸術家の吐息を、研究者達は感じただろう。
。。。。ダビデ。あまりにも有名な立像。
カタチある物は、不変でいられない。人が手を出さずとも、数百年数千年の後には、彼のカラダは時に浸食されるかもしれない。
ミケランジェロの手は、彼に何を与えたのか。時の流れは、彼に何をもたらしたのか。研究者達は、それを知りたいのだ。今の彼から何を学べるかを、記録に残しておきたいのだ。


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