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2002年01月29日(火) 心の温度。

コイバナ(1/27)にて、『無償の愛ってのは存在しない』と書きました。
それについてちょっと補足してみたいなと思います。

恋人という関係においては無償の愛は無いと思うんです。彼らがどんなに長い付き合いであろうとも。
ただ恋人が家族へと変化した場合、その関係は微妙にシフトしていくのではないでしょうか。
言い方は悪いんですけど、利害関係の一致から惰性に変わるというか(笑)
惰性の中に生まれるそれなりの愛情は意外と無償の愛に近いのではないかと思うんです。
ひねくれてますかね?…そうですね。スミマセン。

しかし対象が恋愛ではないとき。
無償の愛ってのはわりかしそこらに転がっていると思います。
例えばペットに尽くす人。
彼または彼女はペットに心を癒されているんだから自分がそれに対して何らかの代償を払うのは当然だと考えているかもしれません。でもペットは自分に餌をくれて、可愛がってくれるから、飼い主に甘えたり芸をしたりするんですよね?そういう動物の本能を人間が勝手に喜んでいるだけなので、私的にはそういう飼い主の行動は無償の愛に基づくものではないかと考えています。

ペットや小さいものなどへの庇護欲っていうのはやっぱり愛情ですよ。しかもその大部分は自己満足で、見返りを求めないものだったり。
ここで自己満足、っていう判断を下すところが私のカワイクないところなんですが(笑)

まぁ、私の中にも無償の愛ってのはちゃんと存在しますよ。
ほとんどモノやヒトに執着することがない分、一旦大切なものができると何を犠牲にしてもそれを守ろうとしますから。
そういうこともあって、失いたくないものは多くはないけど、もしその内の何かを失ったときの衝撃はデカイと思われます。
でも変なとこでプライドが高かったりするから平気そうな顔をしたりするんですよ(笑)
普段はプライドなんぞとはほぼ無縁の生活をしているというのに。

よく冷静とかクールとか言われますが、こういうところは人並みとはいかないまでもそれなりに熱いものもあるのではないか、と。
心の温度は生温くありたいと常に心がけております。
手を入れると『ちょっと冷たいかな?』と思うくらいでいいんじゃないかと。
それが私らしいかな、なんて思ったり。
私に興味を抱いた人がお湯を足してくれるのもよし、更に水をさすのもよし。

ただし私は敵だと認識した相手にはとことん関わらないようになります。
でもご安心を。私がかつて『こいつ嫌いや』と思った人間は片手の指で間に合うほどです。
…少ない分、どれだけ嫌がっているかが分かります(笑)

今後の目標としては心から涙を流すことができるようになることですかね。
頭で考えてから泣くのではなく、自然に涙が流れてくるような経験をしてみたいです。
…その前にまずは意図的にでも泣いてみることから始めなくては。

心を追い炊きするのは難しいです。
みなさま、冷める前に蓋をしてしまうのも一つの手ですよ。



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斎藤基栄
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