行動ログ。
過去|目次|未来
今日のお昼頃、たえさんのお家におじゃましてきました。 遺影はすごく綺麗に写っていて、なんとなく悲しくなりました。 まだ若いのになー、とか。 たえさん置いてっちゃダメじゃないッスか、とか。 いろんなことが心の中で渦巻いていたんですけど、思っていた以上にすっきりしました。 なんていうか、あぁホントにもういないんだなぁって実感できました。 お話しているときは、つい最近のはずのことでも懐かしくて楽しかったなぁとしみじみしてしまう感じで。 故人が思い出になるっていうのはこういうことなのかなと。 これで3回忌くらいになれば、完全に昇華されてしまうのかも。
やっぱり時間っていうのは偉大です。 でも痛みを増すだけっていう考え方もないことはないんですよね。 蓄積っていうか。 身体的な傷ならば痛みは日々逓減していくんですけど、精神的な傷っていうのはそうもいかない。 薄れるどころか昨日までの分+今日の分ってこともありますから。 つまり一日ごとにリセットされるんじゃなくって積み重ね。 これはしんどいなぁ。
私は幸いにもそういう経験はない(と自分的には思ってる)んですが、もし将来そういう事態に遭遇したときに、 果たして冷静でいられるだろうかと。 引きずられるんじゃなくって乗り越えたいなとは思います。 それなりに一段目の切り替えは早い方だと自負しているんですが。 ただそれ以降がなかなかダメですねぇ。いつまででも覚えていますもん。 3、4歳くらいの出来事でもかなり鮮明に覚えてること、ありますよ。しかも後ろ向きなことばっかり(笑)
そして私の記憶の中で怒られたってことは何故か嬉しかったことに分類されているんですよねぇ。 本気で怒ってくれるってのは自分のことをそれなりにでも真剣に考えてくれているってことで。 たとえ憂さ晴らしのためにちょっとした言動を咎められたとしても、それが理にかなっていれば私は結構素直に 受け入れてましたから。 …こういうとこが優等生ぶってるとかいわれる原因だったのかもしれないけど。 でもしかられるってのがあんまり(というか叱られるようなことが)なかったから、貴重だったわけです。
はぁ。こういう児童期の心理チェックとかすると、斎藤の結果は親への愛情に対する不信感と欠落傾向が強く でるんですよ(笑) 実際親から怒られたことで記憶に残ってることなんか殆どないし。ははは。 あんまり構われなかったっていうのは今になって考えると気楽だったなぁって思うんですけど、当時は寂しかっ たのかもしれないです。 もしかしたら親は壁をつくっている私に干渉しすぎることを躊躇していたのかもしれませんが。 親は斎藤のことを「基英は一番自分の世界を持ってるしなぁ」と表しますからねぇ。 だんご3兄弟の歌は我が家の3姉妹にぴったりあてはまっています。 あまりの詠いようにうちの家族は笑いを堪えられなかったくらいですから。 お分かりのように斎藤、2番目です。自分が一番、次男♪
過去|目次|未来
斎藤基栄
|